虹蔵不見(二)

 田の神さま、おらとんでもない場に連れてこられてしまったべ……。

 そう思いながらいつきは天を仰いだ。
 今日は目まぐるしい。
 青いおさむらいさんのお城に来て、お話して、お仕事を貰って、お嫁さんに会って、化粧おばば達に嫌味を言われて、もうお腹いっぱいだと思っていたらおばあさんに会って、連れてこられた先の畑で見たのはぶっ飛ばされる右目のおさむらいさん。
 それだけでも終わらなくて、また連れて行かれて、今度は青いおさむらいさんの前で仁王立ちをしているおばあさん。若干引き気味な青いおさむらいさん、ぶっ飛ばされた右目のおさむらいさん共々一揆の時ですら見たことのなかった光景だった。

「梵天っ!!」
「An? な、なんだよ、Grandma」
「この馬鹿孫がぁーー!!!!」
 見事な右、天下獲れるべ……、いつきはもう気が遠くなりそうになりながらその光景を眺めた。右目のおさむらいさん、片倉小十郎がこの勇ましき栽松院に飛ばされる場面を見てからこうなるんじゃないか、と薄々感じていたからかもしれない。
 流石に十一人も産んでると可憐だったお姫様もここまで強くなるんだべなと、いつの頃か村で聞き知った栽松院の話を思い出しながら生暖かく栽松院と政宗を見ていた。
「いつき、お前、の処に行ったんじゃなかったのか?」
「行ったども」
「話を逸らすでない梵天丸」
「お、御祖母様落ち着いて」
 おずおずと控えめに、だが主君の危機を止めに入るのはやはり成実だ。
「そなたも止めぬか! 時宗丸!!」
「ほぶっ!」
 今度は裏拳が決まっていく様を見つめいつきは遠い目をしながら、ああ青いおさむらいさんによく似た人が、と成実を憐れに思った。
「母に愛されぬ其方が不憫で不憫で、それ一層の愛情をと思うて育ててきたが、よもやこのような無体を働くとは! なんと情けない! なんて、情けない!」
 身体をふるふると震わせる栽松院を気遣っていつきは側に寄った。いつきも知っていた。年貢の取立てに来た侍たちの噂話で聞いたことがあったからだ。
 伊達の若様は疱瘡で右目を失って以来、母君から疎まれ、その母君は若様の弟に家督を継がせたがった。母君の実家も支援して若様は命の危険すらある始末。そんな若様を助けたのが父方の御祖母様。食事に何度も毒を盛られ毒見役が死することもあったなか、細心の注意を払って、守って、立派に育て上げた。その若様は家督をついで今は独眼竜と呼ばれるまでの武将になった。
 お話に出てきた御祖母様が栽松院様で、若様が青いおさむらいさん、通常の暮らしをする農民なら会う事のないはずの二人が近くにいて、よもや説教される場面に出会うなど誰が想像できただろうか。
「戦事、政(まつりごと)には口出し致しはせぬ、じゃがの! 孫の嫁のこととなると話は別! あのような後ろ盾のない、ましてや身内を奪われた嫁に其方は何をしておるのじゃ!!」
「お、御祖母様……、どこからそれを」
「ふん! 片倉の坊を締め上げたわ」
 ああ、牛蒡を引っこ抜くって脅してたべなぁ、そう思いながらすでに突っ込むことも心なし億劫になってきたいつきだった。
「去り際に一発かましてやったので今頃は伸びておろうな、援軍は来ぬぞ」
 凄む栽松院にギョッとしたのは成実で、政宗は憮然と脇息に凭れかかった。
「というかの! さっき見たわ!」
「何をだよ」
「側室達がなにをしておるのか其方存じておるのか! 娘、じゃなかったの。いつきや、其方が見たこと言われたことを言うてみよ」
「ええっおらだか!?」
 お大名の身内喧嘩に巻き込まれると思っていなかったいつきは仰天した。しかし今なら、田の神さまをも凌駕しそうな栽松院の剣幕に、いつきは素直に従う以外の選択肢などない。
「んと、おらとねえちゃんが話してたら、化粧おばばたちが来ておらたちに言ってきただ」
「化粧おばば?」
 成実が目をぱちくりとさせ、いつきがあっと言う顔をすると彼は少し意地悪く笑い、ああ側室の子たちね、とわざとらしく頷いた。
