牡丹華(七)

 心配する老婆を下がらせた後、堪えきれなくなったは遺髪を掻き抱き滂沱の涙を流した。口から紡がれる言葉は謝罪と兄のことばかり。
 仇の正室として奥州に迎え入れられると伝えられたことなど我が身には関わりのない出来事のようで、今は只後悔と自分の愚かしさに唇を震わせ噛むしかない。
 部屋の外でその腹心が様子を見ているとも知らず、只管に許しを乞うた。

 主君の命を受け、その様を見ていた小十郎は居た堪れない気持ちを抱きながらも冷静に老婆に差配する。
「あのご様子であるから、鏡台などもお手元から下げて置くように」
「お鏡も、でございますか?」
「割れば身を傷付けかねん」
「かしこまりました」
 老婆は頭を垂れて小十郎の言に従った。小十郎は息を吐きながら頭を抱えた。
「出来れば紐なども遠ざけたいが流石にな、お前達に見張らせるのも限界があるか……」
 この老婆も娘も、商家から臨時に呼び寄せた者達だ。武家の作法を熟知してるわけではないし休まず姫の側に付かせる訳にもいかない。
「おい、居るか?」
 小十郎が庭先に声をかけると影がひとつ揺らいだ。老婆は驚いて息を呑んだ。
「こちらに」
姫の側に適当な者を就けろ」
「委細承知」
 影はそのまま闇に溶け込んだ。老婆に、忍びだ、と手短に言いもう暫く姫の世話をするように伝えると特にすることもなくなったと見た小十郎もまた立ち去り、主君の元へ足を運んだ。

「梵はぶっ飛んでるよ」
 宛がわれた部屋に戻った政宗に、半ば呆れ気味にそういったのは従弟の伊達成実だった。
「An?」
「側室ならまだしも正室って、――真田の妹姫を丁重に扱いたいってのは分かるけどさ。まあ、姫可愛いし?」
 政宗に似た切れ長の目を湾曲させながらそう言うと目の前の従兄は無表情で彼を叩いた。
「後見のない側室は家臣からも捨て置かれるだろ、死なれたら意味がない。正室なら多少人目があるからな。あと梵って呼ぶな」
「痛いよ、でもさ、姫の身が心配ならしっかりした家臣とでも娶わせるか、不安なら養女にでもして後見すればいいんじゃない?」
「ああ、考えなかった訳じゃねぇ、それだとちぃっとばかり都合が悪くてな」
 成実が都合? と聞くとほぼ同時に、一礼して小十郎が入ってくる。政宗は心なしか意地悪な笑みを浮かべた。
「養女にするといつかは嫁に出さないと不自然だし、後見目的で家臣に下賜するなら小十郎でも良かったんだが、嫁取ったばっかだしな」
「は? 一体何の話ですか」
「綱元の年齢だと流石に犯罪だ」
 成実より下座に控えていた鬼庭綱元は困ったように笑った。その横には血気盛んな原田左馬之助が座している。
「梵! 俺達は!?」
 成実は自身と左馬之助を交互に指差し期待宿した眼差しを向けた。今度は政宗が呆れ顔になった。
「お前らに渡したら後見だけじゃ済まねぇだろ。確実に」
「酷い! 信じてよ!」
「可愛くても我慢するっす!」
 やっぱり駄目だな……、と自分の認識を正しいと思いながら政宗は二人を眺めた。
「でさ、養女や下賜が駄目で、梵の手元に置いとかなきゃいけない理由ってなんなの?」
「筆頭惚れたっすか?!」
「違えよ」
 目を輝かせる左馬之助の頭に空の杯を投げると小気味良い音が鳴る。
「素性がどうもな、家臣に下賜するとちぃとばかり厄介みてぇだ。はっきりしたら言う。綱元頼むぞ」
「お任せを」
「で、小十郎どうだった?」
「真田を呼んで泣いておられました」
「世間を知らなさ過ぎるな」
 に充てた娘と老婆の話を聞いた時、政宗は正直頭を抱えた。
 身内を、家を亡くした衝撃から心も身体も弱るのは想定していた。我が身の不幸を嘆いてやがて自分を呪うだろうと。恨み言の一つでも述べるような気丈さがあるなら本人が望むようにさせてやっても良い、そう思っていた。
 だが、あの女は。
 その口から出るのは生きることを諦めた心根と逃した姫の身の心配。自身のことやこれからがないのだ。
「女中に他に誰か保護されてないか聞く辺りでもわかるけどな、少しでも気が利く奴なら誰の身を案じているか、簡単に知れるだろ。着の身着のまま連れ出されて、自身がこれからどうなるかもわからねぇ時に、あっさり他人に簪やっちまったり……真田が心配する訳だ」
「さもしいよりはいいんじゃない? 今は生きる気力がないんだろうね」
「Shit! ――このまま尼寺じゃ本当に野垂れ死にだな。与り知らぬ所で勝手に死なれても胸糞悪ぃ」
 成実に思っていたことを言い当てられ、政宗は大きく溜息をつき半ば捨て鉢になった。
「……Great.(やれやれ)あの時にでも兄の仇、殺してやるくらいの気概で挑んでくるなら安心できるんだが。Hum……だったらそれこそいっそ側室にでもすれば面白かったかもな」
「逆なんじゃない? 気性の激しい女なら遠ざけるのが一番じゃん」
「猛将を産むかもしれねぇぞ。だが正室は駄目だな。奥が荒れる」
「しっかりした女が正室なら奥はまとまるんじゃないの?」
「わかってねぇな成実、しっかりした人間ってぇのと烈女は違うぜ?」
 あぁ〜と思い至った様子で成実は天を仰ぎ、杯に注がれた酒を廻して眺めながら政宗は続ける。
「側室の子なら庶子で済むし、烈女様が騒いでも抑えれるだろ。これが正室だと性質(たち)がわりぃ」
「……政宗様」
 綱元も小十郎も押し黙り主君を見つめる。
「まぁ今のあいつには何も求めねぇよ。反抗しねぇで静かに生きるならそれでいい」
「でも俺らの前では絶対に泣きも取り乱しもしなかったよ。梵は評価低いけど、武家の娘としてはまずますの子だと思うけど」
「Ha! 所詮女だ、今はああだがあいつもどうだかな。女なんてのは最初は殊勝でも手が付けば腹の中じゃ舌を出して喜びやがる。あいつも手篭めにでもすれば豹変するかもしれねぇぞ」
 嘲るように言い放つ政宗に、溜息混じりに首を振って従弟は窘める。
「笑えないよ梵」
「バーカやんねぇよ」
 
