(二十八)
ただ一言、元親が言葉を発するだけであるのに大広間の空気はピンと張りつめていく。それは畏怖とも出陣前の昂揚とも違う、言うなれば戦場で策の一手を披露する瞬間に近いものがある。毛利元就程ではないにしろ、戦に関しては元親も狡猾なところがありその采配は親貞はじめ皆の心を掴んで離さない。もっとそうあればいいのにとすぐ下の弟は不敵な表情を浮かべる兄を見る。
「兵を挙げるか、お前も存外過激だな」
「元親様、今こそその時と心得ます。ここで黙るは長曾我部家代々の英霊に恥ずこと」
「英霊ねぇ」
元親は武器を取らぬ左手に胡桃を二つ程握り擦り合わせた。胡桃の実は異国で子孫繁栄を齎す意味があるのだと言葉少なに手渡してきた独眼竜は彼なりに四国の有様と毛利の娘を娶る元親の現状を憂いていたのだろう。内蔵助の言うご大層な英霊とやらも髪を逆立てて怒るのかもしれない。
「アニキ」
「うん?」
「内蔵助他はこのように申しておりますが、本当に毛利がからくり技術を奪い、暁丸を建造しているとしたら、その時はどうします?」
「そりゃ無論戦だ」
「徳川殿にお伺いは?」
「戦支度と同時にだな。待ってたら国が滅ぶ」
「ではアニキ、その時、義姉上はどうなさいます?」
親貞の言に皆少なからず息を呑み込んだ。主戦派から見れば元親はに甘く、常々歯がゆく映っている。ただ元親に近しい者らの中にはを気の毒がる人間も少なからずおり双方複雑な感情が入り交じってやまぬのだ。
「……アイツ次第だな。戻りたければ戻す、そうでないなら俺の手の中よ」
「お、恐れながらっ」
「あん?」
「姫様に疑惑有りっ!」
「おい!」
「お忘れにござりましょうや! 暁丸の件が漏れたのは姫様がお輿入れされてからにございます! このままでは毛利に我らの動きが筒抜けにござりまする!」
「てめえアニキの前で言うからには相応の覚悟があんだろうな」
「いい、親泰。……ならよ、お前はどうする気だ」
「元親様とご正室とはいえ当家に益なくまして毛利の縁故の御方、姫様がおられて暁丸の情報が漏れました。もし仮に戻られるときもそれ相応のものを持って毛利に戻られるのは必定、しからば御命頂戴すべし!」
「てめえっ!!」
元親より先に声を上げたのはやはり親泰だった。身を乗り出し懐に差したかわほりを投げつけようとしたが幾分冷静な親貞によってそれは阻止されている。
「それがアニキを愚弄してると分かんねえのか!」
「これは否っ! 長曾我部に毛利の姫がいる事こそ過ち。姫様がいるからこそこのようなことになったのです!」
「双方控えろ。内蔵助、其方の言うようにこの婚姻は徳川殿のご仲介、内府様たる御方の意向を無視して戦端を開くことすら危ない橋を渡るというのに、室とするよう命じられた姫を殺すなどそのようなことをすればどうなるか其方には分からないか?」
「親貞様っ、関東関東と……っここは四国にござる! ここに暮し、国を憂い、幸せを望むのは我ら四国の民にござる!!」
内蔵助が一層猛るその刹那、板張りの床に金属が叩きつけられ比例するようにガシャンと鎖が音を立てた。元親が突き立てた碇槍を打ち付けたのだ。
「……もう、その辺にしときな」
「も、元親様」
「内蔵助、てめえは反省の色もねえらしいな」
その去就に固唾をのんで見守っていた者らは心の臓を鷲掴みにされるかの心持ちであった。海のように懐広く凪のように穏やかな主君がその面を自ら剥ごうとしているのが分かったからだ。ぞれはまた対峙する内蔵助も同様だった。
「っ、は、某はっ」
「もう聞くも汚らわしいぜ。親貞」
「はっ。――まずは内蔵助、其方には色々と問いたださなければならない」
「問いただすとはこれはまた! 穏やかではありませんな」
