虹蔵不見(一)

 十一月、今日は珍しい客が城を訪れているという。
 最北端の一揆衆の長を務めた娘で、収穫も終わりこれから年貢や冬に向けての話を政宗たちと話しに来たらしい。
 日を同じく、杉目(すぎのめ)城からは政宗の祖母栽松院も来訪する。雪が降る前に孫の嫁の顔がみたい、との書状が届き、としても直接礼が言いたかったのもあって是非にと対面の席が設けられることになった。
 昼を過ぎたがまだ奥の方への来訪はない。政宗に会った後譜代の者らに捕まり時間がかかっているらしい。
 は、そちらを優先されて自分は最後にしていただいて結構です。積もる話もおありでしょうからお気になさらず、と丁寧な侘びを携えた遣いに伝え、栽松院の運びを待つ。
 とはいえ一日予定を空けていた分、何をしても中途半端に為りかねないし手持ち無沙汰なのは否めない。ならば栽松院の持て成しに繋がる事をしようと庭に出ることにしたのだった。
 戸から先に出れば冷たい風が頬を掠めてくる。つい先日実りを迎えたばかりのはずだが、北国の十一月ともなるとかなり冷え、羽織る小袖を増やしても身震いすることが多くなった。侍女たちは慣れたもので平然と過ごしており、は内心奥州の厳寒と彼女らの逞しさ感じざるを得ない。
 何か生けようかと庭の木々から南天を選び和鋏を添えたところ、何処からかガサガサと動く気配がする。喜多らとそちらに目をやれば可愛らしい声が響く。
「まいったなー、完全に迷子になっちまっただ」
 十一、ニ歳くらいだろうか。おおよそ城の者ではない出で立ちの娘がキョロキョロと辺りを見回し、図らずも目が合った。大きな眸がとても愛らしい。
「あ、ねえちゃん。ここどこだか? おら青いおさむらいさんの嫁さんに会いに来ただども迷っちまっただ」
「青いおさむらいさん、ですか?」
「んだ。このお城のお殿様だ」
「まあ」
 喜多と侍女頭が慌てて侵入者の所へ来たが、大事無いと止める。
「私はというの、貴女のお名前は?」
「おらいつき。青いおさむらいさんに今日は年貢の話をしに来ただ」
「まあ、貴女が一揆衆の長をされている方なのね」
「んだ。でもあんまり褒められたもんじゃねえべ」
 笑顔の中にも若干の驚きを含んでは答えた。自分より年下の力を持たぬ娘が、武士相手に、政宗相手にかつては武器を握ったのだ。この娘はあどけない中にも自分にはない強さを秘めている。
「えとねえちゃん、青いおさむらいさんのお嫁さんのお部屋どこだか知ってるだか? 一応青いおさむらいさんの許可はもらってるんだども」
 その言葉に目を瞬いたが、すぐに笑顔で頷いた。
「ええ、よく存じてます」
「教えてもらっていいだか?」
「もちろん」
 首を傾げるいつきの所作が可愛らしくて、自身のことを政宗の嫁と表現されたことも格段心に掛からなかった。つられるようににっこりとするに、喜多と侍女頭、そしてお付きの侍女たちは安心すると共に笑いを堪えた。
 は自分の住処を指差してまた破顔する。
「お嫁さんのお部屋はこちら」
「わ、当たりだったべか!」
「そしてお嫁さんはここ」
「!! わぁっ!」
 が自分を指しそう言うといつきは飛び上がるほど驚いた。予想通りの反応に皆噴出してしまったが、口々にごめんなさいね、と言うといつきは怒ったりはしなかった。
姫様、お人が悪うございます」
 と侍女頭が言うが、一番笑いを堪えていたのは誰であろう彼女だ。
「いつきさんいらっしゃい、こちらで茶菓子でも如何ですか?」
「わーい! 貰っていいだか!? ありがとう! あ、でもさんって呼ばれるのはむず痒いべ」
「ではいつきちゃん、どうぞこちらに。南天を活けながらお話することになるけどかまわない?」
「もちろん!」
「皆も一緒に茶菓子を頂きましょう」
 いつきは正座があまり好きではないらしく、ひょいと落縁に座り足をぶらぶらさせている。も落縁に腰掛けて南天を活け、普段隅に控える侍女たちも側まで来て座し、茶菓子が並べられた。
 からかってしまったからお詫びにあげましょう、と喜多がいつきに自分の茶菓子を差し出すと、あら私も私もと皆がいつきの皿に菓子を載せていった。最初こそ喜んでいたいつきだったが、明らかな供給過多だ。どうしようかと固まっている彼女に、日持ちが良いから食べ切れなければ持って帰るといいと伝えると年齢相応の笑顔をみせた。
 二人は半時以上話し、政宗が一揆を治めたことや、小十郎が野菜を育てていることなど耳新しい話を聞くことが出来た。いつきは政宗からが紐を織ることを訊いたらしく機織に興味を示し、嬉しかったのか珍しく楽しそうに話すに気を良くした喜多達もいつきの言葉遣いや所作を咎めることはしなかった。

