(十三)

 海ばかりに出るなと自制を求められている元親は先頃より陸(おか)での軍事力の強化に努めている。その一環が今日の鷹狩だ。久々に飛ばす鷹は大空を我が物のように両の羽を広げて舞い、家臣たちは踏みしめる土の感触を確かめるように駆けてゆく。
 鷹狩というのは武家の道楽とも取られるが遊びではない。従軍する者らの意思統一の強化、集団行動の鍛錬、家中の剛弱の判断、地形や知行実態の把握、民百姓の視察など利点を上げれば切りがない。が、金が掛かるのも事実でからくりに比重を置いていた以前までこの行事はおざなりになっていた。
 元親としては民百姓には優しい国主であったつもりだ。馬を飛ばして領内を見回ることもあったし財政が苦しくても重税を強いたことはない。声を掛けられれば一緒に酒も呑んだ。だが今日の鷹狩に付随した視察をすれば知らなかった実情が次々と出てきて我が身の愚かさは否定出来なかった。徳川を装った黒田の襲撃により手痛い被害を受け復興が手間取っていることは勿論、の指摘通り気のいい野郎共も酒に酔えばそれなりに迷惑をかけていたし、何より実害を蒙る前から元親の不在が領民の不安を煽っていた。頭では分かっていたがそれはただ分かっていた振りに過ぎぬということを痛感し何度も頭を振らざるを得ない行脚だった。
 それでも救いはあった。こうなっても民たちは元親を好いていた。田畑を捨てる領民は殆ど居なかったし子供たちは依然と変わらず自分に纏わりついてくる。罵倒は一つもなかった。
 獲物を見つけ鼻高々に元親の腕に戻って来た鷹を子供らの頭に触れるように撫でながら、もう二度と間違いは冒さないと胸に刻み決意も新たに帰城したのだった。

 馬を降り、階(きざはし)に腰を下ろして近侍に甲懸を脱がさせながら身体に付いた埃を払う。奥に行く前に一度湯に浸かった方が無難だなと独り言ちて、立ち上がろうとすると留守を預かっていた弟親貞が迎えに出る。
「おかえりなさい、アニキ」
「おう、陸でも大漁だったぜ。焼いてもいいし、羹(あつもの)にしてもいい。奥にも振る舞ってやんな」
「アニキは海でも陸でも漁に恵まれますね」
「おだてんな。で、なんか変わったこたぁねえか?」
「ええ、と言いたいところですが書状が来てますよ」
「何処からだ」
「毛利です」
 それは元親を一気に酔いから現実に引き戻す単語だ。元親は眉を顰め、少し離れた所で近侍に空穂(うつぼ)を渡していた親泰もまた険しい表情になり大きく舌打ちをした。不機嫌を隠そうともしない二人に、今はもう親戚ですよ、と言う親貞であったが、彼自身それが受け入れられると思ってはいないし、そもそも受け入れようとも思わない。
「といっても、毛利本人じゃないですよ。福原広俊殿からです」
「ああ、あの送り役してたじーさんか」
「左様です。毛利家中でも珍しい穏健派だそうですよ」
「そうかい」
 そう相槌を打って元親は立ち上がる。踵を返すその背には先程までとは違う重さが纏い近侍らは思わず息を呑んだ。親貞にどうした? と声を掛けられはっと見回すに元親と同じ気を纏うのは周囲も同じで、一礼して先を行く元親を追いながらここは鬼ヶ島になるのだろうかと一抹の不安を覚えるのだった。