 その後、半時程談笑し、小十郎、成実、綱元、左馬之助は辞した。広縁を歩きながら主君の立物に似た形状をする月を眺め、成実は楽しげだ。
「意外だったねぇ。女には一等冷たい梵がさぁ」
「真田幸村の遺言が発端とはいえまさかご正室に迎えるとは」
「まあねぇ、滅亡した国は少なかれず荒れるもんだし、年頃の姫が出家した所で危険が回避できるとは思えないよ。ちゃんとした尼寺でなければえらい目に合うし、そういうの姫ちゃん知らなさそうだしね。正しい判断じゃね? 正室にしとけば押しも押されぬ存在になるし、側室同士の寵争いからも一歩引ける。梵なりの気遣いなんでしょ。――あの梵が女の子に気遣いだよ? 超びっくりだよね」
「確かに。政宗様は基本女子を信用なされぬ。正直欲の捌け口程度にしか思われていない節がおありだ」
 小十郎の言葉どおり、政宗には女性に対して恐ろしく冷淡な男だった。一度抱いて捨てるといったことはざらだったし、家臣から側室を宛がわれれば迎えたが、気が向いた時に抱いて、抱き終わればさっさと部屋に帰った。朝を迎えるまで政宗と褥を共にした女はいないとまで言われ、姦しく側室が騒ぎ立てれば、品を選ぶのすら面倒だと金だけ与えて放置した。数人いる側室すべてにそうであったから、誰が寵を得るか、側室達は与えられた金で着飾り髪の毛一本に至るまで手入れを怠らず互いに競っていた。
「私はね、女子に関しては無関心であられる政宗様があれほどのご勘気を姫に向けたのには驚いたよ」
「向けられた姫はたまったもんじゃないよ」
「それはそうだ」
「私としてはお二人が心通う夫婦(めおと)になって下さればそれで良いのだが……」
「どうなるんすかね、正室を迎えるなら今まで来ていた縁談もすべてなくなるんでしょう? 綱元殿の言うとおりの夫婦になってくれなかったら……」
「自分の縁談を無くす為って狙いもありそうだよね」
「御世継のことを考えると頭が痛いな」
 小十郎、綱元、左馬之助はそれぞれに溜息をつき、一人飄々とした成実は言う。
「大丈夫なんじゃないかな、俺気付いちゃった」
「成実殿なにがですか」
「梵の奴、あそこまで悪態ついてたけどなんだかんだ言って真田に厄介事押し付けられたって言わなかったよね。女のことになるといつも面倒だっていって放り投げるのにさ。真田の遺言ってのを差し引いても、梵にとって姫は今までの女とちょっと違う存在なんじゃない? てかそうあって欲しいんだけど」
「そうなら綱元殿の心配も無くなるっすね」
 そうだなと呟いて綱元は天を仰いだ。成実はもう一度、月に視線を戻して笑った。
「真田幸村はとんでもなくでっかいものを遺してくれたのかもね」

- continue -

2011-05-25

尼寺も慰安所状態になることがあったそうです。格式高いとこじゃないと危なそうですね。

原田左馬之助はモブ武将原田宗時のことです。
大河でも左馬之助と呼ばれていましたね。ちなみに左馬之助役の役者さんはイケメンでした。家臣の中で一番かっこよかったです。