背筋を正した親貞は何もかもが折り目正しい。それが遁逃を許さないと言わんばかりに追い打ちをかける。
「毛利が暁丸を建造しているという件、それは本当か?」
「親貞様、本当かと仰られましても何故某に聞かれるかが分かりません。暁丸を見た、という報告が評定の時にあったはず。それは皆々実際にお聞きのことと心得ます」
「そうだね。私もその場に居たよ。――孝頼」
「はっ」
「その報告を持って来たのは誰だったか? いや、誰が見たと言っていたのだったかな?」
「……たし、か、……そう! 元親様の船の者が言っておりましたな。新三郎が見たと」
「某もそのように記憶しております」
「そうじゃそうじゃ」
そうであったと皆口々に言い、膝を叩く者もいれば頷く者もいる。そのうち家老衆の一人国吉親綱が疑義を含み、新三郎? と声を上げた。
「新三郎と言えば、内蔵助、其方の身内ではないか」
「なに?」
「それはまことか?」
「仰っておられる意味が分かりません。新三郎が某の身内であるというだけでそれが何なのでしょうか」
「確かにそうだね」
ざわつく周囲にも内蔵助は背筋を伸ばしたまま動じはしない。それは親貞も同じで彼もまた懐のかわほりを取り出しそれを己が膝に立てて続けるのだ。
「内蔵助、君は新三郎から報告は聞いているのだろう?」
「無論にございます」
「一つ疑問なのだが、新三郎はどういう状態の暁丸を見たのか」
「はっ、報告には上関へ至る場所を航行しておったところ陸に暁丸と同等のからくりが見えたと」
「そう。私もそう聞いているよ」
「左様で」
「――私はね、暁丸を見たという場所に実は行ってきたんだ。確かに暁丸を置ける程の整地された場所だったけどね、其処には暁丸を収める櫓もなければ木の破片もない。まして運搬用の大きな船が通った報告もない」
「毛利のこと、巧みに夜を縫い移動させたのでは」
「それほど機密にしたいのなら暁丸を見たという時点で新三郎の乗る船なんて狙撃されていると思うんだ。かなりのはずの草を放ったんだけど足取り一つ掴めない、これはどういうことか?」
「どう、と某に仰られても」
「新三郎から聞いているのだろう?」
「新三郎とて見逃すこともあるかと存ずる」
「それはよろしくないね。仮にも評定に上ることを見逃したなどと言うことで片付けられては」
「親貞様、何が仰りたいのですか?」
「戦に至る前に真実が知りたいだけ。太平が始まろうというときにそれを壊すのだ。不備があっては其れこそ御家の大事。すでに毛利からは福原殿の書状を通じ納得のいく説明を得ているのだがこのままではその反論もままならない」
「なればその福原殿を詰問すればよいだけのこと。獄に掛ければ口も割りましょう! 福原殿は如何なされたのです! そもそもこの評定は福原殿が来られる故詰問する場と聞いておりましたがいかに!」
「福原殿を? このような内輪もめの場にか?」
「恐れながら元親様も親貞様も、福原殿の書状をお信じになるのか! 毛利に丸め込まれておられる!」
カッとしたように猛った内蔵助だが彼は一瞬にして怯むことになる。その言葉を吐きだした瞬間、言質を取ったとばかりに親貞の目の色が変わり傍に佇む鬼を引き摺り出したと気付いたからだ。
「ア? 俺があの野郎に、だと?」
「アニキを引き合いに出すからにはそれ相応の覚悟があるのだろうね。――忠澄!」
「はっ!」
開け放たれた下座の障子の先にはいつの間にか忠澄が立て膝で控えていた。彼は応じるや否や立ち上がり外を向いて、連れてこい! と声を張り上げる。遠くから砂利敷と雨が乱雑に踏みにじられる音と粗野な哭び声が響き家臣らの脳を酷く揺さぶりそれは戦場の匂いにも似たものだった。