牡丹華(六)

 政宗が本陣に戻ったのは、日もとっぷりくれた頃だった。それまで静かだった本陣が慌しくなり、娘や老婆も忙しなく動き始めた為なんとなく察しがついた。
 戻らぬ食欲に夕餉を取ることも儘ならず、やっとの思いで山桃を飲み込んでは一人、部屋の隅に座り込んだ。何をするでもなく時が過ぎるのを待つのは苦痛だったが、したい事も見当たらない。失った身内を想い、死者に何故だと問いかけても反応が返ってくるはずもなく、考えることも手放そうかと只怠惰に過ごしていた。
 だが次第にそれも躊躇われて、娘が気を遣って寺の僧より借りてきた書物に手を添えたところ、外より慌しく老婆が駆けてくる。
「お姫様、伊達のお殿様がおいでに!」
 血の気が引いた。
 書物を急いで片付け下座に膝を突き、跫音が聞こえ始めるとすぐに手を添え頭を下げながらは身を硬くする。敗将の娘がこのままで済むはずはないのだ。
 老婆も同じ不安を感じたようで、お姫様どうかお気を強くと漏らしたが、答える余裕などあるはずもない。
「Hey kitty.堅苦しい挨拶は抜きだ」
 昨日聞いた低く凄みのある声が頭上を掠める。ドカリ座る音と面を上げるように指示され、は強張る顔をゆっくり晒した。
 政宗は昨日とは違い、鎧を脱ぎ鎧直垂姿に掻い膝の姿勢でを見据えていた。病により片目が見えなくなったと言われているが、その隻眼の眼光は鋭い。秀麗な顔が鋭さを一層際立たせてるようで、は益々身の竦む思いがした。
「あまり食ってないみたいだな、少しは流し込んでおけよ」
「はい」
「打掛はどうした?」
「御前で纏うには汚れております故、間着にて失礼致しとうございます」
「届くように手配しておいたが」
「ありがとうございます。商家が遠くに移っておるらしく難儀しているようです」
 当たり障りない会話にそうかと頷いて、政宗が少し間を置くと付き従ってきた側近が漆の盆を差し出してきた。政宗はそのままそれをの前に進める。
「今日、真田幸村を近くの寺に葬ってきた。ここでは落ち着かねえだろうし、上田じゃなくて悪いが……、戒名だ」
 盆の中には戒名が記された和紙と一房の髪、柔らかい色合いは確かに兄の髪だった。
「位牌は出来次第持ってこさせる」
「お心遣い、痛み入ります」
 動揺を殺し涙を堪えながら静かに礼をのべると政宗は続けた。
「これからどうするつもりだ?」
 意外な問いには目を見張った。自分は捕囚の身、選択権などあるのだろうか。この男は自分をどうするつもりだろうか。兄の遺言といっていた、無体はすまい。恩賞として家臣に下げ渡されるだろうか。娶わされ、子を生すのか、否、今の自分にそんな幸せは眩しいだけ。死ねぬのであればただ心静かに暮らしたい。
「お許し頂けるのであれば、兄の菩提を弔い仏門に入りたく存じます」
「さて、どうするか……」
 政宗は息を吐き、ややあって立ち上がり上座からの目の前に片膝を付いた。 
「――だめだな、もうちっとマシな意見が聞けたなら許してやっても良かったんだが」
 そしての顎をくいと自分の方に向け、先程より幾分低い声が、眼光と同じように鋭さを増し、そしてまたその手と同じようにを捕らえた。
「あの時何故、一人城に残った」
「……っ」
「虎のおっさんの娘の囮になりました、か?」
「!」
 姫の名に、思わず眼を逸らしてしまう。この人は姫を探しているのだろうか、追っ手を差し向ける気だろうか、の顔にはみるみるその色が浮かんでゆく。
 残念ながら政宗と化かし合いが出来るほどの場数は踏んでいない。咄嗟に出たその為様は肯定以外の何物でもなかった。
 好敵手の妹の様子に政宗は露骨に顔を歪め、明らかに怒気を含んだ口調で詰った。
「Shit! 忠義の為なら自分はどうなっても良かったって?」
「そ、れは……」
「Ha! 美談だねぇそれだけなら! foolish!(愚かだ) だがな! 身内が一人城に残って、無作法者に犯されるかもしれないって危機感を持たざるを得なかったてめえの兄貴はどうなる! 冷静に戦場に出れると思うか!」
「――!」
「あの時、真田は焦っていた。虎のおっさんの所に行きたくて焦っていたのかと思ったがそうじゃねぇ、奴が事切れようって時に城に残ってる妹を助けてくれって言いだしてああそうかと納得したぜ」
 は声を出すことも出来ず、だがいつの間にか政宗に視線を合わせていた。合わせたが最後、紡がれる彼の言葉に震えるしかない。 
「……急いでアンタを探してたら、あの武士(もののふ)が主郭手前の曲輪に真田の姫が居る。自分の命に代えて助けてほしいと言いやがる。――……小十郎から聞いた、アンタも見ただろう? 最後を。――逃げてりゃ良かったんだよ素直にな。そしたら兄貴も俺と思う存分殺り合えただろうしあの武士も別の道があったろうさ」
 政宗の眼光はさらに苛烈で、そして止めを刺すが如く見据える。
「……行き過ぎた忠義はいろんなものをえぐるだけだぜ? kitty」
「――っ」
 なんてこと。
 視界が回ってしまいそうだった。何を悲しむ権利があったろうか、政宗の言う通りだ。追い詰められた武田軍、その中の大事な決戦で、自分は他ならぬ兄を追い詰めてしまっていたのだ。落ち延びるように勧めた家臣も、彼の言に従っていればまだ生きていたかもしれない。自分はただ、無用な死を作っただけ。
 押しつぶされてしまいそうだ。頭をガツンと殴られた気分だ。政宗の一言一言が頭の奥に染み付いてそして何度も滲み出てくるようだ。

