(十九)

「いやぁ、かえさんありがとうございまっす!」
「いいえ椿井様のお役に立てて光栄でございます」
 奥御殿から本丸へ向かう出入り口の一つに、長曾我部家中の人間とは一風違った男が侍女と何やら親しげに話していた。若く飄々とした風貌の男の手には大きな巾着にありその中には大量の衣裳が入っている。
「助かったっす。み、ああ正綱様って放っておいたら何にも用意しろって言わないし、うちの侍女さんたちは遠巻きに見てるだけだしどうしようかって。かえさんにお願いしたら城勤めの感性でばしっといいもん誂えてくれるし、いやマジ助かったっす」
「遠慮のう仰って下さい。針仕事に関してお方様は誰の物でも縫ってよいと寛容ですし。数枚ですが椿井様のものも入れております故」
「マジっすか! さっすが気が利くっすねー!」
「お口がお上手ですね。でもきっと次からは其方の侍女方がお誂えになりますよ」
「へ?」
「女子って存外やきもちを焼きますから。それを見たら発破がかかりますわ」
「ええー今まで放置だったのに」
「女子とはそういうものです。きっと気には掛けていると思いますわ」
「そうかなぁ」
 正室付きの侍女かえは長曾我部家に三代前から仕える家臣の娘である。目の前の若いもののふは椿井勝猛といい昨年の秋、主君長曾我部元親が佐保正綱と一緒に連れて来た男だ。毛利から痛手を受けた皆々は新しい者に各々警戒していたが、この椿井は殊更愛想が良く皆の心をどんどん溶かしていった。かえもその例に漏れず姿を見ればよく話しかけた。人当たりの良さは彼の天性のものなのだろう。だがかえは知らない。この男は戦に出れば戦場を縦横無尽に駆け巡ることを。男の本名は島清興、通称島左近。石田三成の腹心中の腹心である。
「つか気になったんすけど」
「はい?」
「なんか落ち着かなくないっすか。いやーなんてか奥御殿の入口ってもっと粛々としてるっつーか、此処みんな静かに通るけどすっげえじろじろ見てきて落ち着かねえってか。かえさんもちょっと浮かない表情してません?」
「ああ……」
「あっ! なんかすんません! 聞いちゃまずかったっすか」
「いいえ、あの、此方に」
 瞬時に表情の陰るかえの様子は何時も心中に懸念があってそれを指摘されて思わず零れ出た、という印象だった。それでも奥勤めをする彼女はすぐに取り繕い、近くの東屋に左近を誘導する。縁台に腰をおろし丁寧に巾着袋を置いて彼女を見ると居住まいを正して座する彼女は膝の上で重ねた手をぎゅっと握り締めている。
「恥ずかしながら奥御殿は騒がしいばかりでございまして」
「ああ……御簾中さんは毛利から……」
「ええ、お方様は愛想はおありになりませんがお仕えしやすい良いお方です。けど表の方々は其れを良しとしません。お方様や奥御殿に異変があらばすぐに突こうとこうして誰彼なく奥御殿に近づいて……、本来ならばこのようなこと許されるはずもありません」
「確かにね」
「我らもお方様のご動向が漏れぬよう心砕いておりますが、悪意ある者が一人でもいれば要らぬ尾ひれがつきまする」
 疲労の濃いかえの表情を窺いながら左近は慎重に頷いたが、その一方で心苦しさを覚える。四国襲撃の策を企てたのは毛利だが、徳川に真を正そうとする長曾我部の使者を殺し双方が袂を別つよう暗躍したのは西軍の大谷吉継、つまりは左近らが所属した石田軍である。三成や自分が知らなかったという言葉で片付けれるはずもない。毛利から来た正室が悪意ある視線から逃れられないのは致し方のないことだがその責任の一端は大谷の暗躍を許した自分たちにもあるのだとひしと感じざるを得ない。
「お方様は表面上平気な顔をされていますけど……先日などは憑りつかれたように一心に水垢離をなさりはじめて」
「み、水垢離っすか、まだ水も冷たいってのに」
「お止めしても、海神(わだつみ)へ航行の安全と御家の安泰を祈る為、と仰ってお聞き入れ下さいません。水垢離の本当の理由だってきっとまた毛利と揉め事があったからに違いありません」
 商船の航行に対する妨害の話は左近の耳にも少し入っていた。しかも近頃は毛利が長曾我部のからくり兵器とよく似たからくりを持っているなどという噂もちらほら出ている。本当だろうか、と思う一方で読めぬ謀将の顔が浮かんでは消えた。
「あのままでは本当に御身体を壊されてしまわれます。お聞き入れ下さる何か良い言葉はないでしょうか」
「ええと、単純なんすけどこちらのご主君に一言言ってもらうってのはどうです?」
「殿や表に対しては固く口止めがされておりまして、でも、奥御殿の者なら目にする機会はあるでしょうし殿のお耳に入るのもそう遠くないと思われるのですが、そうなったとしてもお方様は殿に対してけんもほろろでございますから……」
「殿様出すだけ無駄な訳ね」
「はい……」
 そう言うとかえは一層手を握り締めた。左近が見るに彼女の心配は嘘ではない。人柄を見抜くのは左近の得意分野だからだ。
「申し訳ございません。椿井様に主家の恥を軽々しく申しまして」
「いやぁそんなのいいっす。気にしないで。あんまいい案出してあげらんないかもっすけど、手伝えることあったら言って下さいよ。これのお礼に」
 左近が巾着袋を指さし人好きのする笑顔を向ければ、かえはほっとしたような表情になって、お言葉ありがたく頂戴致します、と頭を下げるのだ。それから左近はかえの気鬱を払うよう努めて明るく会話を続け柔らかな笑みを引き出すことに成功すると頃合いを見計らって別れた。時は八つ時を疾うに過ぎ陽の暖かさも弱まってきていた。
「水垢離ねぇ……さして信心深くも見えなかったしどんな理由ではじめたんだか」
 巾着袋を両手に抱えながらそう独り言ちる。自分の好みは抜きにして、宴の席で見た姫ははっきり言ってめちゃめちゃ美人だった。美しいが故に引き立つ冷たさに自身は食指が動かなかったが目を奪われた者は多かったことだろう。元親と並べばそれはそれでお似合いに見えたが、毛利の影が過ぎるのは無きにしも非ずだ。
 かえの言動を見るに長曾我部家中の疑念は日に日にあの正室に迫っているように感じられた。さてどうしたものか、と左近は考える。今の自分たちは言うなれば長曾我部の客将のようなものだ。しかもそうなってからの日も浅く加えて奥のことに口出しするのも躊躇われる。そもそも西軍だった左近らが毛利擁護に動いたと取られ四国に放たれている伊賀の草共が関東に讒言でもしたら今度こそ三成が殺される。それだけは避けたい。
「かと言って見捨てるのもね。……まー一応噂話として三成様の耳に入れとくか」
 自分の主君はきっと興味がなさそうにするだろう。しかし左近はそれでよかった。三成に危険が迫るなら、いざとなれば距離を置いてくれと説明も出来るから。見捨てる見捨てないは今考えることではない。自分たちには元親への恩もある。かえとは懇意にしてしばらく様子を見よう、巾着に添える手に僅かに力を入れながらそう思うのだった。

2015.04.11

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