乃東枯(四)

 甲斐を手中にいれたことに、奥州へ帰還して十日以上たった今でも家臣も領民も熱狂的でお祭り騒ぎ状態であった。それほど、武田を討ったという事実は大きく、またそれ故に対外的なことにも神経を研ぎ澄まさねばならなかった。
 奥州の他の領主達も、全国の名だたる大名達も、伊達家の動向は固唾を呑んで見守っている。新領を手に入れた今は慎重に物事を運ばねばならない。
 各地に飛ばしている伊達家の忍び黒脛巾組から聞こえるのは、伊達との同盟を望む勢力が増えている、確かなものにするためにも、現在正室不在の政宗との婚姻をもって同盟をしたいとする領主が奥州内外にいるというものだった。
 政宗にとっての強みは、嫁に出す姉妹がいないということであった。この場合こちらの懐から身内を出さずとも相手の娘を貰えばよいだけのこと、先々揉め事があっても政宗は痛くも痒くもない。肉親が少ないのは痛いといえば痛いことであったが、いざこちらから嫁を出さねばならない時は一門から娘を養女に貰い外に出せば済むことだと割り切っていた。
 だが自身に降りかかる縁談は一門からも家臣からもすっぱく言われていたし、甲斐攻略でその数が一気に増えてしまった。一部の家臣からは側室に娘をどうかと言う話も出てきて、いい加減面倒くさくなっていた。
 その日政宗は、家臣団を集めた評定の席で小十郎を通じ、甲斐より連れ帰った真田の姫を正室に迎え入れる旨を皆に告げた。
 すでに噂になっていたのこと、政宗と共に甲斐に出た多くの家臣からは支持を得たが当然渋い顔をする者達もいる。古い考えの老人達やいずれは正室に格上げしたいと望む側室達の身内、評定は紛糾する。
姫様個人が駄目だというのではありませんし、含む所があるわけでもありません。然りながら御実家もない姫様をご正室にお迎えになっても伊達家に利があるとは思えませぬ。畏れながら、お傍に置かれたいと思われるならご側室の中で一位という位置付けでお迎えになられては如何でしょうか?」
 冷静に尤もな反対意見を述べたのは叔父の留守政景だった。政宗の父輝宗のすぐ下の弟で、政宗が家督相続をした折には後見役も勤めたこの叔父の意見に反対派は勢いづいて畳み掛けてくる。
「奥州は政宗様の御手にございます。ですが何かときな臭い。ここで地盤固めの為にも奥州の姫をお迎えになられたほうが良いかと思います」
「何を申すか。伊達家はこれから天下を、上洛を目指すのだぞ。上方に近い大名の姫を娶られるのがよいではないか」
 どちらも尤もな意見だ。だが政宗の心には響かない。そろそろか、と脇息に凭れかかったまま表情を変えず静かに口火を切った。
「奥州の姫か。それなら先代以前と変わらねえな」
「政宗様」
「今までの奥州はどうだ? 裏切っては攻め裏切っては攻め、伊達も随分痛い思いをしたはずだ。潰そうとすれば他の誰かが講和させ、根本から解決しない。それ故、奥州は他に遅れた。俺は親戚同士の傷の舐め合いもう御免だな。……それから実家の強い大名の娘っていうのも勘弁願いたいね。うちの鬼姫さんがいい例だろ? いちいち天下取りに口出しされたんじゃたまんねぇ」
 政宗は手の中の雪洞を開いては閉じを繰り返しながら息を吐くように言った。
