(五)

 翌日行われた御披露目の儀は予想通り憎悪と疑心に満ちたものとなった。悪意の視線は容赦なく突き刺さるがは格段気にしなかった。皆がひそひそと話し値踏みされるのは痛くも痒くもない。徳川が斡旋した婚礼で毛利が大人しく出した花嫁である以上、表立って何も出来ないのは織込み済みであったし、むしろ女子の典型的な苛めの如く、歩いてる時裾を踏まれるなどされたほうが転ぶという実害がある分はるかに有害だ。新たについた侍女たちはを掴みかねているのか必要以上に関わろうとはせず、そのようなものとは無縁のようだ。
 少し息を吐くと、周りは憎悪を隠すように皆酒を煽り殊更大きな声で笑い合う。横の元親も盃を片手にもっと呑め呑めと家臣を煽っている。そのうち、千鳥足の家臣が扇を手に踊り始めたのを皮切りに、ふらふらになりながら槍を振るう者、庭に降りて剣舞の真似事をする者も現れて一層騒がしい。
 にはそれが靄の先の出来事で薄ら寒いものにしか感じられなかった。例えば、今目の前で槍と戯れる男が酔った振りをして自分に槍を放ってきたら、庭で刀を交えて舞う男たちが二、三歩早足で広縁を上りそのまま刃を構えてきたらこの場は一瞬にして殺伐としたものになる。そうなった時それを止める者はいないだろう。憎き毛利の娘に一矢報いたいのに出来ない、そんな憤懣を酒の力を借りて何重にも包まねば進むことさえ出来ぬ偽りの婚礼なのだ。
「おい
 不意に掛かる声に意識を戻すと元親が顔を覗きこんでいた。
「疲れてんのか? 随分顔色が悪ぃぜ?」
「……動けぬというにいつまでも私の上から退かぬ男に辟易しておっただけ」
「ハッ!」
「私に構うな。大手を振って迎える訳にはいかぬ嫁なのだろう? 取り繕うなど寒々しいだけだ」
「平素は氷のままってか。分厚そうに見えてちょっと触れてやりゃあ溶ける薄氷だけどな」
「喧しい男」
「そんな眉間に皺寄せねえでよ、見てみろよ? 踊ってる奴らは長曾我部の中でも気のいい奴らだ。あんたを笑わせようとしてんだぜ?」
「どうだか」
 疑念が湧く隙も無くは目を反らした。この男は何ゆえちょっかいを掛けてくるのか。抱いて情でも沸いたか? そこまで考えて失笑した。だとすればこの長曾我部元親という男は至極扱いやすく、そして愚かだ。兄が嫌い、計略に嵌めた理由が分かるというものだ。国主は冷静で時として冷淡に決断をしなければならない。情などというもので国を左右させてはならぬのだ。
 貴様とは歩み寄りようがないな、と吐息交じりに言おうとしたその時、不意に急くような足音が広縁を渡る。小鼓や笛の音、そして賑賑しい声と合いの手に交じり聞こえるそれに気付いた者は極少数のようだが、障子がそっと開き端近な者に耳打ちし、次は耳打ちされた者が今度は上座に近い者に耳打ちをする。次に耳打ちされた者がようやく元親の傍に来た。この男は誰だったかと考えて、ああと思い出す。元親のすぐ下の弟の吉良親貞だ。
 荒くれ揃いの長曾我部軍の中で一番理知的な顔をしているのはこの男ではないだろうか。父代から恩のある一条氏を攻めることに迷った元親に「その天罰は私が受ける」と後押ししたのもこの男だと聞く。兄元就曰く「惜しい駒」と言わせた程だ。長曾我部家中を見るに男共はやはり荒くれが多く、この男は養子に出て正解だな、とは皮肉った。
「アニキ、佐保殿がおいでに」
「おう! アイツ来る気になったのか!」
「人目があります故に別室で……」
 そう言う親貞がちらりとを見た気がした。聞かせたくないならば下座の者と同じように耳打ちすればよいのに、と鼻を鳴らしたくなったが噛みつくのも面倒で気づかぬ振りをした。
「そうかい。騒がしいのは嫌いだろうからここまで引っ張って来なくていいぜ。俺も暫くしたら顔出すからゆっくりしててくれって伝えな」
「心得て」
「アイツは普段宴なんてものしねえだろうから少しは気分転換にでもなりゃいいんだがな」
「誠に」
 元親と親貞の目に少しだけ哀調を帯びた色が滲み、二人は頷き合うと親貞はすぐに下がり元親は盃を手に取った。
「聞かねえのな」
「聞いて欲しいのか?」
「んとに可愛くねえのな」
「お前がそれを求めているとは思わぬし持ち合わせてもいない」
 そんなもの幼子の頃に捨ててしまった、そう言葉が口を滑ると元親の表情が少しだけ変わった。彼はそうかい、と続けて酒をもう一度呷ると暫く無言だった。やがて酒の入った家臣の一人がのび、それでもまた酒は追加されて庭では相撲のような取っ組み合いが始まる頃、元親とは退出することになったが、二人は同道せず、元親は件の来客の許へ行きは奥御殿の入口で下を向いて咲く侘助を止めどなく眺めていた。

