牡丹華(五)

 要害山城を落とした翌日、政宗は戦後処理の為、本陣ではなく城前に構えた陣中に居た。戦中は勿論のこと、戦後処理は多忙を極めた。首実検や恩賞、降伏した者、寝返った者への対処、城内に残る多数の戦死者の供養、領民鎮撫、被害を被った寺社などへの修復への対処、やることは山ほどあるのだ。迅速にすればするほど、評価は高くなり新たに獲得した甲斐領民の心を掴むことも出来る。
 政宗は近隣領民や寺社に金をばら撒くのを惜しまず、自軍には乱捕りの禁止を徹底した。百姓や寺社の不満を抑えれば、反心ある武将が出たとて付いていく者は居ないのだ。
 乱捕りを禁じた為、その補填として自軍にも領民にも相当金がかかったが、長い目で見れば安いもの、そう割り切った。
「政宗様」
「なんだ」
「寺の手配にございますが丁度よい禅寺がございました」
「そうか、ではそこに葬ってやってくれ」
「はっ」
 政宗は自ら討った敵総大将武田信玄と、その重臣真田幸村の首実検は無用とした。首と胴を離し、敗者の屈辱を与えるに及ばずとしたことで局地的に起こっていた小競り合いは徐々に終息を見せていた。
 埋葬は後回しにせず一番にすることで、信玄を想い反抗する勢力への帰順を促す。どれほど功を奏するとは限らないがやらないよりはましだ、政宗は外を一瞥した。
「そろそろか」
「はい、降伏した者達、隣の陣幕に控えております」
「わかった、行くか」
「御意」
 傍に控える小十郎に促され歩を進めたその先には武田で名の通った武将や重臣が控えていた。通常勝者は床机に座り、敗者は地べたに膝を付くものだが、政宗はそれをせず全員に床机を用意し座らせた。
 捕虜や寝返った者と一人一人話し、使えるかどうか政宗は冷静に選別していく。ほとんどの者は、出家や自害を申し出、代わりに所領安堵を願った。
 裏切りは褒められたものではない。だが、弱小領主であれば領民を危険に晒さぬ為にあえて敵に帰順するものも居る。それは賢い生き方であり、そういう者達は目先の感情より大局が見えているのだと政宗は思っている。かといって毎度のことどっちつかずでふらふらされても困る。芯が通って苦渋の決断をし、内通をしなさげな者を見極めるのはことだ。そういう者を見出せるなら登用したいとも考えていた彼にとって、これは一番手間のかかる仕事かもしれない。
 帰順する者の中には武田の娘を嫁に迎えてるものも居た。徹底抗戦をするより武田の血を残したほうが有益だと考え降伏した、と言い放った男に政宗はただ頷き、所領を安堵した。
 これには伊達の家臣陣も武田の者達も驚いた、が、双方に政宗の懐の広さを見せるには十分だっただろうし、旧主に連なる者を生かすのは今後の政を円滑に行う助けにもなるのだ。
 戦中のどさくさに紛れて非道なことを行っていない限り、帰順を許すとしていた政宗だったが一人の男の言葉に大きく気を損ねることになる。
 男は武田の中でも一定数の兵を預けられた武将で恭順を示した後、気を良くしたのかつらつらと並べたてた。
「某、手ぶらで政宗公に従おうとは思いませぬ」
「Han! そりゃ大層なものでもくれんのかい?」
「さればでござる、某の手土産、といいますか、聞き知ることをお耳に入れたく。逃げ出した姫君方のことにございます」
「ほう?」
「姫君方は真田の姫を身代わりに置き、真田の忍びの手引きで落ち延びて御座います。聞けば真田の姫は政宗公のお手元に在るとか。あの者は姫君方が落ち延びる寸前までお側におりましたので、問いただせば信玄公の姫達の行方、おのずとわかりましょう程に」
 胸を張りふんぞり返って高らかに話す男に政宗は眉を顰めた。
「てめぇは主家の姫を平気で売るのか?」
「は?」
「わかんねぇか、俺は虎のおっさんの姫を如何こうしようとは思わねぇよ」
 政宗は立ち上がり、六爪の柄に腕を置いてゆっくりと男に近づいた。
「てめぇは俺が逃げ惑う女を如何こうするような奴だと思ってんのかよ」
「はっ、いえ、その、真田の姫はお手元に」
「あいつは真田が今際の際に助けて欲しいといったから保護しただけだ」
 そう言いながら政宗は後ろを向いた。正直、こういう手合と話すのは疲れる。適当にあしらって下がらせようか、そう思惟した時不快な言葉が耳を抜けた。