 何で言うだ! と言ってやりたかったがそれを実行する訳にもいかない。焦るいつきを余所に、政宗は怒るでもなく聞いていたのでほっとした。
「おらのこと土臭い、いやそれは別にいいんだども、ごせいしつさまは下々の者と一緒がいいとみえる、それからえっと、さなだゆきむら? は食わせ者だとか、公家の血が入ったら伊達の血が損なわれるだとか、あと」
「いつき、もういい」
 制止が入った途端いつきは後悔した。もういいと言った政宗の声音は低く、表情は見たこともないくらい険しくなっていた。政宗を見て初めてぞくりと背筋が凍った。一揆で相対した時でさえこのような顔を向けられたことはない。
「其方が放置しておるからそのようなことを言われておるのじゃ! 正室にあのように面と向かって愚弄ならべるとは我慢ならぬ! 捨て置く気なら私が杉目に連れて帰る!」
 啖呵を切った栽松院は更に叱り付ける。
「信州より連れて来られて、家もなく兄もなく、その仇に嫁いで何においても不安であろうに、隅に留め置かれてなんと哀れな、其方はあの晴宗の孫で輝宗の子なのに、どうしてあのように正室を無下に扱えるのじゃ」
 落ち着いた色の打掛の袖を掴んで肩を震わせる栽松院に政宗も、そして成実もばつの悪い顔になった。成人した男とは言え、この祖母に泣かれるのは心苦しいらしい。
「御祖母様落ち着いて、マジ落ち着いて」
「ええい! 馬鹿宗馬鹿宗! まさか三代続いて馬鹿宗と呼ぶことになるとは思いもよらなんだわ!」
「二人とも言われてたんだ。――御祖母様と言えど杉目には連れてかせないよ、梵と不仲なんて噂が立ったら困るのは姫だよ。御祖母様がどれだけ頑張ったって最大の保護者は梵なんだから。杉目に移したらここぞとばかりに梵に大量の縁談がくる。側室を増やす羽目になって外戚を狙う輩が奥御殿荒らして梵の目の届かない間に姫を害したらどうするのさ。だからダメ」
 へらりとした印象のある成実が、政宗の腹心らしくぴしゃりと意見を言うものだから栽松院もいつきも少しだけ面食らった。だが栽松院はそれだけでは治まらなかった。
「時宗丸……! 其方も大概可愛げがなくなったの!」
「まあもう元服してるしね」
「そうじゃの、大人ぞ。……梵天丸」
「Um?」
「其方の嫁は鬼姫ではないのだぞ」
「Grandma. 成実と同じことを言う」
 政宗は背筋を伸ばして栽松院に少し笑いかけた。それはいつきが戦場で見た冷たく醒めた笑いとは違い柔らかかった。いつきがまじまじと見ていると、視線に気付いたのか政宗の声がかかる。
「いつき、お前が貶められた時、はなんて言った?」
「ねえちゃんは一つも酷いこと言わなかったべ。おらの手が尊い手だって言ってくれた」
「尊い手……」
「沢山の実を作り出す尊い手だって」
「そうか」
 そう答えて政宗は少しばかり眼を瞑った。そうして、他にはどんな? と問いかけてきたのでいつきは少し嬉しくなって続けた。
 迷子になって人を見つけたと思ったらそれが探してた本人だったこと、の他にも喜多達に沢山お土産を貰ったこと、政宗や小十郎の話をすると興味深そうに聞いていたこと、広いお庭で目が回りそうだと恥ずかしげに話していたこと、実家の庭には忍びが隠れやすいような構造だったこと、忍びの数が多く大きな草屋敷が設けられていたこと、一度忍隊の長の目を欺いて城下に下りたこと、その後こっ酷く叱られたことなど。
 長くなりそうだったので多少省いて話そうかと思ったが、一つ一つ話す度にそうか、と頷き、時に驚く政宗が新鮮でありのままを、遅くなるまで話すことになった。

 そして夕刻、は栽松院と対面した。何故か息も絶え絶えの栽松院に、やはりご無理をなさってお運びになったのだわ、と当惑し、対して喜多と侍女頭は、ああ一戦交えられたのね、お疲れ様でございます、と心底栽松院を労ったのだった。

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2011-07-24

対奥州筆頭用ファイナルウェポン栽松院。
史実の政宗公はおばあちゃん子だったようです。