(四)
長曾我部元親の本城に着き、初日はご休息として休み翌日には結婚の儀が執り行われた。長曾我部氏の親族と毛利からの送り役だけで行われるそれは、値踏みと恨み以外の何物でもない視線の中で進められた。といっても、その翌日のお披露目の儀には家臣も加わる。猜疑心や憎悪の視線は倍どころではないだろう。
は、三々九度のこの盃に毒を塗られていたとしてもさほど驚かぬな、と漆塗りの器に揺蕩う酒を静かに眺め口を付ける。飲み干しても寒々しい空気はも皆も変わらない。とんだ茶番だと思いながら結婚の儀は静かに幕を下ろしたのだった。
――夜、真っ新の白小袖に袖を通しても真白になった気にもならない。結婚の儀の最中も目が合えば鼻で笑うような長曾我部元親、退出の時も先に行ってろと同行さえしなかった。あの男の心情などどうでもいいが、これからあれと二人きりなどとは憂鬱だ。まして加虐に趣を見出すような男なら先が思いやられる。
溜息を吐けば襖の先で侍女が身動ぎした気配がした。懐刀を手に押し入るだろうかなどと考えるが、それもまた止む無しかと自嘲せざるを得ない。は前日、ご休息の夜に引き合わされた長曾我部側の侍女の前で、毛利から付き従った侍女らを国許に戻るよう指示を出した。動揺する双方の侍女らの前で送り役の福原を呼び、連れて帰れと駄目押しすると、何事かと訪れた長曾我部側の迎え役も、流石にそこまでは、と言いかけた。何を取り繕うのかと皮肉に思ったが、半端に置いて疑われるのはかなわぬ、と突き返して意を通した。
遠く奥州の地では乳母や侍女が実家に内通し処断せざるを得なかったと聞く。それでなくとも毛利は、徳川方が尼子を使い花嫁が本人であるか確認せねばならぬ程信頼とは程遠い。すでに我が身は毛利の庇護を得ることは出来ぬ身で、今の安芸毛利家は知略はあれどもぐらついた盤上にある。それ故に気安いからと疑惑の種を傍に置き付け込まれる隙を作る訳にはいかないのだ。
瞼の裏で、船まで同道していた継母の侍女が涙目になりながら自分を見ていた姿が浮かび、案ずるなとも言えず無表情と貫いたそれが正しかったのかには見当がつかないでいる。
「お方様、殿のお越しにございます」
耳に慣れぬ女の声がしてゆっくりと頭を下げた。広縁を大股で歩く男とそれに着き従う幾人かの足音がして障子を開け、襖を抜けて、慌ただしくの前に座る気配がする。
「後はいい、下がんな」
「心得ました」
男も女も忙しなく衣擦れの音をさせ足早に去っていくのは蜘蛛の子を散らすようにも見える。仕方あるまい、彼らもまたこの場には居づらいであろうから。
「面を上げな」
言われるまま頭を上げ今宵夫となった男を見ると、彼は胡坐を掻き気まずそうに舌打ちをしていた。その所作は船上で見た横柄さには程遠い。
「あー、悪かったな。家臣領民の手前大手を振ってあんたを迎える訳にはいかねえんでな。まあ、これからは安心しな。あんたの傍に置く侍女は毛利との戦で身内を亡くしてねえ奴らを揃えてるからよ。幾らかは気が軽いと思うぜ」
「……」
何故だかちくりとして苛立ち沸き起こった。
「あんたは今日から俺の嫁だ。蟠りも難しい背景もあるが……」
「――堅苦しい言葉も気遣いも要らぬ。私は駒、駒は駒なりに扱え。故に勝手に抱いて勝手に去ね」
「あ?」
の言葉に元親の目の色が変わったのが見て取れた。だがには忿懣やるかたない想いを隠し取り繕われても迷惑なだけだった。駒は駒、贄は贄と扱われる方がはるかに気安い。毛利の娘に気遣いをしようとしたこの男がすでに理解の範疇を越えているのだ。
「やれやれ。ちゃんよ、そう言や俺が切れて去るとでも思ったかい?」
「貴様の感情など窺い知らぬ」
「ハッ! 花嫁御寮が未通のまま初夜を過ごしたとあっちゃ恥をかくのはあんただぜ?」