「なんと真田め――妹を残したは始めから伊達に取り入る為であったか、なんたる食わせ者よ」
 どういう意図かと一瞬耳を疑ったが、その後に続く言葉は、生きていれば妹を差し出して寝返るつもりだったに違いない、そう言いたげな文言の羅列だった。
 どうやらこの男は真田家に前々から含む所があるらしい。でなければ敵中にある娘が詰問にあうような告発はしないだろうし、前日まで一緒に戦っていた男を罵倒することもないだろう。
「てめぇが幸村を語るんじゃねぇよ!」
 振り返り見苦しいとでも言うかのように政宗の眼光は鋭さを増し、怒声に政宗の家臣も、武田の者達も目を見張った。
「俺は寝返りってのは好きじゃねぇ、だが、家臣や領民色んな柵(しがらみ)ん中で寝返らざるを得ない者も居るだろう。この乱世、家を残す為にはしかたねぇ時もある。俺も理解しているし責めようとは思わねぇ。そういう奴は裏切る行為をしたが為に、自分がいかに信用されねぇものかを知ってるし、罵倒も侮蔑も肝に銘じてるもんだ。だがな、テメェはどうだ! 寝返りを恥とも思わずなに御託並べやがる! てめぇと幸村は違う! ただ刃を交え死んでいった幸村を愚弄することは許さねえ! 虎のおっさんも身内にこんなのを抱えてりゃ浮かばれねぇぜ」
 政宗は、武田信玄の最期を思い出しながら猛る。かの虎は我が身がもう立ち上がれないと知ると悠然と笑いながら言ったのだ。
――『此処で生まれ此処で死すか、悪うないわ、この儂の屍を超えるのだ、竜よ天を駆けて見せよ』
 その言葉、その威厳、最期の最後まで、自若で甲斐の虎に相応しい男だった。それ故に、この男のような小者に武田の品位を穢されるのは許せなかった。
 政宗の機嫌を完全に損ねたことにやっと気付いた男は肩透かしを食らわされたとばかりに政宗を小馬鹿にする顔で叫んだ。
「此れは否! 随分とお優しいことだ! 奥州で撫で斬りをした男の言葉とは思えぬ!」
「Ha! 本性出るの早えんだよ小者が! 撫で斬りしたのはな、テメェみてえな奴だったからだ!」
 政宗は躊躇なく六爪の内の一本を抜き男の首に据えた。
「俺はさっきおっさんの身内に情けを与えた。真田はじめ家臣も同様だ、ただそれだけのことだ。だがな、てめえにゃその欠片すら惜しい! 俺の六爪は昨日甲斐の虎と、若虎の血を吸ったばかり、テメェみてぇな下衆の血で穢したくはねえんだよ、左馬之助!」
「はっ」
 政宗は男の後ろに控えていた若い武将を呼ぶと踵を返した。左馬之助は腰の刀を抜き、御免と呟くと男に振り下ろした。男は叫び声を上げ、そのまま息絶え、一連の流れに武田の者達は震え上がった。
「安心しろ、武田の血縁に如何こうしようって気は更々ねぇよ。虎のおっさんに免じて甲斐を荒らしたりもしねぇ。腹切ろうって奴はやめときな。俺についてくるなら天下をみせてやる。おっさんの代わりにな、You see?」
 政宗はそのまま踵を返した。元の陣中へ向かいながら政宗の背を追う腹心の名を呼ぶ。
「小十郎!」
「はっ」
「俺自身でやる手討ちはあれだけでいい。あとは綱元と吟味して行え。今のと小手森の件で相当怯えてるだろ、先手は打った。圧力はかけるな、反発を招くのは得策じゃねえ」
「御意」
「武田の騎馬隊、取り込めるならそれに越したことは無い。成実達は隠れて乱捕りが行われてないか見張っておけよ」 
「了解」
 左馬之助と同様に若い武将が答えた。切れ長の目は政宗に似ている。一通り指示を出すと、外を眺めながら政宗は息をついた。
「もう夕暮れ、か、戻るか」
「それがよろしいかと、明日も忙しくなるでしょうし」
 控える武将の中で一番年上と思われる男が答えた。歳に見合った落ち着きを持った容貌をしている。
「だな」
「政宗様」
 ふと声をかけたのは小十郎だった。
「An?」
「僭越ながら真田の姫のこと、どうなさいますか?」
「ああ、あの男が言ってた武田の姫の行方をって奴か? 詮議は不要だ」
「それもで御座いますが、今後のことは如何相成りましょう」
「Ah――……会ってから決める。会う前に侍女を連れて来い、聞きたいことがある」
「御意」
 政宗は歩を進め、他の者もそれに倣った。

- continue -

2011-05-06

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