心浮かぬを置き去りにして、祝言の準備は順調に進みそのまま当日を迎えた。あの後、事の顛末を侍女に聞いた喜多が慌てて戻ってきて、政宗の物言いに激怒したという。
は参ってしまっていてその様子を目にすることはなかったが、後日侍女よりそれは相当なものであったと聞いた。その話にも心が晴れることはなく、まるで他人事のように運ぶ有様に只一人置き去りになるような感覚を覚える。
あれよあれよと日は過ぎて、婚礼の儀の前日になるとに鬢批の儀が行われた。誰の口から政宗に伝えられたかは分からないが、の出自と体裁を整えるためには必要だったのだろう。
鬢親は政宗。鬢親は通常父兄や許婚が務めるので妥当と言えば妥当だ。だが何の因果だろう。鬢批を気にかけていた兄は死に、その仇が兄の役を務めている。
政宗が髪に触れた瞬間、はびくりと震えた。長さが見たいから顔を上げろ、と彼に言われるまでは顔を上げ視線を合わせることが出来なかった。
政宗の手ではらりはらりと鬢が削がれていくのを遠くに感じながら心は泣いていた。は仇の手で成人となったのだ。
いわゆる婚礼の儀は一昨日から行われ、一昨日の夜は母の実家である菊亭家より祖父の代理の使者が遣わされ、お暇乞の式が行われた。会ったことのない祖父、そしてその代理とかわらけで酒を酌み交わしても、感慨に浸るなどあるはずもなく、鬢批共々これが兄やお館様であったならと思わずにはいられない。
婚礼が行われる城には住んでいる為、昨日行われた出立の儀も形ばかりとなり、菊亭家の送り役からお迎え役を受けた綱元と、迎え女房役を受けた喜多に連れられ普段とは違う部屋に押し込まれ夜を明かした。
結婚の儀当日を迎えた今日になっても浮かぬ表情のに喜多は、御祖父様から沢山のお祝いが届いておりますよ、と目の前に次々に祝いの品を出してきた。清華家とはいえ満足な禄も権力もない公家のこと、帝さえ困窮する時代にこれほどの品が贈られるはずがなかった。真田家から援助をしたことも度々あったし、此度も伊達家から連絡が行き、援助されこの品を出したのだと容易に想像がついた。品々の背後にある思惑に察しがつけばことさら情けなく、背にかかる菊亭家の命運も感じずにはいられない。
翳りがちなの心を慰めたのは、政宗の父方祖母である栽松院からの心遣いだった。
――本当は祝いに参上したかったが、尼姿故、慶事には相応しくなく、杉目城よりお祝い申し上げる。自分も囚われて伊達に来た故、心が伴わぬことが多々あると察する。何かあれば杉目を頼るように。
という文と共に、婚礼の祝いのほか、日々過ごすのに手持ち無沙汰にならぬようにと、書物、箏、茶道、香道の道具類が手配され、さらに栽松院付きのを長く勤めた老女を遣わしてくれた。喜多は傳役として、この老女は侍女頭としてに付くことになる。
老女は喜多に負けぬ剛毅な女性で、また子供の頃の政宗の世話もしていたらしく相当なつわものらしかった。
「政宗様が何を仰られようと、びくとも致しませんよ。政宗様のおねしょをお替え申し上げたのは誰だと心得ます。ねえ綱元殿? 姫様、何かありましたら私の後ろにお隠れくださいね」
そう言い放つ彼女に、綱元は苦笑いをし、喜多は高笑いをした。
「栽松院様付きの者達には政宗様は頭がお上がりになりません。政宗様に言いにくいことなど多々あると思われます。私でも結構ですが、侍女頭殿にお言いになればすぐに動いてくださいますよ」
「ありがとう、政宗公は栽松院様が御育てになられたの?」
「はい、最初はお母君のお手元で育てられたのですが、お母君はご実家寄りの方でいらして伊達の将来を考えになられたご先代輝宗様が離されました。其のうち疱瘡を罹患され右目を失われますと疎んじられるようになり、お側にも寄せ付けになりませんでした」