「――そこまでお考えでございましたか、ならば奥州の姫をとは申しますまい。ですが畏れながら政宗様、武田の重臣であった家の姫ではご正室にはちとご身分が。伊達家は鎌倉より続く名家にござりますれば、大名家よりお迎えなさるのが妥当かと思われます。また、姫様の御身の安全の為にこちらへつれて来られたのでしたら真田殿のご遺言も考慮してそのまま政宗様のご養女とされて然るべきお家に嫁がされるのもよろしいかと」
 この叔父は、と政宗は唇を歪めた。この優秀すぎる叔父は父輝宗に可愛がられ、政宗も重用していた。二人の間に情愛がないことを見抜いているであろう政景は政宗がどういう意図で正室に迎えたいのか、うまく引き出そうとしている。これだから困る、と内心苦笑し、それならばと同じく重用する能吏を呼ぶ。
「綱元」  
「はっ、――されば、政景様、政宗様にもお考えがおありなのです」
「ほう綱元、どのような?」
「ご存知の通り真田家は上田に城を持っておりましたが武田の重臣、伊達家とは差があります。――ですが姫様の母君、山手殿は菊亭晴季様のご息女であられる」
「菊亭? 今出川のか?」
「左様にございます」
「それが誠なら清華家ではないか」
 周囲は途端ざわりとする。まさか、皆そう呟いた。
 菊亭家とは京の公家衆だ。その公家の中にも順位付けがある。上から摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家。清華家は摂家より下であったが、太政大臣の位まで上ることが可能であった。
 武士が力を持つに比例して、公家衆は権勢を失ったが、長く続く歴史と格式、そして帝に続く血統やコネは天下を目指す者達には決して粗略には出来ないものがあった。帝を蔑ろにする者は長い天下は望めない。故に乱世になろうとも大名達は朝廷への献上をしばしば行い、公卿とも親しくした。
「お血筋よろしくかといって口煩いご実家もない。伊達家に、いえ奥州筆頭たる政宗様には相応しい方かと」 
 政景が妙に芝居がかったように驚き、対して綱元は怜悧な能吏の顔で話す。政宗は噴出したかった。ふいと小十郎をみれば眉間に皺をよせており、知らぬ者が見れば気難しい顔をしていると思うだろう、だが、長年彼を知る政宗には、その皺が笑いを堪える為に寄せているものだと察しがついた。
 視線を戻せば一門はじめ家臣団は驚き、ざわりとしはじめている。もう一押しだ。
「なるほど、いや意外だ。武田の重臣の姫がまさか公卿の血を引いておられるとは。それならばみすみす他家に出すなど出来ぬ」
「私も聞き知った時には驚きました。信玄公が京の三条家より御正室を娶られる際に今川家が斡旋し、その伝で信厚い真田家にも格別の心遣いがあったと考えられまする。すでに菊亭家に近しい者から確認もとれております」
 政景はふむ、と唸り腕を組んだ。
「納得したかい? 留守の叔父貴」
「は、異存ございません」
 政宗の言葉に政景が恭しく頭を下げれば、他の者達もそれに倣う。政宗に近い成実は元よりこの話に賛成、そして後見たる政景が認めてしまえば誰が反対しようが造作もない。
 そして何より政宗に心酔する伊達の兵達、彼らがいれば一門など取るに足らないのだ。政宗は身を乗り出し重臣らの前で猛る。
「この伊達政宗! 奥州だけで終わる気はねぇ! これはその為の布石だ。――姫を娶ることによって新たに獲た武田の旧家臣の取り込みも楽になるだろう。甲斐の次はどこだ? テメェら!!」
「上洛っす! 上洛っすね!!」
「さすが筆頭考えてる!!」
「うおおおお筆頭ーーーー!!!!」
 熱狂的な歓声が場を包み、評定はそれを持って終了とされた。

