乃東枯(五)

 国主である政宗の婚儀決定に、三者三様それぞれの思惑はあるものの、城内は一様に浮き足立っている。ことに喜んだ厨(台所)方が大量の酒を出してきて、一門も家臣も入り乱れての宴になりつつあった。
 左馬之助はすっかり出来上がった兵士たちに交じりながら周囲の会話に耳を済ませている。
 意外にも伊達家の身内である一門や、政宗とことあるごとにぶつかりがちな老臣連中からは納得の声が多く彼を驚かせた。
「やれやれ、我らも口をすっぱく言うたが政宗様があれで落ち着いて下さるならそれでよい」
「政景殿が納得されておるなら我らが口を出すこともあるまいよ」
「そうよそうよ、なんにせよ御身を固める気になられたのはよいことぞ。下手に反対してその気を削いでしまっては御世継様にお会いできるのはいつの日かと。我ら死ぬに死ねぬわ」
「さりとて気を引き締めねば。この婚儀、最上や近隣の大名が何かしてこないか我らが眼を光らせねばのう」
「どうれ、そのときは北は儂が見ようぞ」
 酒を酌み交わしながら語る彼らははやり伊達の歴戦の老将であった。昔気質できつい一言も臆面もなく言う彼らであったので政宗に煙たがれることは多々あったが。
 左馬之助もなっていないとよく怒られたが、今は茶菓子でも贈りつけてやりたい気分だ。 他はどうかとぐるりと視線を部屋の中ほどにやれば、三人いる政宗の側室の身内連中が集まっていた。
「案ずることはない、血筋が良いご正室でも後ろ盾のない姫など。子が生まれても守れまいよ」
「筆頭の気が反れぬ内になんとしても先に御嫡子を……」
 おおこわいこわい、悪巧みに余念がないっすね、と内心肩を竦める。
 一応報告を入れておけば小十郎あたりが黒脛巾組でも割いてくれるだろうと酒を注ぎ足す。時折話しかけてくる兵士たちと一言二言相槌を打っていると、いつの間にやら酒や料理を運んできた侍女たちも話しに加わり始めており場は益々賑やかになっていた。
 女手があれば男というものは気分が高揚するものだ。女子たちが興味津々の態で甲斐から来た姫君について聞くと、上機嫌に会話が弾む。
「滅んだ家の姫を御正室にまでするなんて余程ご寵愛なのねぇ」
「お殿様、どちらかと言えば女子には冷たい感じの方だったのに」
「筆頭は硬派なだけなんだよ」
「守ってあげたいお姫様なのかもね〜、ほら手ずから奥まで運ばれるぐらいだし」
「ちょっとーあんたたちどんなお姫様か見なかったの?」
「片倉様達がお世話してて出てこない御方だからほとんどわかんねーよ。奥州に来る時は喜多様が完全にお隠しになっていたし」
「まぁ羨ましい!」
「俺達より、あんたらの方が姫様見る機会が多いんじゃねえの?」
「それがお付の人以外寄れないのよ」
「喜多様と三傑の方に守らせるなんて余程の掌中の珠なのね」
「お殿様の御祖父様も情熱的な方だったしねー。久保姫様を婚礼行列からお奪いになって熱愛されたそうよ!」
「甲斐からこられた方は久保姫様もかくやの美しさなのかしら」
 政宗の祖父は他家に嫁ぐはずであった祖母をその道すがら連れ去り寵愛した。出会いは物騒なものであったが、祖父は側室を作らず二人は六男五女に恵まれたという。
 落ちゆく城という儚くも峻烈な場所で出会い、図らずも政宗の手に堕ちたの話は、政宗祖父母の話と相俟って女達の心を擽りるには十分だった。
「お殿様は久保姫様に可愛がられてお育ちになったようだし、案外ご自分も倣われてるとか?」
「お姫様の兄君に妹を頼むと言われたそうだよ」
「それで御正室に? 律儀なお殿様」
「真田は筆頭が好敵手にしてた男だったからなー! 男の約束を守る筆頭coooool!」
「さすが俺達の筆頭だぜ!」
 政宗を称賛する話になると今度は男達が盛り上がる。いかに政宗が痺れるほど粋か、強いか、頼りになるか、彼らは延々と語りだすのだ。
 だから女にモテないっす……、左馬之助は心の中で泣いた。
 しかし、とふと思い至る。政宗と幸村のやりとりがここまで広まっているのか。いずれにせよ政宗にとって損になる逸話ではない、そう思って口を挟むのを止めた。
 暫く思案にくれていたがそのうち、原田殿、成実様がお呼びです。と耳打ちされれば、少し人の悪い笑みを浮かべ酒樽を抱えた主君の従弟の顔が脳裏に過ぎ、嗚呼きっと今夜は帰して貰えないっすねと諦観した。だが彼が警戒すべきは成実ではなく酒樽が齎す二日酔いであったということを思い知るのは翌日のことである。

