(九)

 拒否をしたものの件の宴を欠席することは出来なかった。直前まで、準備は万全に整えた、これ以上自分の出る幕ではない、と突っぱねたのだが、此度の宴の客というのは方方から、しかもそれぞれ室を連れ立って来るとのことで迎える側の正室が居ないのはあまりにも体裁が悪い、とのことだった。長曾我部の体面とまで言われれば拒否をするのは大人げない行為で、ならば酌もせぬし気の利いた会話もせぬ、愛想なども期待するな、と言い置いてしぶしぶ顔を出した。
 内儀を伴った家臣の挨拶をこなしてもう何組目か分からない。皆表面上愛想を振りまくもののこのうち何人の腹の中は憤懣やるかたないが爆ぜているだろうか。考えるまでもない、全員かと思い至っては彼是思案するのをやめた。横の元親がこれは誰かあれは誰かと上機嫌で知らせてくるのを頭に叩き込むに徹することだけに意義を覚えたのだ。
 その甲斐あってか、一人、の印象に残った男がいる。佐保正綱と言う男だ。四国のとある地の領主だというが、その佇まい、小さく形を顰めているにせよ刃物のような覇気と鋭い眼光がその男をただの人には見せなかった。そもそも四国に佐保という領主がいた話など聞いたことがない。ともすればどこぞから流れて四国に安住の地を得たと見た方が賢明だった。
「佐保と申さば、南都の佐保山と御縁がおありですか?」
「さて、ただ畿内と聞いています」
「まあ左様で」
 当たり障りのない会話だがその佐保の後ろの男の顔は些か難しく眉を顰め、元親や親貞の視線も感じた。訳ありである、ということなのだろう。
 宴は半ばに差し掛かっている。にとって、男だけ、女だけで酒席をすることの多かった実家と違い、男女とも集まって楽しむ婚家の習慣に馴染むにはまだ時がかかりそうだ。例の佐保の視線を遣れば酒宴をあまり好まない性質なのか酒は進んでいない。時折親泰で注ぎに行っているようだ。
 酒と言えばも好まない。酒は毛利にとって百害あって一利なしの言葉が相応しいものであったからだ。父も長兄も大国に囲まれた小さな領主の重荷に耐えきれず酒に逃げ、酒精は二人を取り込んでその寿命を奪い去って行った。残された次兄元就とがそれを嫌うのは自明の理だろう。
 長兄が身罷ったのは夏だった。父は、そうこんな日の冬だった気がする。
 我知らぬまま思い出した物寂しさが小さな煢然を大きなものにしていく。庭に目をやると寒椿が散り始めていた。広縁に舞う鮮やかな赤紫に誰も目を止めることはない。咲き誇る間はちやほやされて衰えていけば打ち捨てられる。は少しだけそれが自分に似てる気がした。毛利から来た娘だと敬遠されつつも好機の目に晒され今もこうしてここにある。元親も今は通ってきてはいるがそのうち飽きて奥御殿の隅に捨て置かれるだろう。だからほんの少しこの寒椿を愛おしく感じたのだ。何を勝手なとも思う。我が身は駒で全てを覚悟してここに来たつもりであるのに。
「何見てんだ?」
「……寒椿を」
「そうかい。取って来てやろうか」
「いい、摘んで命を短くすることもあるまい」
「ならそれ貸しな」
 長く外を見ていたのだろうか、最初は少し訝しげに声を掛けてきた元親だが、寒椿に興味をひかれたのだと知るとの懐にあるかわほりを所望した。言われるがままに差し出すと手に取って、大股で広縁に出で檜を彩る銀朱の花弁いくつかを物色し出した。
「花びらならいいだろ? 散ったってまだ綺麗だ」
「そうだが」
 すると元親は口ずさむのだ。
「あしひきの 八つ峰の椿 つらつらに 見とも飽かめや 植ゑてける君、ってか。ほら、受け取りな」
 は一瞬聲を出すことが出来なかった。国主が皆の前で室の為に花冠を拾い集めるとはなんだ。何を世迷言を、その歌の意味を知っているのか? 散れば打ち捨てるのではないのか? そんな文言が脳内を巡って留まるところを知らず覗きこむ夫の表情が息苦しい。
「どうした?」
「なんでもない。ありがとう」
「……あんたに礼を言われるなんてな」
「なら二度と口にせぬ」
「はっ! 極端だねぇ」
 戻って来たかわほりには痛みのない寒椿の花冠が乗り、それが不覚にも美しいと感じてしまった。心の動揺はさざ波のように絶え間なく訪れて息を呑む。それを知る由もない元親は自分の席に戻り盃を手にするのだ。
「交換条件って訳じゃねえが一献だけ奥方の盃が欲しいね」
「分かった」
 掻い膝とは行儀が悪いが、元親はそんな姿でも絵になる男だとは思う。男であれ女であれそれに魅了されるものは多いであろう。気風の良さは、冷酷と言われようと確かな生活の糧を民に供給した兄とは違い、心に安定を齎すものだ。呑まれてはならぬ、改めてそう感じながらかわほりをそっと横に置くと、閉じていなかった障子の先から一陣風が吹いて花びらを数枚飛ばしてしまった。あ、と手で抑えるに元親は喉を鳴らすように笑うのだ。
「そんなに好きか、また取ってやるよ」
「い、要らぬ」
 そこからかわほりを内側に避け、銚子を手にし盃に少し注げば、もう少し、と銀髪の男は催促する。結果なみなみと注げば彼は一気に呷って満足げだ。酒精の何が美味しいのかと思うがそれを聞くのは野暮で話を広げる気もない。一献だけ、と言ったが飲み終えた彼の盃は所在無げなものだから、もう一つ注いでやった。
「気前がいいな。酌なんてしねえって言ってたのによ」
「呑気め、少しは警戒しろ。飲ませて酒害に晒すことも出来るのだぞ。領主ならば厭え」
「残念、俺ァそんなヤワじゃねえ」
 元親は目を伏せて喉の奥で笑う。豪快に笑うことが多いが、今のように腹に一物あるかのようにも笑ってみせる元親に、まただ、と思う。単純だと思う反面彼の此処に気が抜けないのだ。
「なあ
「なんだ?」
「野郎共はもう酒が回ってる。その嫁さんたちはみんな退屈だ。女同士で集まって話でもして来ちゃどうだい?」
「……やめておく。皆それを好まぬであろうよ」
 事実、主君の妻になら皆我先にと群がるものだが、男も女も誰一人に話しかけに来ない。今とて視線をやれば目が合った家臣らは慌てて低頭平身する者も居れば、一瞬顔を歪める者も居る。別にそれでいいとも思うし波風を立てる気もさらさらないから放っておいたのだ。
「あんたの立場も分かるがな」
「いい、同情は要らぬし脅えておるわけでもない。長曾我部の紅紫に毛利の浅緑が混ざっては家の色が濁る、故に離れておるだけのこと」
「血の離れた者だらけだからこそ作らなきゃなんねえ縁があると思うがな、それこそがあんたの」
「お前はしつこい」
 そう言い捨てては立ち上がった。人の上っ面しか知らぬ男め、と腹立たしくて仕方がない。つまらぬ同情など何があろうと求めぬ。この鬱積を誰かに理解して貰おうとは思っていないし、だからこそ立ち入って欲しくはないのだ。はそのまま適当に一言言い置き踵を返して宴席を抜け出した。残された者たちがどんな顔をしているか彼女は知らない。狐につままれたような顔をしたか、ほっとしたか、毛利の娘は耐えきれなかったかと鼻を鳴らしたか。それもやはりどうでも良かった。

2015.01.04

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