 書院に退いた政宗は、成実、小十郎、綱元、そして留守政景を伴って談笑していた。気楽な場であったので酒でも交わしたい気分であったが、政景に日も高いのでとやんわり言われ茶を用意されたのであった。用意された茶菓は悪くなく、素直に叔父の顔を立てることにした。
「叔父貴、綱元と予め口裏合わせてたろ」
「円滑に進みましたでしょう?」
「分かり易過ぎてまいったよ、なあ小十郎」
 ハハハと笑う政景に、ばれていたかと喉を詰まらせる小十郎。政宗は転んでもただでは起きないのだ。
「そういえば、武田の姫も母君が三条家の者なら清華家の血を引いておられましたな。見つかればそちらのほうが家臣とも揉めなかったやもしれません」
「ああ、そうだな」
 湯呑の中の茶を眺めながら相槌をうった。隻眼に移る茶は綺麗な色で揺らめき、眸を楽しませる。それをぐいと飲み干して政宗は続けた。
「あの女は武田の姫の身代わりで残ってたんだろう? いいんじゃねぇか? その通り身代わりができて」
「梵もきついね、でも武田の姫だった場合はやめたほうがいいかもよ、姫の姉は上杉に嫁いでる。軍神がしゃしゃり出てくるとは思わないけど周囲はそうじゃないかもね」
「違いねぇな」
「まあ、よく分かったよ。養女や家臣に下賜するのは都合が悪いっての」
 公家は困窮しているとはいえ、ただ金品で容易く手に入るものではない。公家の中でも上位でもある清華家、朝廷への繋がりが出来る娘を手放すなど無策でしかない。
 成実は考える。その血を引く娘を家臣に下げ渡して子が出来れば、その子は主君の母より身分が上の母を持つことになる可能性がある。主君の母になるであろう女とて、家臣の子のほうが自分より上の血を持つ女を母とするなど面白いわけがない。そんなつまらない、女同士の些細な歪みが家中に無用の軋轢を生むことにもなりかねないのだ。
姫が家臣の誰かに嫁ぐんなら梵は清華家以上の血を持つ姫を探さないとだし、見つけても実家があるから五月蝿いだろうし、姫や武田の姫みたいに外孫で血を継いでますよぐらいが丁度いい感じかもね」
「だな。あの様子じゃ出家はさせれねぇし、飼い殺しになっちまうがな手元に置いておくしかねぇよ」
「喜多が付いて、多少落ち着いてきたようだけどやっぱりまだ心許ないよ。物思いに耽ってることも多いし。梵の策が一番よさそうだよね」
「手のかかるkittyだな」
 脇息に肘を乗せて政宗は盛大に溜息をつく。
「あ、そうだ梵」
「An?」
姫、鬢批まだみたいよ」
「Ham...十六で鬢批ってのは通例だが世情を考えりゃ遅いな」
「うん。普通さっさと成人させて嫁に出すのにね」
「真田の野郎はアイツを手駒にしなかったってことか」
「そうなるね」
「無策だな。虎のおっさんの末の姫のこともそうだが、あの女を虎おっさんの養女にでもして、織田なり前田なり徳川なりに嫁に出されてたら今頃はこちらが攻められてたかも知れねえのに」
「兄妹仲良かったみたいだよ。まぁ、織田の誰かに嫁ぐって怖すぎだし前田だったら相手は風来坊でしょ、徳川だと織田と敵対してもう虫の息だし、真田じゃなくても嫁にはやれない気がするよ」
「まあな」
 成実に相槌を打ち気を取り直して、そういえば、と視線を上げた。
「左馬之助はどうした?」
「あー、なんかね伊達軍の奴らと今から酒盛りだー! みたいなノリでそっち行ったよ」
「はあ? アイツめ、主君は茶をすすってるってのに」
「というかまっすぐこちらに来るべきです」
「あやつは成実殿以上に自由人というか……」
「いや、あれで良いのかもしれませんぞ、我らが筆頭の嫁取りだと皆浮き足立っておりましょうし、盛り上げ役は必要でしょう?」
 政宗は苦笑いをし、小十郎は眉間に皺を寄せ、政景は大笑いをした。

- continue -

2011-06-11

側室が正室に格上げっていうのは実際には殆どないみたいです。
小十郎の息子さんに嫁いだ幸村の娘さんは側室⇒正室(継室)になったみたいですが。
山手殿は正親町実彦の娘or姪で武田信玄養女説が一番有力なのだそうですが、正親町家だと家格が羽林家になるのと、お館様の養女が幸村のお父さんのお嫁さんで……だらっしゃぁあああああああああ!!!お館様いくつやねん!と管理人の頭が火を噴いたので菊亭晴季の娘としました。(これも年齢的な矛盾があるんですけどね)
宇多頼忠の娘説にすると面白かったかもしれません。妹に三成の正室もいるし。そのまま3に繋げる話を書いても良いかと思ったんですが幸村死亡のままそこまで続けるのも心苦しいのでこの説はとりませんでした