 毛利からの書状と言うのは取扱いに難しい。まずは自分たちだけで見るべきだと踏んだ元親は広間へ行かず御書院の上段の間に腰を落ち着けた。障子が完全に閉められ遅れて来た近侍たちが所定の位置にさっと控えると親貞が恭しく書状を差し出す。
 手渡された書状は毛利方の宿老福原広俊から長曾我部方の家老谷忠澄宛てに送られたものだ。時代に関わらず、交渉事というものはまず外交官同士で行われ、細部を纏めてから上の者が書状のやり取りをする。戦国時代ならこの福原や忠澄などの「取次」「申次」「奏者」と言われ交渉する者らが外交官にあたり、主君である元親や元就が大臣や元首にあたる。
 この取次という役は極めて重要で家中でも有能で信頼のおける人物が担当した。主君の意を背負い相手の腹を探りながらより有利な条件、立場と引き出すのだ。そして相手からも信頼される人物でなければならず、一門や宿老などより主君に近い位置にいるものが選定された。長曾我部家で外交を担当したのは谷忠澄、香宗我部親泰などだが、親泰は、毛利相手に冷静に交渉出来ないわ、と早々に匙を投げた為、自動的に忠澄が取次となった経緯がある。
 さて、此度の書状であるが福原から忠澄へのものであるので、まだ元親に大きな決断を求めるものではない。関ヶ原の大きな合戦が終わって半年以上経つが今毛利が一手を打つとも考えにくく内容は季節の挨拶やらご機嫌伺いなどの今後起こりうる交渉事の下地であると考えるのが妥当だろう。
 書状を開き読み進めればやはり予想通りの内容で何処まで本当はか分からぬが毛利の内政、中国地方の動きについて二、三記述があった。それから福原個人の考えが書いてあり、なんと感想を述べるべきかと考えながら、そのまま親貞に渡した。渡された親貞は意を汲み取ったかは分からぬがいつもと変わらぬ声音で口を開いた。
「毛利は内政に忙しいようですね」
「だろうねぇ、領地は戻ったが踏み荒らそうとした新領主のせいで領民は殺気立ってるだろ」
「しかしながら隙が無い。塩田の開発に精を出しているようですよ」
「んとにあの野郎は底が知れねえ」
「あとは義姉上のことを色々書いておられますね」
「福原ってえとあの婚礼の時の送り役だよな。毛利にも多少は血の通う奴が居るってことか」
「左様です。アニキ、ご存じないんですか?」
「んあ?」
「血の通うも何も福原殿と言えば義姉上の母方の祖父に当たられる方ですよ。俺前言いましたよね?」
「……マジで?」
「ハァ。やっぱり適当に聞いてたんですね。……福原殿はご高齢ですがご息女の御前が早に亡くなったので残された孫たちに気を揉んで老体に鞭打ってお勤めされてるんです」
「まー引き渡しの時にも祖父ですって言ってなかったしアニキが気付かなくてもしゃーないね」
「気付かないじゃなくて、言われたことは覚えておいて欲しいものだよ」
「んだよ、そうだったのか。フリとはいえあのじーさんの前でのこと結構無碍に扱ったよな」
「まあ過ぎたこと言っても仕方ないですね」
「ったくよ、他人事だと思いやがって。で、こっちからはどう返答するかな」
「義姉上に財布の紐を握られてる、でいいんじゃないですかね」
「……表も裏も俺にとっちゃ世知辛えってよく分かったぜ」
「今更ですねぇ」
 元親と親貞のやり取りはいつもこの通りだ。兄弟とはいえ主君と家臣であるのだが元親はそれでいいと思っているし親貞は兄が何処まで許容出来るか知っている。家中もこの遣り取りがあるからこそ安心していると言えた。
「さて、奥に行ってくるか。飯の支度もしてあんだろ。羹は夜でいい」
「あ、アニキ、本日は此方でお願いします」
「なんでだよ」
 元親が怪訝にすると親貞の意を組んだ留守役の近侍が進み出て頭を下げた。
「殿、裏方の者が申すには本日お方様はお加減悪しくお越しを遠慮したいとのことにて」
「珍しいな」
「近しい侍女の話では聊か憔悴なさっておられるご様子だとか」
「なに」
「アニキ毎晩ヤりすぎてんじゃねーの」
「親泰」
 静かにかわほりで頭を殴る親貞に、沈黙を保っていた谷忠澄は弟に対しても遠慮のない御方だと思いながらその先にある兄弟仲の良さに安堵を覚える。親兄弟いがみ合ってはこの難局を乗り切れはしない。
「行ってくるわ、ああ先に湯を済ませとくか」
 元親は立ち上がり障子の前へと進み、近侍らは主君の先を塞いではと急いでそれを開けようとする。
「来るなって言われてなかったっけ?」
「とはいえ放っておくのもなー」
 下の弟の意地悪な返しもどこ吹く風で背を向けながらぽりぽりと頭を掻く彼の仕草は歳や風貌に似合わず何処か微笑ましい。頼れるアニキの行動は海の男たちを、今のような態度は陸に居る家臣らの心を捉えるのだろう。
「親貞、福原のじーさんには当たり障りなく返しててくれ」
「財布の紐ですね。心得ました」
「それ、少しは障りがあるって思わねーか?」
 双方笑いあって問答は其処で打ち切りとなった。それでも颯爽と部屋を出る元親の後姿はやはり様になっていて忠澄は密かに感嘆の息を漏らすのだった。

2015.02.08

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