乃東枯(一)

 伊達と武田の戦が終わって一月、仕置が完了し治安が落ち着き領民も戻りはじめると伊達軍も城代を置いて奥州に戻ることになり、の周りも俄かに騒がしくなってきている。
 その後の武田側の顛末は娘や老婆の気遣いから知ることが出来た。それは胸を痛めるばかりの話であったが。
 信玄公の女君達はやはり城に残り最期を共にしたという。生き残ったのは総じて女子ばかり。家臣の年端も行かぬ幼子とその母、そして嫁入り前の娘らであった。死なすには忍びないと信玄公が逃がしたらしい。
 だが男子を持つ母らは男は成長すれば殺される、それならばと己が手にかけ共に三途の川を渡ったそうだ。
 どのような想いで最期を遂げたかと想像すれば息をすることすら苦しく、生あることがとても罪深く思える。
 逃がされた女子らは城から落ち延び離散するはずだったが、殆どは伊達軍に保護され、家がある者は帰され、また滅びた者は勲功あった武将に下賜され、政宗の下にいるのはだけであるという。
 落武者狩りや略奪の一切を禁じていた為、伊達による武田領蹂躙は行われず、敗残の国には珍しく女子の貞操は守られ比較的穏やかに下げ渡しも進んだようだ。とはいえそれはあくまで武家子女らのこと。末端のものはどうなったかわからない。武家の目の届かぬのをいいことに、山賊や火事場泥棒が民家や商家の妻や娘を襲うとも限らない。政宗の手腕が問われるのはこれからだろう。
 徐々に安否が分かる中、今一人、信玄公の落ち延びた姫の行方だけはようとして知れず、人々は様々な推察をしたが発見に繋がる事もなかった。日々の生活に追われてか口端に上ることも減っていき、伊達の陣に在ってただだけが気を揉むこととなった。

 奥州へ行くといってもそれに関して格段宛がわれた仕事などあるはずはなく、兄の仏前に座り込むのがの日課となっている。 
 心配する娘達が気を逸らそうと庭に出るのを勧めるも、外に出れば否応なしに目に入るのは伊達の紋に政宗に忠節を誓う兵達、彼らの見世物にも話の種にもなるのは厭わしい。只静かに亡き者達のことを想い心も身体も委ねてしまうほうが余程楽だった。
 いつものように位牌に手を合わせていると、ふと娘の声が鼓膜に響く。
「もう、水無月でございますね」
「そうね」
 は目を伏せた。本来なら、と思わずには居られない。
「もう、六月になってしまいましたよ、兄様」
 位牌を手にそれを撫でた。
「私の鬢批(びんそぎ)は何時して下さるのですか?」
 本来なら、今まだ武田が在り真田が健在であったのなら、今頃鬢批の儀が行われている頃だ。兄だけでなく、父のないの為に主君信玄も鬢親になろうと言ってくれた。兄や主君の手で髪の末を削ぎ、大人の仲間入りをするはずだった。
 だが武田と伊達の戦が激しくなり兄の居城が落とされ、要害山に居を置いたときには誰もそれに気を回す余裕もなく、不憫に思った兄があの匕首を手渡してきたのだった。
 落ち着けばこれで鬢批をしよう、儀式にはおおよそ似つかわしくない刀だが、と言った兄の顔が浮かんでは消える。
「兄様の刀も取り上げられてしまいました」
 そう言えば血に染まった兄の姿に代わり、の視界はゆがむ。滴が睫を濡らし頬を撫でようとしてくる。
「どうして……」
 どうしてこうなってしまったのだろう。山ばかりの痩せた地で暮らす民を富まそうと領地を広げた主君、それだけでは戦いが治まらぬと上洛を決められたのは何時の頃なのか。殺したくなくても攻めたくなくても殺さねば殺され、攻めなければ滅ぼされる。
 乱世だ。仕方がないと言えばそれまでだ。兄だって戦場では多々人を屠ったのだろう。兄の手で戦場に散った者や自身の所業を思えば悲しむ資格などないのだ。だけど亡き人となった者を恋しく思うのは許して欲しかった。
 気が付けば娘も泣いていた。何故泣くのかと問えば娘は謝って来た。謝る必要はないといえば娘はまた泣いた。
「お姫様、鬼庭様と片倉様がお見えでございます。こちらにお通ししましょうか?」
 いつの間にか老婆が控え、は涙を拭い立ち上がると、いいえ参ります、と告げ娘には休んでいるように申し付けた。それは必要以上に兄の前に来られるのも、気弱な姿を晒すのも躊躇われたからだ。