 政宗からは猛る姿そのままに抑えることの出来ない渦のような激情が見て取れた。何の建前もなく本気で怒っている。
「Ha! 出家するだァ? 世を捨てりゃ許されるか! 甘いね! 俺はそんなの許さねぇ! 今のアンタにとても自由はやれねぇ」
 勘気を蒙ったのだ。牢にでも繋がれるのだろうか、だがそんなものでは死者に対する贖罪にも、竜を鎮める行いにもなるまい。
 自害を許さぬならその怒気の赴くままいっそ殺してくれればいい。自分以外伊達に保護されていないと聞いた。武田の女人方は皆、あの城で殉じたのだろう。愚かさが兄を死なせ今なお息をする我が身が堪らなく苦しい。
 叱咤に、眼光に射抜かれ、ただなすがままのに政宗は声を落として告げた。
「アンタの行き先は奥州、――俺の正室としてだ」
「え……」
「ま、政宗様!」
「アンタの行動は只の自己満足だ。取りかたによっては武家子女の鏡なんていう奴もいるだろうが、俺は好きじゃない。正直アンタのことはどうでもいい。だが、真田幸村って漢は一角(いっかど)の武将だ。奴の今際の際の頼みごと、吐き捨てるほど俺は堕ちちゃいねぇ」
 に添えた手をばっと離し、乱暴に立ち上がると吐き捨てるようになおも続けた。
「このままアンタを寺に放り出しても自害が関の山だ。ならアンタを放置するわけにはいかねえだろ。俺の目の届く所に置かしてもらう。……兄貴とあの家臣に少しでも申し訳ないと思うのなら、真田の名に恥じない正室ぶりをしてみろ」
「政宗様!」
「筆頭!」
 政宗は乱暴に立ち上がるとそのまま部屋から出て行った。驚くように追いかけていく彼の側近達。残ったのは抜け殻のようになってしまった敗将の娘。
 竜の勘気をまともに浴びた姫に、老婆はかける言葉も見つからない。忙しなく主君を追いかける家臣達を見つめながら、老婆はお侍とはなんと面倒くさいものかと独り言ちた。

「政宗様!」
「なんだ小十郎、この俺が嫁取りする気になったんだぞ喜べよ」
「政宗様の意図、薄々ではございますが察しは付きます。ですがこのようなこと勝手にお決めになられては一門も五月蝿く出ましょう。真田家はすでに滅んだ家、それよりは存続してる家よりお迎えにならねば痛くもない腹を突付かれましょうぞ」
「Shut up! らしくねえな小十郎。一門の奴らなんざ放っておけ。手元に置いておくとなにかと都合がいいんだよ。真田の姫を側室ではなく正室にしたとなれば、旧武田の人間の憤りも多少は静まるだろうし、なにより嫁の後ろに実家が控えてると何かと面倒だ。奥州がいい例だろう? そういう女は一等信用できねえし警戒しなきゃなんねぇ。あいつにはそれがない」
「政宗様……」
「まあ理由はいろいろある、戻ったら話す」
 くいっと顎を動かし、先程出てきた部屋の方を示す政宗。様子を見て来いということなのだと察した小十郎はそれ以上の追求はせず、一礼して踵を返した。

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2011-05-20

殉じようとする女の視点と、命のやり取りをする男の視点って違うと思います。
でもどちらが正しいかは答えが出ません。