 だがそれを快く思わぬ者は居て、異物よと蔑ずむ性根があるのだ。ふいに透渡殿の方から明らかな悪意を孕んだ声音がたちに届く。
「ああ嫌だこと、土臭くて敵わないわ。その辺のものに手垢が付かないと良いのだけど」
「御正室様は泥だらけの下々のものといるのがいいとみえる」
「真田幸村も食わせ者、血を絶やさぬ為に妹を伊達家に送るなんて」
「武田の重臣風情が奥州筆頭のお血筋を狙うなど、さすがは困窮するお公家様の血を継いでらっしゃるわ、武家に縋る姿は卑しいこと!」
「貧乏公家のお血筋が卑しい農民風情と一緒にいるのは案外お似合いなんじゃありませんの?」
「お公家の血など入ったら伊達の血が損なわれるわ」
 何事かと見れば最初の引き合わせ以来顔を会わせたことのない側室三人が佇んでいた。艶やかな打掛に華やかな容姿の彼女たちが聞こえよがしに発する言葉は姿形に酷く不似合いで、心根の醜さを感じさせるには十分だった。いつきは驚いて目を丸くし、喜多も侍女頭も立ち上がって抗議しようとする、が、はそれを制した。
姫様っ……」
 側室たちは嘲笑を含み雪洞で顔を隠しながらこちらを見ていたが反応のないに鼻白んだか、笑いながらそのまま去って行った。
 だが内心鼻白んだのはも同じだ。あのような物言いは自分の品性を下げるだけではない。政宗の側室、という肩書きを持っている以上政宗の品位をも穢すものだ。ましてやいつきは政宗の客であるというのに。
 喜多達はなおも治まらぬ様子であったのではもう一度制した。
「放っておきましょう、そうせねば心を保てない人たちです。――愚かなことです。土があってこそ実がなろうものを」
姫様……」
「いつきちゃんごめんなさい、気を悪くしたでしょう?」
「泥に塗れてるのは本当のことだべ、さっきの菓子も汚しちまったかもしれねえ」
「そんなこと」
 は大きく頭を振るった。なんと心無い言葉をぶつけるのだろう。
「貴女の手は沢山の実を作り出す手、私の手はただ実を消費するだけの手、どちらの手が尊いと思いますか?」
「ねえちゃん……」
「貴女の手は働くことを知っている尊い手です、政宗公の御手は戦う事を知る猛る手、私の手は白いけどそれはなにもしていないから、おそらく彼女達もそう」
 気に病まないでと言うと、いつきはまじまじとを見つめてきた。
「ねえちゃんは青いおさむらいさんとおんなじだ。ちゃんとおらの名前を聞いてくれて人として扱ってくれる……」
 いつきの言葉の端々には政宗への尊敬が見て取れた。それはきっと政宗が為政者として農民に支持される執政を行っているということなのだろう。
「ご飯ちゃんと食べてけろ。ねえちゃんちょっと細いべ。おらたちが作った米はねえちゃんに食べて欲しいだ」
「そうね、貴女が作ってくれるんですものね」
「ねえちゃんはずっと奥州にいてくれるだか?」
「え?」
「姉ちゃんおらたちに仕事くれただろ? 青いおさむらいさんの遣いの人が言ってただ。縫い物の仕事のおかげで正月はみんないっぱい食べて過ごせるだよ」
 鈴木元信はの提案通り物事を実行してくれたらしい。この場に居ぬ能吏に感謝しながら頷くと、娘の真摯な眼差しが向けられる。
「いてほしいだ。ずっと」
 いつきは思う。
 今までこんな風に扱ってくれる人は青いおさむらいさんたちだけだった。民百姓のことを思ってくれる青いおさむらいさんの傍にこの人もいて欲しい、優しい人だからきっと、青いおさむらいさんも幸せになる。きっとそうなる。いつきは何故か確信にも似たものを感じた。
 対してはとても困った顔になってしまった。
「それは、政宗公に聞いて下さい。私の進退はあの方の言で決まるの」
 その言葉どおり、は自分のことを自分で決める立場にない、そう思っている。後ろで喜多達が揺れているのが感じられた。目の前のいつきのようにちょっと驚くか、困惑顔になっているに違いない。
「でも役に立ってよかったわ、提案したもののそれが良い方に働くか判らなくて」
 と恥ずかしげに答えるにいつきは少しだけほっとする。それからまた暫く止め処ない話が続いた。 
「それにしても……」
「だども……」
 ふと二人の声が重なり、お互いが顔を見合わせる。
「ねえちゃんどうしただ?」
「ああ、えぇ実は今日栽松院様がお見えになるのだけれど」
「さいしょういんさま?」
「政宗公の御祖母様です。ご出家されてそう名乗っておられるの。その方がまだ来られなくて。途中なにかあったのかしら。いつきちゃんは?」
「えっ!? やぁここの庭は広いなって」
「まぁ、そうね私も広すぎて目がまわりそうなのよ」
「ねえちゃんお姫様だべ?」
「実はその実家と規模が違いすぎて……。実家は此処のような華美な庭ではなくて木ももう少し高いの。忍びが潜みやすいようにしてあって……」
「おさむらいにもいろいろあんだべな……」

 村の人にもどうぞと菓子以外のお土産も貰い部屋を辞したがいつきの心は晴れない。
 青いおさむらいさんはあんな可愛い嫁さんがいてどうしてあの化粧おばば共をのさばらせておくんだべ! ねえちゃんがかわいそうだべ! そう発したいのを理性を極限まで上げて堪えていた。怒りは大きな足音になってドカドカと広縁を進む。国主の城で度胸の据わったものだ。
 その度胸の据わった娘がふと抱えた土産の横から先を見ると、先程の側室という名の化粧おばば達がいた場所を睨み付ける尼姿のおばあさんが立っていた。
 田の神さま……すごい念を感じるべ……、と息を呑むが政宗の祖母が今日来ていてその人が尼になっているという話を思い出した。それと同時に目が合った。合ってしまった。
「ええと、あのさいしょういんさま?」
「ふむ、そなた先程の、――よし来やれ」
 ええっと戸惑う間もなく、いつきは栽松院と思われるおばあさんに引き摺られるように広縁を抜けることになった。

- continue -

2011-07-20

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