それから数日、喜多に手配してもらった腰機(こしばた)を前に、は広蓋に並べられた色とりどりの糸を見比べていた。元信が懇意にしている糸屋から献上されたものだった。が紐を織ると知った元信からの心遣いだろう。どれにしようか、と別の糸を手に取るといつも飄々とした声の主が明らかに驚きと戸惑いを含んだ声音を向けてきた。
「え、腰機?」
「成実殿」
広縁の方へ目をやれば予想通りの人物がいて挨拶をしようとすれば、またですか先触れもなく無礼ですよと喜多に怒られていた。生来の人懐っこい笑顔と雰囲気でそれをかわした成実は部屋に入ってきて、彼だけかと思えば小十郎と綱元も後ろに続く。ちらりと自身の横を見れば不穏な空気の喜多がいる。が表立って怒らないので彼女も控えたのだろうか、お茶をお持ちしますと一礼して部屋の外に出て行った。
「姫何か織るの?」
「紐を、狭織(さのはた)を織ろうかと思っておりました」
「え、紐って結うんじゃないの?」
「それは組紐のことですね」
「んじゃこの前梵にあげた紐もこれで織ったの?」
「はい、左様です」
「へえ〜、織物出来るなんてすごいね、何時習ったの?」
「上田に居るときによく話す忍びがおりまして、その人から習いました。でも、これ以外織れないんです。それしか教わってなくて。その人も実用性から織り方を覚えたと言っていましたし」
「そうなんだ」
装飾の意味合いが強い組紐と違い、その強度から刀の下げ緒や鎧兜の紐に使われたこの狭織と呼ばれる紐は、読んで字の如く機で織った平たく狭い紐で、武家社会では重宝されていた。成実たちは機を織ることにも、ましてそれを教えたのが忍びだという話にも面食らったが、武門の誉れ高く、各国に聞こえた忍隊を抱えていた真田家出身のが言うのならば不思議と納得できた。奥州筆頭の正室の居に腰機があるのは十分違和感があったが。
「梵もね、気に入ったってさ。刀の下げ緒に使ってるよ」
は驚きを含んだ表情をしたが、すぐに胸を撫で下ろすように控えめに笑みを作った。
「使っていただけてるのですか? 紐などでは失礼に当たるかと心配しておりました」
「ん」
成実もつられるように笑みを浮かべる。十六歳のと十八歳の成実は歳も近く、人当たりの良い成実には話しやすさも手伝って、小十郎や綱元と話すときより自然に会話することが出来た。気安さから成実が今度は自分にもなにか織ってね、と言い出すと小十郎か綱元かはわからないが首に一撃入れられていた。侍女たちが誰も動揺しないのは暫し見られる光景であるかららしい。
「そうだ姫、今日報告が入ったんだけど今年は豊作だってさ。願掛けの意味あったね」
十月に入ってから何度かその文様着てたでしょ? と彼は続け、は小十郎をチラリと見ると、静かに頷き返された。あのやりとりが筒抜けだったのか、成実が気付いただけなのか真偽は図りかねたが、意図を気取られると何とも気恥ずかしい。
よろしゅうございました、とだけ返して絹糸を仕舞い終えると、喜多が戻ってきて茶と菓子を整える。
「ありがとね〜おいしいよ〜」
「褒めても何も出ませんよ」
相変わらずの辛辣さだと一同思いながら茶に手を付ける。成実はと言えばやはりへこたれることなく屈託のない話を振ってきてほんの少しでもを笑わせようとする。
「姫、変わったことない? 不自由してることあったら喜多達だけじゃなくて俺達にも言ってよ」
「ありがとうございます。変わりありません、皆良くしてくれます」
侍女たちに不満はない、文のことは心を掠めたが奥の揉め事を表で政を司る成実達に言うのは無粋に感じ、触れるのをやめた。
「そっか、――困った”らいあーさん”め」
「え?」
「んーん、そういえばいつも俺達ばかり質問攻めだよね、姫何か聞きたいことある?」
相変わらず眼と口に弧を描く成実の意外な提案だった。彼の言うとおりたまには何か聞いてみてもいいかもしれない、そう思い彼の言葉に従うことにした。
「あの」
「お、なになに?」
「政宗公が異国語をお話になるのは上田に居る頃より噂で存じておりましたけど、よく私に言われるお言葉がわからないのです。お教えいただけますか?」