 一方、夜の帳が降りきった頃、の許には政宗が来訪していた。侍女の殆どは急な宴があるとかで出払っており人少なになった居室に、奥州に来て初めての訪問でしかも夜であった為、伽ではないかと邪推した侍女にもしやと耳打ちされ、は戦々恐々とした想いだった。
 また、甲斐の寺で彼に痛烈に叱責されたのも今夜のような夜であったのを思い出し、彼に首を垂れながら只々身を硬くするしかなかった。の心内を知ってか知らずか、政宗は不機嫌そうで挨拶も甲斐の夜のような当たり障りのない前置きもはせず、いきなり本題を突いた。
「今日」
「はい」
「――俺とアンタの祝言が決まった」
 総毛立った。
 主君の慶事に侍女たちは次々に祝辞を述べ、その番(つがい)となるは下げた頭を上げることが出来なかった。どういう顔をすればいいのか、何を述べろというのか、途方にくれるしかない。一呼吸置いて、脳を突く声が聞こえるまでは。
「虎おっさんの末娘が――」
「!」
 怖れも忘れ思わず顔を上げると、唇の端を吊り上げた政宗が片膝をついて目の前に居た。あの夜のようにの顎に手を添えて視線を逸らすことを許さない。
「――手に入るなら正室にする予定だったが……姫の身代わりに残ったんだろう? その役目果たしてもらう、本望だろ」
「……っ」
 嵌めるような言い回しをされ、自分は不甲斐なくも簡単に引っかかってしまった。そして追い討ちにとても心無いことを言われている。燈明に揺れる政宗の顔の秀麗さは一層その酷薄さを引き立たせ、成すがままの心は抉られる。
「俺は俺でアンタを手元に置くことで真田との遺言は果たせるし、煩い嫁取りの話もなくなる。まぁ気楽にな、正室といっても無理強いはしねぇ。奥で構えてくれりゃあいい。女は足りてる」
「――っ」
 その言葉には初めて抵抗した。政宗の手を押しのけ横を向き床に両手をつく。今此処で如何こうされる訳ではないという安堵とは裏腹に、その価値すら自分にはないのだと思い知らされ、屈辱が胸に爆ぜる。
 政宗の子をあげろなどと、真田を再興出来るなどと、あの側近達は臆面もなく言えたものだ。
「なんだ、手を出して欲しいのか? kitty?」
「なっ……」
「なんなら今でもいいぜ?」
「は! 破廉恥です!」
「おいおい兄貴と同じ物言いすんなよ」
 唇を三日月の形に描きながらクククと喉を鳴らして笑ったかと思えば、いきなり腕を掴み顔を寄せてきた。また否応なしに視線が交わり、さらに低く、でも脳裏を揺さぶるような政宗の声がを捉えて離さない。
「屈辱だろうな、泣いて罵倒しても構わないんだぜ」
「私はっ日ノ本一の兵と言われた幸村の妹です。貴方様の前で泣いたりも取り乱したりも致しません」
 なんという嘘か。キッと睨みつけたものの、頭には言われた科白がガンガン鳴り響いているし、声だって震えているに違いない。なけなしの虚勢だとすぐに分かるだろう。
 でもこれは自分にとって最後の矜持であり因(よすが)だ。
 名高き幸村の妹、その誇り地に堕とすまいぞ。背筋を伸ばしてこの竜を見据えなければ。
「Ha! その意気だ、俺と遣り合うんならその位の心持ちがないとやってけないぜ」
 政宗の眼光が一瞬弱くなり表情が曇ったような気がした、が、その口はまた三日月を描き、自若の態で対してくる。
「まぁそのうち、望むなら閨で啼かしてやるよ」
 彼はそう言い捨てると一瞥もせず去っていった。足音が遠のき、開放されたは只手をついて震えた。
「もう今宵はいいから、皆下がって」
 噂とは余りに違う二人に、侍女たちは驚いて言いあぐねる様子だったが、そこはそれ、喜多の教育が行き届いているのか、何も言わず逆らわず、夜の闇へ辞した。
 一人きりになった部屋で、柱に寄りかかり涙にくれる。
 自ら望んで尼になって世を捨てるのと、俗世にあっても省みられずここに在るのとどちらが生きているというのか。どうしてこの男にこんなにも心を抉られなければならないのか、それは敗残者の悲しさ、甘んじて受けなければならないのだろうか。
「政宗公の言うとおり、自分で選んでしまったんだから仕方ない…………兄様……」
 そうだ、短慮で兄を死なせ自らも死のうとした者が、子を残せるならと家を再興出来るならと、一瞬でも考えてしまったのが間違いだ。

 床に流れる緋色の打掛の美しい様が悲嘆にくれるの血反吐のようでとても痛ましく、雲はそれを隠すように月を覆った。

- continue -

2011-06-16

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