「まあ」
「弟君がお生まれになるとさらに顕著にされるものですから、不憫に思われた輝宗様が栽松院様のお手元にお預けになられたのです」
「お母君のご実家最上家はことあるごとに政宗様の御命を狙っておられる。栽松院様のお手元に在られる時も政宗様付きのお毒見役が死に至ったこともございました。姫様におかれましてはお母君と最上家にはご警戒されるようお願い申し上げます」
喜多、侍女頭、綱元がそれぞれに幼少時の政宗を語り、その不遇さと姑となる母君に息を呑んだ。政宗のあの冷たさもこれが起因するに違いないと思わざるを得ない。様々な品の端に、政宗母方伯父である最上義光からの品を目に留めるとは背筋が凍る思いがした。
先触れがきて、被衣を被り大広間である外御書院に誘導されれば、政宗も、一門も、主だった家臣もすでに集まっていた。蒼の直垂を纏った政宗はを一瞥することもない。静かに横に座ると結婚の儀が始まり祝詞や祝辞があげられ、続いて固めの儀が行われる。
朱塗りの杯に注がれた御酒を夫となる人と酌み交わしても心は沈むばかり。被衣があってよかったと思う。この涙目を人に見られるわけにはいかない。
固めの儀が終わればあとは宴である。宴が始まれば、皆多少気が緩むらしく、主賓ではあるもののに注がれる視線は減り各々酒に肴に舌鼓を打ち、鷹揚に、そして和やかに話を弾ませる。
は漏れそうになる安堵の溜息を抑え、嗜みを持つ武家の姫として政宗の横に控えた。時折、瓶子を手に祝いを述べにくる家臣も出てきて、政宗の杯に注いでいく。主君と家臣の距離が近いのは伊達の、もしくは政宗の気風なのだろう。兄はこういうときは堅苦しくて席を離れることはなかったが、信玄公は注がれる酒は総て呑み、笑い、家臣を大いに接待した。その様がとても懐かしくては政宗を盗み見ていた。
何人も来るので政宗は相当数飲んでいるはずだ。酒を注ぐ家臣にもそれを飲む政宗も、どちらも警戒が足らぬと、小十郎の視線が刺さっているようにも見えた。もっとも、一門ではない小十郎は宛がわれた席も政宗とはより離れており、今日ばかりは面と向かって注意は出来ないらしい。
そのうち成実までも瓶子片手にやってきてなみなみと注ぐものだから、あの右目はきっと呆れていたに違いない。
「姫どーぉ? 酒の匂いに酔ったりしてないー?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
「梵、相当呑んでるから今夜は使い物になんないかも、ごめんねー」
皮肉なことに、政宗と二人でいるより成実が居る方が心安かった。畏まらず被衣から顔を覗かせて首を傾げるに意外にも政宗は不快感を露にした。矛先は当然成実だ。
「黙れ成実。下世話な物言いを教えるな」
「梵こわーい。姫わかんない? 可愛いねー」
「おい成」
「怒っちゃヤダ。梵ちゃん責任重大だよー」
何の話か此処で尋ねるのは多分出過ぎた真似なのだろうと控えて、周りの話に耳をやる。皆一応に喜んで酒を呷り、笑う。見届け役として菊亭家より遣わされた使者も式の倣いでとは最も離れた末席に居たが、政宗の側近や一門の人間に酒を振舞われ丁寧にもてなされていた。公卿の遣いとして身持ちを崩すことはなかったが、悪い気はしないだろう。
気掛かりも消えて成実に視線を戻そうとしたところだった。の耳を突いた言葉に思わず手が止まる。
「――さてもさても、女子(おなご)の一生とは分からぬもの。男(おのこ)は生きる様も行く末もすべてを決められるが、女子は自分で生きる道も選ぶことは出来ぬ。さりとて、男が死しても、仇の腕(かいな)の中で生きることが出来る。すべてを繋ぐことが出来る。はてさてどちらが良いのやら」