「なんだろ」
「私のことを指してらっしゃる言葉だと思うのですが、”きてぃ”とはどういう意味なのですか?」
「あーっきてぃね。――うーんそれは梵に聞いた方がいいかも、とういうか聞けばいいのに」
少し困った風な成実に、はそれ以上の困惑顔を作ってしまう。政宗と話す、それはには覚悟のいる話だった。
「喜多殿にも同じことを言われました」
「わ、喜多とお揃い」
「可愛らしい物言いですけど、何故かイラっとするのは気のせいですかしら」
結局、その後ものらりくらりとかわされて政宗に聞けばいいという言葉通り、教えてくれることはなかった。
の前から辞し、成実、小十郎、綱元の三人は困惑気味に話ながら宛がわれた部屋に向かっていた。
「なんというか宜しくないね。姫、梵のこと気になりはするけどすっかり怯えも入ってて」
「相変わらず御子の望みは薄いか」
「身の上を思えば気の毒ではあるがお弱いばかりでは政宗様の御正室は務まらぬ」
「梵も此処最近イライラだしね。まあ仕方ないけど」
三人はつい先日の主君を思い出す。
に付けていた黒脛巾組の一人から、に対して何度か中傷の手紙が来ている。盗み見たが内容は辛辣そのもの、誰が手引きしてるかは確認中だが、内容から側室の誰かであろうと思う、と報告が上がった。
政宗の声音は静かだったが、側近達にはそれに烈火の如く渦巻く怒りが見てとれた。すぐに喜多が呼び出されて問い詰めれば喜多すら知らなかったという。側室達をも問い詰めようとしたが、証拠が挙がらぬのでは惚けられるのが関の山と小十郎が必至に止めたのだった。
何の意地か、当のに聞き出すこともせず悶々と怒りを抱えた政宗はここ数日すごぶる機嫌が悪い。
政宗だけでなく誰あろうこの三人も余り機嫌は宜しくない。側室風情が正室に仇名すという行為に腹を立てるのは勿論であったし、主君に対してもそんなにイライラするならの様子でも見に行けば良いのに、というやきもきした感情も鬱積していた。
停滞した憂鬱を払拭するかのように成実は息を吐き、首の後ろに手を組んで言葉を紡ぐ。止め処ない物言いは彼もまた落ち着いてはいないという様が見て取れる。
「姫、一人の時は泣いて沈むこと多いけど、俺らや梵の前では梃子でも泣かないでしょ? あれが姫の矜持なんだろうけどさ。嫋やかで儚くて消えちゃいそうな姫が最後の予防線……というか梵に対して警戒しているというか、か弱いくせに頼らない所とか、完全に梵の手に落ちないのにもイラついてるんだよねきっと」
「ふむ」
「姫様はあれで芯は手強い方のようだな」
「梵もさぁ見苦しいよ、衣食住全部握って思い通りに出来るはずなのにイライラするばっかで口も手も出さない。いくら保護とか遺言って言葉で片付けても苦しいよ。さっさと手に入れたらいいじゃん。――まあ、姫の気持ちが欲しいんだよね、本心では」
「然もありましょう」
「思えば出会いは強烈だったしね、落城するあの城で姫が一瞬みせた苛烈さにスッカリやられちゃったんじゃないの? ほら、伊達の男って苛烈な女好きじゃん?」
綱元はそれを代々の伊達家の正室に当てはめて思い描いてみた。祖父晴宗然り、父輝宗然り。確かにそうだと思うが胸に収める。
「どんな激しい女かと身構えてみればか弱くって可愛いし、かといって堕ちそうで堕ちないとかたまんなくない? あ、俺は姫に惚れてるとかはないよ? 一男としての意見」
「――政宗様のお気持ちが推し量れたとして、我々はどうすればいいのか……」
「やはり……、現状維持しかないのかね」
はぁ、と三人が大きな溜息を吐く遠くで、左馬之助が伊達軍の兵達と談笑しているのが聞こえる。かすかに判別できるのはどこぞの女が可愛いとか、どうやったら茶に誘えるか、など無邪気極まりない内容だった。
――青筋を浮かばせた三人は無言で左馬之助がいるであろう鍛錬場に方向を変えた。
- continue -
2011-07-17
軽い気持ちで真田紐の話を出してしまったがために辻褄あわせが大変になりました。組み紐みたいに結うんだと思ってましたorz