(八)

 そんな遣り取りがあったとて元親は毎夜の如くの許を訪れる。身体の相性も悪くなかったし愛想のないを組み敷いて、吊り上げた眉がどんどん八の字になって行く様を見るのも楽しかった。声も、吐息さえ隠そうとするのは、お前に堕ちてなるものかという彼女の矜持なのだろうが、それもいつか破って存分に啼かせてやりたいという欲もあった。
 睨みつける癖には抵抗しない。一度、嫌なら暴れてもいいんだぜ? と言ったことがある。すると彼女は、駒にそのような権限はないしお前が憂慮する必要もない、と相変わらず斜め上を行く発言を返されるだけだった。
 『駒』という単語は元親にとって不快極まりない言葉だ。それはあの憎き毛利元就を思い起こさせ、に通った血さえ凝固させるように感じられたからだ。何故そんな無機質なもので居ようとするのか、実家への遠慮ならばする必要はない。ここは四国だ。いっそが自分に染まってくれれば、家臣たちとて眉を顰めることも無くなるのだ。
 だが眼前の姫御前は未だ頑ななままで歩み寄る気配はない。だから元親は少々強引に彼女を組み敷く。抱けば彼女の頬は染まり、抑えようとするも荒くなった息遣いが聞こえ、触れる肌には熱を感じ彼女が駒ではなく血の通う人だと認識させてくれるからだ。さあ今宵はどうしようか、自分の小袖に包んで残り香で覆ってやろうか。
 細身の妻が自分を侮蔑の眸で見上げる。だがそんなものは元親にとって笑いが出るだけだった。回数を重ねればそれがただの威嚇だと確信を得たからだ。そうなれば妙な優越感も沸いて、誰が何を言おうがの元親への態度には何も言わないでいる。徐々に暴いていけば自ずと変わるだろうから。