「其方こそ愚かよ。私が未通か分かるまいに」
「ほう? そりゃ試せってことかい?」
「外れでも引かされたと悔しがればよいわ」
「威勢がいいねぇ。毛利の姫はそうでなくっちゃな!」
「っ――!」
言うや否やの視界は元親と美しい花々を描いた襖から口を歪め鬼の片鱗を露わにした元親と天井に切り替わった。後頭部に感じる畳の感触にせめて褥に落とせと言ってやりたくもなろうものだが押さえつけられた二の腕が痛い。
「はっ……! 女一人甚振って溜飲を下げるがいい」
「そこまで言うからには鬼の怒り、その身ちったぁ受けてみな」
渾身の力で払いのけようとするの両手をいとも簡単に掴んで頭上に縫い付けると鬼は嘲るように耳元で囁いた。
「クク……毛利の姫が俺に組み敷かれるたあなァ」
「いちいちうるさい男だなっ……」
「もう少し媚びてみな? ならそれなりに啼かせてやるからよ」
「驕るな」
「可愛くねえなァ、いちいち野郎と同じ受け答えしやがってよ」
「仕方あるまい? 我も”毛利”故な?」
「ハッ!」
兄の口真似をし今度はが嘲笑えば一層身体に圧し掛かられる。首に吐息を感じ、黒方の匂いが掠めていくうちに四肢はどんどん蹂躙されてゆく。怯えてはならぬ、堕ちてなるものかと唇を噛み締めるに元親は囁くのだ。
「吐息の一つも吐いてみな? 閨で感じることは罪じゃねえ」
そうして喘げばこの男は思い通りになったと口の端を釣り上げるのだと思えば言う通りにするはずもない。誰が感じるかと睨みつけると彼は、強情め、と呟き逃がさぬとばかりに触れて、首を捩るに最後通牒にも似た言葉を落とすのだ。
「受け入れな。勝手に抱けと言ったからには全部受け止めろよ」
細紐を解き開いてみれば華奢としか形容の出来ぬ細身の新妻、きゅっと口を結び元親を睨みつけるも夫が責め立ててやれば眉を顰めて目を逸らし、時折隠しきれなかった吐息が漏れる。そして破瓜の痛みか瞼に付いた滴が劣情を誘うのだ。
「このっ……」
「んとに威勢がいいねぇ。やめときな、薬でも使って堕とすことも出来んだぜ?」
元親が一層口許を湾曲させたのが見えては足掻いた。組み敷かれて思い通りにならぬ女の身が腹立たしく、それを如何こう出来る男が恐ろしい。自分でも分かるくらい息が上がるのも忌々しく、手が自由になるのなら爪の一つも立ててやりたくなる。そんな我が身を好きに扱う男の声はの耳を掠めるのだ。
「最後まで氷でいてみろよ。溶けかけてるぜ?」
穿つこの男が憎たらしい、思い通りにならぬ我が身が恨めしい。もう隠せなくなった吐息に聴覚も感覚も侵されてそれでも見失うまいとするも元親の聲は頭をかき乱す様で惑乱に染まるのだ。
「雉も鳴かずば撃たれまい……ってか。あんたのことだぜ」
半宵、初めて事を得たというのにの威勢は変わらなかった。否、身体は確かに疲れ切って傍目にも痛々しいのに剥きだす敵意に遜色がない。白小袖を覚束ぬ手で手繰る彼女に元親がそっと手渡してやろうとすれば、貴様の手など借りぬ、とけんもほろろだ。
通常より長めの時間をかけて帯まで結びあげるとはよろよろと立ち上がり外へ出ようとする。これ以上夫と居る気がないという意思表示だろう。同じく白小袖に手を通した元親は寝そべったまま言てやった。
「やめときな、毛利の姫は初夜に逃げ出したと言われんぞ」
「言いたければ言えばいい」
「まあ流石にそのまま出るのはよしな。自分の身体見てみろよ、髪は乱れて身体は汗ばんで男にヤられましたって見せてるようなもんだぜ。それともそんな趣味があんのかい?」
「痴れ者が」
「身体は拭いてやるよ。そりゃ俺の甲斐性って奴だからよ」
元親がそう言うとは面白くなさそうにフンと首を横に振った。