(二十九)

 「放せえ! 放さぬかっ!」
「静かに致せ!」
 怒号とも叫喚とも取れる喚き声を上げてその場に引き摺られた男は、自分の顔に皆が驚嘆の声を上げるのも構わず縄を解こうと身を捩り続ける。忠澄の家臣が後ろから乱暴に押さえつけ地に顔を付ける形になると彼はようやく暴れるのを止めた。
「そ、其方は……」
「まさか」
「皆々に申しあげる! 本日早朝、毛利家取次役福原広俊殿が登城中狼藉者に傷つけられるという事態が起こりました。幸いにも当家の者が撃退し大事には至らず福原殿は軽傷で済んでおり現在安全な場所にてお休み頂いております。その場にて捕えた下手人はこの五月新三郎以下十数名。首謀者は……」
「……ちっ」
「アニキの御前だ。誤魔化しがきくと思うな」
 縄に繋がれた男、新三郎はふいを顔を背けたが忠澄の家中の者は容赦なく、吐け! と叫び後ろ手に絡まる縄を引っ張り上げた。腕が違和感のある方向へ向き顔が苦痛に歪んだところで新三郎は屈服した。
「ぐ……、そ、某、五月新三郎、久武内蔵助の、命に、より、福原広俊様に対し、刃傷に及びましてございます」
「誠かっ」
「まさかっ」
「なんと愚かなっ」
「新三郎、其方らは何故そのようなことに及んだのか」
「毛利との、和議を、壊す為にござりまする」
「新三郎貴様っ!!」
「控えよ!」
 身を乗り出さんばかりの内蔵助だが親貞の鋭い叱咤に前へ進むことも後ろに下がることも出来ず苦々しい顔を新三郎に向けるに留まった。
「並びに聞く。其方が見たと申した上関の暁丸に似たからくり、その話は本当か?」
「……っ」
「吐かぬか!」
「はっ、……真っ赤な、偽りにて」
「偽りを申すなっ!!」
「控えろ内蔵助!! その件に関し知ることを包み隠さず申せ」
「……毛利の、水軍による妨害のあった直後のことにございます。このままでは海域をまた脅かされかねぬと話が出て、それならば戦をと。しかしながら小競り合いくらいで戦端を開かば咎められるは長曾我部……、故に毛利に大きな過失を作ればよいと」
「なんと、なんと馬鹿な」
「我らが恐怖を覚えるといえばからくり兵器を敵に手に入れられること、徳川様もそれはご承知故暁丸を毛利が造り戦端を開こうとしているという話を思い立ちました。人伝に、暁丸を見たと奏上した後は、ばれぬようあらかじめ銭を与えた村の者らに霧や時化の日に暁丸に似せた大きな張りぼてを立てよと指示を出しました」
「――そうか。もう一度聞く。毛利に暁丸はないのだな?」
「……ございません」
「新三郎、愚かしいことを仕出かしたな。加担すべきことではなかったぞ」
「……っ、は……」
「アニキ、このような顛末にござりまする」
「……おう」
 項垂れる新三郎を見ながら元親は小さく答え、それから広間の畳に手を付く内蔵助を見る。年若い家老は爪を突き立てて身を震わせた。
「新三郎は嘘を吐いております!」
「まだ言うか!」
「こやつは所詮直情的に使者を傷つける小者にござる! 大方どこぞから金を貰い、某の血縁であるをいいことにその罪を逃れようとしたにすぎません。某がこれまで御家に尽くした忠義をお信じ頂けませぬか!」
「もう黙れ!」
 何も言わぬ元親から静かに怒気を感じたのか孝頼が怒鳴りつけた。だが、怒りを霧散させるように口を結び大きく鼻息を出したのは親貞の方だった。
「その忠義にかこつけて、其方義姉上に何をした?」
「うん?」
「其方が此処で己が所業を認めるなら、私はこのことを評定以外の場でアニキに伝えるつもりだったのだよ」
「……っ、親、貞様」
「アニキ申し訳ありません。黙っていたことがあります。――みわ、入るがいい」
 思いがけぬ妻の名に元親は眉間に皺をよせ、対して内蔵助は色を失った。はい、と若干震えた声が聞こえて忠澄に誘導されたのは付きの侍女みわだった。みわは忠澄と同じく障子の先の下座にかしこまり深々と頭を下げた。
「義姉上付きの侍女、みわでございます。みわ、義姉上が嫁してより其方が見たこと包み隠さず話しなさい」
「はい、あの、」
「最初からでいい。思ったことを言いなさい」
「はい、心得ました。……あの、奥御殿の騒がしさは多分皆様ご存知のことと思います。奥御殿の出入り口で様子を窺う者、御付の我らを引っ張ってお方様のあら捜しをしようとする者と様々、当然、それはお方様のお耳にも入っておりましたが、お方様は家中が荒れるのをお嫌いになりそれを咎められることもありませんでした。毛利の娘が嫁いで来たのだから仕方あるまい、其方らに面倒が掛かるようであれば親貞様に言うようにとしか仰いませんでした。お方様がそう仰るならと奥の仕事に差し障りあることだけは親貞様に申し上げ、それ以上は口を噤み耐えるべきだと思っておりました……けど」
「けど?」