 涙の跡を気取られぬように気を落ち着けて宛がわれた居室に移動すれば既に彼らは控えていた。
 あれから政宗が訪れることはなく、代わりのように側近の誰かが毎日様子を見に来るようになっている。最初こそ拒絶していたが、政宗の命だと言われれば断ることも出来ず来れば少しずつ話すようになった。
 訪れる側近は大体決まっていた。伊達成実、鬼庭綱元、原田宗時、片倉小十郎の四人だ。
 伊達成実は政宗にどことなく容姿の似た若い武将で彼の従弟だという。優しく落ち着いた口調で話すのは鬼庭綱元、成実と一緒にいて皆に左馬之助と呼ばれているのは原田宗時、そして小十郎は竜の右目とまで呼ばれ政宗の腹心である片倉小十郎だと知った。
 四人が代わる代わる訪れるものだから、興味本位で覗いていた者達も恐れおののいて近寄らなくなった。彼らの姿を見れば政宗の言葉が思い出され依然として心に強く押しかかったが四人と話す時間があればあるほど、が物思いに耽る時間も減るのも事実だ。
 今日は鬼庭綱元と片倉小十郎がご機嫌伺いという名の様子見に来ている。話の繋がりから綱元がふと身の上話をしだした。
「我らは血の繋がりはありませぬが、姉を介して兄弟なのです」
 綱元は柔和な笑みを湛えている。より二十も年上だと聞いた時は驚いた。優しげな顔付きは若々しくてとてもそうは見えなかったからだ。
「私の父には元々正妻がおりまして、二人の間には子が生まれましたがそれは女子でございました。それから正妻との間に子が出来ず、そのうち他の女子との間に私が生まれました。父は正妻を離縁し私の母を妻に迎え、離縁された正妻は姉を連れて片倉家に嫁ぎそこで生まれたのが小十郎でございます」
「なんの因果か、良直様もさぞ困惑なさったでしょう」
 綱元と小十郎の会話をは何ともいえぬ想いで聞いた。本当に政宗の正室になって、政宗との間に子が出来なかったら自分もその様に離縁されるのだろうか、そもそも自分達の間に情愛がある訳ではないし、いらぬと言われればもう何も持たない自分はそれに従うしかないのだろう。
「奥州に着かれましたら、今申しました我らの姉が姫様付きの傳役になるかと存じます。姉は政宗様の傳役もしておりましたので、政宗様のことで知りたいことがございましたら気軽にお聞き下さい」
 は、はいとぎこちなく頷いて遠慮がちに口を開いた。
「あの」
「いかがなさいました?」
「”姫様”と皆様呼ばれますけど、真田は城主ではありましたが武田の家臣、家格で言えば貴方様方となんら変わりありません。目上の方にその様に傅かれますとどうしていいかわかりません」
 四人の中で比較的気安く話してくるのは成実、左馬之助だった。歳も近かったせいと堅苦しくない口調だった彼らと違い、歳の離れた大人の男であり、政宗より城を預かる小十郎や綱元に頭を下げられるのは苦手だった。
「そのような」
「御衣裳も、このように豪華なものを仕立てて頂いては気後れ致します」
 商家の娘の父が打掛を手に戻ってきたのはあの日から四日後のことだった。夏が近いからと選ばれたのは紗の絹織物で作られた打掛など数点、どれも素晴らしいもので一体どれだけの金が掛かったのかと驚いた。も打掛は身につけるが、贈られた品はどちらかといえば主家の姫君方が纏う高価で格式高いものだった。
「慣れていただかねば困ります。伊達家は奥州探題のお家柄、姫様はその御正室におなりなるのですから」
「眉間に皺がついているよ小十郎。姫様はそのようにご謙遜されますが所作といい良いお作法を学ばれておられる。良い傳役が御付と心得ましたが」
 生真面目な小十郎を嗜め、相変わらず柔和な顔を崩さない綱元。大人な二人にも年齢差は出るものだ。
「母から習いました。母は京の出ゆえそちらの教養には明るい人でしたので」
「左様でしたか、失礼ながら幸村殿とは同じお母君であられますか?」
「はい、兄も母に習っておりましたのであれで香道などの嗜みもありました。父が早くに亡くなって躑躅ヶ崎と上田の城を行き来するようになってからは槍を手にすることが殆どでしたが」
「香道……意外だ」
「仲も良ろしいようにお見受け致します」
「はい、思えばよく気にかけてもらいました」
「お母君の話が出ましたのでお聞きしますが今はどちらに? 落ち着いたとはいえまだまだ予断がなりません。御身の為にもこちらに来ていただけるように手配したく思いますが」
「いえ、母も亡くなりました。もう昔のことです」
 左様でございましたか、と綱元が言い、小十郎は目を閉じた。はふと気付かされる。父も母も兄も居ない。真田の生き残りは自分一人だということに。
姫様、お耳に辛いかと思いますがあえて申し上げます。伊達家の為にも真田家の為にも、なんとしても御子をあげて頂きたい。政宗様には御子がおられません、御身になにかあられた場合伊達家は崩壊致しましょう。無用の戦をせぬ為にも政宗様には、御正室との間に御子が必要なのです」
「綱元殿」
「また、御子が二人三人とお出来になれば真田家の再興も出来ましょう」
 この人は狐だわ、鬼庭家と片倉家の話をしたのもきっと発破を掛ける為だったに違いない、と思い至るもどういう顔したものか分からずは顔を逸らした。思わず綱元を諌めた小十郎もかける言葉を言い倦ねてしまった。
「どうぞ、貴女様が生き残った意味をお考え下さい」
 綱元は深く礼をした。