「で、ほんとに手淫でも見せてくれんのかい?」
「死ねっ」
 褥に縫い付けられてより最初の会話はこうだった。にとって長曾我部元親という男は解りかねた。昼間は海風をも従えるように颯爽としている癖に、宵が訪れれば人好きのする眸が妖しく艶やかな色を帯びて、普通の女なら蕩けてしまう様な声で囁く。はこれが苦手だった。何とも抗えない心持ちになるからだ。
 知ってか知らずか元親は夜の闇の中では尊大でを思うが儘に扱う。穿たれ声を殺す我が身を嘲笑うかのように吸い付いてくるこの男に口惜しさと同時に、なぜこの男は昼と夜が真逆なのかと思う。にとって男というのは、家臣の前でこそ尊大にすべきであって、女子の尻に敷かれている姿など見せるものではないと認識していたし、その気になれば家臣の前でを罵倒し押さえつけることも許されるはずだ。恐らくこの男は尊大にする必要がないのだろう。それでも家臣が付いてくるのだから。
 ――そろそろ深更に至ろうかという時刻、熱に浮かされた濃厚な空気の中、気怠い身体と重い瞼を持ち上げた。抱き散らかされた身体には元親が掛けたであろう白小袖があり、覚束ない手で袖を通しながらの視線は彷徨う。そして気づく、冷たくなった褥に夫の姿はなく、隣の書院から薄っすらと灯りが漏れていた。
 重き躯体を引きずり誘われるままゆっくりと襖の引手を引くと、その先にの文机で書巻を広げる元親の姿があった。彼は葉(えふ)を捲りながら視線だけに向ける。
「起きたのか」
「……何を?」
「うちのツンツンの御方が治水の学修しろって言うからよ」
「本当に?」
「俺ァ口だけじゃねえんだよ。それに要るもんは取り入れる、それが長曾我部の流儀だ」
 そう言って、こっちへ来い、と手招きをする。
「……」
「どうしたよ?」
「どこぞの阿呆が遠慮なく抱くから動けぬのだ」
「あー腰いわした?」
「煩い」
 四肢への力の入れ方も心許無いとは対照的に、元親は普段と変わらず身軽に立ち上がりそれどころか妻を軽々と抱きかかえるではないか。男女の違いなどではなく、体力馬鹿なのだと内心思う。
「まて、何故膝に置く」
「いいだろ、どうせまた俺が抱えて移動するんだし。――それよりこれ、見てみろよ」
「……大高坂山の地図?」
「ああ、遥か昔にゃ此処に城があったんだよ。湿地だが治水さえ完璧に出来りゃデカい城をまた建てれるはずなんだ」
「城下もな」
「ああ! その為にこの河川二つをどうにかしなきゃならねえんだが治水や築城の技術は何処もおいそれとは出さねえ」
「ならば、牢人は?」
「士官と引き換えにか、多少探してはいる」
「関ヶ原以降主家を失った牢人が多々おる。毛利も一人治水に詳しい者が牢人となって先頃伊達に仕官したと聞いた。毛利の出なればここへの仕官は辛いと思うて勧めなかったが」
「流石人材豊富、だな。ふん、卒がねえ。――いや、まてよ、確か美濃あたりに城普請の名人がいたな。主家は確か西軍に味方したはずだ。牢人になってる可能性が高え。親貞たちが反対しねえなら早速所在を確かめるべきだな」
 それから清水が湧くように策が浮かぶのか元親の手は忙しく書冊を捲り思いついたことをどんどん書き留めていく。見上げれば、灯明の明かりに照らされた夫の真剣だが心躍る表情が映えて、何かを作る時、彼はこのような顔をするのだと知る。は今初めて土佐の出来人という言葉を理解した気がした。
 元親とは対照的に手持ち無沙汰になったは文机に増えていく草案を眺めるか夫に凭れるしかない。触れる人肌は温かく心の箍を緩めてしまいそうでそれがには恐ろしい。何にも動かされてはならぬのだ。
「案外大人しくしてるもんだな」
「貴様のせいだ」
 の心中など知らぬはずの元親の言葉が痛いところを突く。動けぬと言うたであろう、と睨み付けるのに元親は面白がるように時折首に吸い付いてくる。
「止めよと言うておるに……!」
「あんた割と素直に反応するよな。――あ、」
「なんだ阿呆め」
「今日決まったことなんだがよ、近々宴があるんだ」
「そうか、どのような酒肴が好みだ?」
「侍女任せで構わねえよ。あんたのことだそれみりゃ次は完璧に出来んだろ。その宴、あんたも顔を出しな」
「……」
「どうした?」
「私は要るまい。私の盃など誰も欲しがらぬ」
「んなこたあねえ、あんたは俺の妻だ。それが分からねえ野郎共じゃねえ」
「やめよ、そんなことをすれば家臣らが困る」
 ほら、やはり気を緩めてはならぬのだとが身を捩り拒絶しようとすると元親は筆を置き、両の手でを包む。放せ、とのの言葉は黙殺されたようだ。
「なァ、あんた何を恐れてるんだ」
「煩い」
「家臣に盃を拒絶されることが嫌なんじゃねえだろ」
「駒に煩わされたくないだけだ」
「そんな言い方をするんじゃねえ」
「家臣など、所詮駒ではないか!」
「……駒、駒、駒。いい加減その言い方は止めな。不快でしかねえ」
「貴様の心内(こころうち)など知らぬ。私はそうとしか思わぬしこれからもそうとしか思えぬ」
「……あんたにゃ暫く躾とお仕置きが必要みてえだな」
 もう一度、放せ、と言うと次は料紙の海に落とされて鬼はに覆いかぶさってくる。動けぬ身体を引きずって、もう一度放せと言うも鬼はその力を緩めることはない。いつも堪える声が、押し込まれず漏れ出でるほど乱雑に抱かれて、止めよ、と胸板を押し返すも西海の鬼は、あんたは止めなかっただろ、と聞き入れはしない。
 鬼は鬼で何故この女はこれほどまでに頑ななのか分からないでいる。やがて疲労から意識を失うように目を閉じた妻を抱えて髪を梳き褥で呟くのだ。
「あんた何を心に痞えてんだ?」 
 その言葉に彼女はいつ答えるのだろうか。

2014.12.28

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