「私、見てしもうたのです。桜の時期だったと心得ます。ある日、お方様のお部屋に忍びが入り込んでいるのを」
「忍び?」
 元親は更に険しい顔になる。警戒の厳重な奥御殿に、しかも国主の正室の部屋に忍びが入り込むなどと言う事態はあってはならない。それ以上にどれだけが危うい盤上の上に立たされているかを思わずにはおれず、それは元親のみならず広間に居た大半が背に嫌な汗を感じるのは十分だった。
「その忍びは最初毛利様のご使者だと言いました。お方様に御家の動きを漏らすようにと。けどお方様はそれをお聞き入れにはならず、其方は何者か、毛利元就は安芸以外に興味はなくそのようなものを望む男ではない、とあしらっておられました。私にはその忍びが毛利方なのかそれともお方様を陥れる為に放たれた者なのか判断が付きませんでした。しかしながらお方様が何かに巻き込まれようとしていることだけはしかと分かりました。――どなたにお伝えすべきか迷いに迷っておりましたら日が経ちました。初夏に入る頃のことです。見慣れぬ下女がおると思い菓子を取りに行く途中気になってお方様のお部屋に戻りました。そうしたらその下女はあの時の忍びで、あろうことかお方様に鬼灯を差し出して」
「ほ、鬼灯じゃと?」
 鬼灯の薬効は薬草の知識が乏しくとも誰彼なく知るものだ。孝頼の横に座る老臣の唇は戦慄き、年頃の娘を持つ者らは不快感を露わにした。みわは頭を垂れたまま唇を一度ぎゅっと噛み締め震えを抑え込んで言を紡ぐ。
「流石に私も腹が立ちました。お方様は総てを飲み込んでおられるのに、誰がこのようなことを指図しているのか突き止めてやろうって。忍びの足なんて追えません。でも奥御殿の外には大概様子を窺う者がおりますからそのうちの一人の手の者だろうと当たりを付けて出入り口の方へ走りました。そしたら、おられたのです。久武様、貴方様が。あの下女と一緒に」
「馬鹿な!」
「それからです。お方様のご様子がひどくお変わりになられました。ぼうっとされることもあれば、果ては冷えた日にも水垢離をなさるようになりお止めしてもそれこそ憑りつかれたように。私には、何の為の水垢離かなんて、すぐ、わか、りました……っ」
「水垢離……」
 元親が呟くと同時に彼の手に在る碇槍はまたジャラリと音を立てた。なんてことだ、何を見ていたのだと歯ぎしりが止まらない。妻の様子がおかしいことぐらい知っている。言葉少なに身を預けて来たり水垢離で身体を壊してもなおも続けていたことも。もっと問い詰めればよかったのだ。口を割る女ではないからと、物わかりの良い男になったつもりで接してきたツケがこれだ。彼女の本質がふてぶてしいのではなく不器用なだけであると知っていたではないか。
「某は潔白にござる!」
「内蔵助、もうやめよ!」
「其方、幾らもうろうた! 誰ぞに私を陥れよと言われたか!」
「いかにお仕えする日が浅かろうと、私は金銭で御家を売るような下郎ではございません!」
「其方っ」
 内蔵助はなおも潔白を主張するが、もはや往生際の悪い、の一言でしか片付けられない。内蔵助の周囲には忠澄の手の者が回りいつでも取り押さえるべく指示を待っている。皆が声を張り上げる中元親の声は未だに低いままだ。
「まあよ、土壇場で自分を信じろっていう奴にゃ大概裏があるもんさ」
「アニキ……」
「内蔵助よぅ……、てめえは忠義と自己満足を履き違えたな」
「元親様、どうあってもお考え直し頂けませぬか? 元親様は、我らの無念より徳川様への遠慮しか頭にないと仰るか! 毛利の血を長曾我部に入れると仰るか!」
「……」
「忘れておしまいになられたか! あの日の我らの無念っ毛利に踏み躙られ無残に散った我らの大切な仲間を! 女子一人に籠絡されましたか!!」
 ――ガシャン!
 返答の代わりに内蔵助の前には碇槍が投げつけられた。床に刺さる大きなそれに彼はヒ、と悲鳴を上げた。内蔵助の近くで同じように震える者らがいる。同調をした者は恐らくは内蔵助の共謀者だ。彼らが逃げようとするなら次は親泰の出番も来るだろう。
「てめえは本気での為に俺が毛利に腰砕けになってるとでも思ってんのかよ」
「……ァ、あ」
「無論忘れちゃいねぇ……何があろうとあの野郎の髪の毛一本までだって許しゃしねえさ。だがよ内蔵助」
 元親は鋭い眼光のまま近寄り内蔵助の前に腰を下ろした。掌にある胡桃の擦れる音が妙に響く中親貞らは神経を尖らせる。
「てめえのしたこたぁ四国の民の為でも功名心でもねえ。毛利元就って男の影に怯え要らぬ戦を起こそうとし、さらには後ろ盾のねえ女を追い詰めたに過ぎねえんだよ三下が!」
「元親様、お分かり、頂けぬ、のかっ……」
「煽るのはもう止めな。激情のまま動くなんてこたアもう黒田の件で懲りたんだよ」