 長曾我部氏本城本丸奥の一室、障子を少し開けば冷たい海風が頬を撫でるが桂浜から湾に至る景色は絶景だ。中央でにわかに流行り始めた天守を次々に建てる国主が多い中、四国にありながらいち早く天守を所持するこの城は、洒落たものを好む土佐の出来人、西海の鬼と言われた元親らしい城だと言える。
 元親と似た銀の髪を持つ男は姿勢を崩すことなく障子の先に広がる景象を眺めている。少し下座に控える男が、三成様、と心配げに声を掛けると、その名で呼ぶな、と小さく言った。
「ふん、秀吉様に頂いた名を呼ぶなとはな……」
「……」
 銀色の髪の男の名は石田三成、そして下座に控える男は島左近という。先の関ヶ原の敗戦により三成は西軍の将として斬首、左近もまた討ち死にと伝わっているはずなのだが。
「佐保様、我らが城主長曾我部元親参りました」
「わかった」
 三成が答えるとすぐに聞き知った跫音が近づいてくる。いつもと聊か違うのは普段にない服装をしているからだろうと漠然と考えていると、直垂に身を包んだ元親が入って来た。
「よう石田、来てくれたのか」
「することもないのでな。長曾我部」
「ん?」
「此処まで直垂が似合わぬ男も珍しい」
「うるせーよ」
「それからその名で呼ぶな。私に佐保などという名を付けたのは貴様だろう」
「睨むなよ」
「まあまあ三成様」
「貴様もだ、左近」
「はぁい」
 つまりはこうだ。関ヶ原の戦いで西軍は敗走した。大谷吉継が自刃し、毛利も早々に撤退する劣勢の中、三成も左近も命など惜しくもないと家康と相対したが残念ながら本多忠勝をはじめとする多勢に阻まれ倒すことは叶わず捕えられた。総大将である以上、斬首は免れなかったが、そこに元親が割って出たのだ。もう大谷も居なければ毛利も居ない、大坂城も佐和山城も接収したのだから、石田を四国で預からせてくれないかと。元々、元親が西軍に付いたのは家康への誤解であった故だが、それでも土壇場で三成を裏切ったことへの負い目からの行動だろうと左近辺りは思っている。また負い目があったのは家康も同様だった。揉めに揉めたが、三成の斬首は別の罪を犯した罪人を替え玉に使い、島左近は関ヶ原で討ち死にをしたということにして、三成は佐保の名で四国の小さな領地を治め、左近もまた別の名を名乗り三成に仕え、今に至っている。
 多少の軽口を叩くものの今の三成は抜け殻だ。激しい憎悪を向けた家康を倒せずその温情で生き残る自分を当初は恥じ激しく猛り狂ったが、秀吉、半兵衛、大谷の居ない喪失感と、どれほど憎んでも首を取ることの出来ない家康へのどうしようもない虚無感に苛まれ、彼は段々と何も望まなくなっていた。今のように会話することすら稀である。今日彼がここに居るのは何とか気分転換させようと島左近が苦心した結果だった。
 元親が鷹揚な調子で二人の前に座りながら後ろに控える近侍に、頼むぜ、と言うと皆忙しく動き出し始める。三成の方を向く元親の目は西軍を抜ける前と同じだった。
「すぐ酒と膳が来る。飲もうぜ」
「長曾我部」
「ん?」
「毛利の妹を娶ったのは何故だ」
「み、三成様」
「貴様は毛利が憎くて憎くて仕方のないはずだ。私ならば、家康の妹など娶ろうものならその場で殺すか嬲るくらいはやってのける。――なのに貴様は不服一つ漏らさずそんな顔が出来る?」
「……」
「貴様の惆悵とはそんなものか?」
 悲しいかな『家康』という単語が出ると彼は憎しみという名の生気が宿る。三成を生かすも殺すも徳川家康という存在であるのがまた無常だ。元親も左近もそれが心苦しい。
 三成に比べ元親は大人だった。貫く心持ちで投げかけられる言葉も、どうしてかねぇ、という返答で包んで小さく笑った。
「俺にも分かんねえんだわ」
「……」
「は!?」
「まあよ、確かに毛利は殺しても殺し足りねえし野郎共は気のいい奴らだが死んでいった奴らの無念を考えるにゃ余りある。敵ばかりの四国に嫁いできたに同情する奴らも居るだろうが毛利の人質を酷い目に合わせてくれりゃって願うのが大半だろうな」
 婚礼用の白扇を気怠そうに肩に数度当てる元親の姿は彼自身考えを整理しながら話すように見え、トントンと扇が布に触れる音は小さいのに庭の添水のようにも感じられた。
「だがよう、一番罪があんのはあの時四国を空けた俺なんだよな」
 やがて扇をぱちりと鳴らした元親が言った言葉に左近はごくりと唾を呑み込んだ。
「俺が空けなけりゃ毛利もあんな策を巡らせはしなかったろうし家康を誤解することもなかった。んで今を四面楚歌の状況で嫁がせることもなかった訳だ」
 悪ぃ、分かんねえっての嘘な、と元親は笑い外を見た。
「まー多少は俺も苦しんでいいだろって思った訳だわ」
「……」
「ぶっちゃけは顔はいいが中身マジ毛利だからツラい」
「毛利、女版……」
「左近笑うな」
 元親は達観したように笑い、日が落ちるまで語り合った。話の最中、普段酒を口にしない三成が盃を呷ると左近はそれだけで口許を緩ませ、今日引っ張ってきたのは間違いではなかったと頷いた。
 だが三成は宴席を終えた後一人になると拳を握り締めて呟いた。
「私もあの時秀吉様のお傍を離れていなければ……」
 障子の先に広がる夜の帳、闇に冴えわたる月も寒さも、その聲に応えることはなかった。

2014.12.6

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