姫どうだったー?」
 甲斐の名物である葡萄を頬張りながら成実は間延びした口調で小十郎と綱元を迎え入れた。近習が同じく葡萄を用意し始める間、との会話を包み隠さず話しながら綱元は頭をかいた。
「少し苛めすぎたやもしれません」
「やめたげてよー。梵は姫に何も望んでいないんだし」
「私の独断ですよ、心配は尽きなくてね。なあ小十郎」
「ええ、そういう性格なのでしょうが姫は遠慮がちなきらいがおありだ、もう少しお強くなっていただかねば政宗様のお傍でやっていかれるかどうか」
「慎ましやかで贅沢しないのはいい傾向だと思うけど、伊達軍派手だし」
「まあそうだが」
「真田とは兄妹仲は良かったようだ。それが嵩じて政宗様の前で実家大事な振る舞いをなさらなければいいのだが」
「小十郎が警戒するのも分かるけどさ、姫と真田は義姫様と最上じゃないんだしそんなに尖がらないほうがいいよ。真田はいないんだし、義姫様と比べるには嫋やか過ぎるでしょ。あーなんか同じこと梵にも言っとかないといけない気がした」
 むう、とうなる小十郎に成実は内心苦笑した。政宗の母義姫はことあるごとに実家最上家を優先し、しばしば伊達家中を引っ掻き回した。親子関係は旨くいくはずもなく互いが互いを遠ざけ反目し大事を起こした。現在は完膚なきまでに修復は難しい状態である。小十郎が傳役になった当初からそうであったので彼が気を張るのは当然のことであったが。
「小十郎一人が気張らなくてもいいよ。もし姫が梵に仇名すようなことがあれば俺が躊躇なく斬るから」
「成実殿」
「でも、動機はどうあれ梵ちゃんが初めて気を遣うような女性だし嫌いじゃないから、そんなこと仕出かさないで欲しいね」
 飄々とした態度のなかにチラリと見える苛烈さは確かに政宗の血縁だと小十郎は思う。成実は戦場に出れば鬼神のようであったし『武の成実』と呼ばれその名に恥じなかった。彼もまた政宗の大切な片腕である。
「――しかし、本当に御正室に出来るのだろうか。一門がなんというか」
「そうだねぇ」
 大丈夫だよ、とただ一人綱元だけが自信ありげにあの柔和な笑みを浮かべていた。

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2011-05-29

背筋伸ばして物静かに香道やってる幸村ってすっごい萌えませんか!?
20代後半ぐらいに成長した幸村にやっていただきたい!

近世(安土桃山〜)の女性の成人は16歳の6月16日に鬢批(びんそぎ)の儀という髪の左右を削ぐ儀式をするのだそうです。それを行うことで、うちの娘は正式にお嫁にいけますよー!という親御さんの意思表示となったようです。
昔は数え年だから14くらいでしてたんだしょうかね。
ちなみに鬢親(髪を削ぐ人)は許婚や父兄がするようです。