 と、その時のことだ。

「殿っ殿っ!」
「長曾我部、速やかに顔を晒せ」
 主殿に似つかわしくない慌てた女の声と不機嫌をそのまま纏ったような男の声が響き、直ぐに広縁に控えた忠澄が覗き驚いた顔をするのを見て次に親貞が動いた。元親は聞き知った声に一旦内蔵助への糾弾を止めそちらを見る。制止する家臣を払い連れ立って現れたのは付きの侍女かえと、佐保正綱、否、石田三成だった。
 おう、どうした。珍しいじゃねえか、と返すも何時になく冷静さを失った妻付きの侍女が真っ青な顔のまま割り込んでくる。
「殿っ、お方様がっ! お助け下さいましっ」
「長曾我部、慮外者が奥御殿に入った。侍女が刺され錯乱した貴様の妻は姿を消した。今左近が追っている」
「んだと!」
「殿っ! 早う早うお頼み申し上げまする! お方様は普通の御身ではございません!」
「あん?」
「……お方様、ご懐妊にてっ……」
「はぁ!?」
 素っ頓狂な声を上げて侍女たちを見れば、かえもみわも顔を袖で覆い咽び泣き始める。
「長曾我部、話は後だ。その慮外者は大方その男の手の者だ。早急に締め上げろ、そして兵を出せ」
「てめえ、義姉上にまでやらかしやがったか!!」
 元親が殴りつける前に内蔵助は親泰に吹き飛ばされた。戸板に打ち付けられる音が皆の耳を突き抜けた後響くのは内蔵助の高笑いだった。
「毛利の血だけは長曾我部に入れ申さぬ」
 親泰はもう一発拳を入れたが、呪詛めいたそれは不快感を煽るだけだった。今はこの男に構うときではないと苦虫を噛み締めながら元親は立ち上がった。

2016.01.26

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