「屈辱を甘んじて受けて生きるか、それとも復讐の機を狙うか、――答えが出んのう」
「そうかな、女子は得じゃと思うが」
「そうじゃそうじゃ、政宗様のような方に目をかけて頂ければ、このように御正室に迎えていただけるのだぞ」
「だがどうかな、あの真田のお血筋、案外首を狙ろうておられるかもしれぬぞ」
戦国の世、戦に負ければ男は大抵死ぬしかない。その妻や娘は貞操の危機に晒されたりする場合もあったが敵方の情けで生き延びることは多々あった。故にこのような戯言はありふれたものだろう。そしてこの席では誰がどう聞いてものことに他ならない。敗者であるのだから蔭で言われるのは仕方がない。だがよもやこのような席で聞かされようとは。
は思わず固まって、だが動揺が漏れぬよう息を殺した。
しかしその言は酒に載って声高であったらしく、政宗や成実、そして他の人間の耳にも入っていた。周囲は息を飲み、まずいことにあの菊亭家の使者の耳にも入っていたようで表情が険しくなっている。権力はないとはいえ、大臣を輩出する公卿の血を引くが軽んじられる発言は許せるはずがない。
「――っこのっ……」
「成、待て」
を貶めるということは、その殿御となる政宗を貶めるということだ。使者同様、成実も当然見過ごせるものでない。だがここで一門である成実が叱り付ければ、この話を酒の席の戯言と流せなくなってしまう。何らかの形で言うた者の処分を政宗はしなければならないし菊亭家からも物言いが付くだろう。
はこういうときの対処法を知っている。言われた自分が従容として構えればいいのだ。
だが逃げてしまいたかった。自分とてここに居るのは本意ではない。分かってもらいたいとは思わないが、人の気も知らずこのような物言いをする者を面と向かって非難することが出来ないのも悔しかった。しかしどう嘆いても自分で道を切り開くしかない。
宴の席は否応なく張り詰めていた。誰か適当な者がこの場を治めてくれ、皆の目がそう語っている。うまく行かねば最悪刃が出てくるかもしれない。
絢は静かに伏せた目を開き、話の出所へ首を向けた。驚く彼らに被衣を少し上げて笑んだ後、続いて使者の方へ大事無いと頷いた。それは何もなくこの場を治めて欲しいという意思表示だ。
「あ、いや、これは大変に失礼を申しました。お許しを!」
「飲みすぎだ」
酔いが醒めたのであろうか、頭を床に摩り付けて平伏する家臣に、政宗は一言だけそう言った。菊亭家からの使者は何も言うこともなく一門と再び酒を呑みはじめた。窘めるにはそれで十分だったのだろう。
これ以上空気が悪くなるのを阻止するように左馬之助が大量の瓶子を持ってきて家臣に差し出す。
「祝いの席っす。酔いつぶれてしまいましょう」
宴の終盤には彼と左馬之助は本当に酔いつぶれてしまった。この発言への咎は酔いつぶされたことによってご破算になるだろう。
「姫、よく出来たね」
「いえ……」
安堵の息とは裏腹に、手を握り締め言葉少なに返せばその横にいる政宗と眼が合う。
何事もなく良かったと思う反面、上田で真田の姫としていた頃はもっとはっきり意見もしただろうし、抗議もしたかもしれない。そう思えば郷愁が募る。
あの頃とはもう違う。立場を踏まえて大人になっていくのだろうか、否。
伊達に在って心が殺がれているのだ。いつの間にか淑やかな物分りの良い女の仮面を被って己を削り続けてる。
だが、兄の枷になってしまった罪と後悔を思えば心が殺がれるなどどうということはない、ただそう思えた。
- continue -
2011-06-20
筆頭の手で大人になるとか!(如何わしい意味じゃないよ!)ハァハァしませんか?私はする!
3の最上さんは筆頭の伯父様……には見えず、ココでは別の方を想い描いて書いております。