鎮魂(三)

 は心苦しく想いながらも、どこか冷静に頭が働いていた。この人は今、こう言ったのだ。
――術者が俺をここに封じた。封じられても意味なんてねえよ。俺は気が向けばずっとあの家を呪う――
 何かとてつもない矛盾を孕んでいる。
 まさか。
 はたとして恐る恐る口を開いた。
「あの、」
『うん?』
「呪おうと思えば今すぐでも出来るんですか?」
『アンタ可笑しなことを言う娘だな。……その通りだ、殺そうと思えばすぐに今の当主も殺せる。ここに押し込められたくらいで俺から逃れたなんて虫のいい話だぜ』
 ああ、なんてことだ。
 心に芽生えた猜疑の種が確信へと変わりは我が身から血の気が引くのを感じた。
 何が毛利家に仇名す醜悪な怨霊か。
 先祖は名を残し、家を残し、立派な墓に眠り弔われているというのに。何が鎮魂だ。これはそんな殊勝なものではない。
 繰り返される鎮魂の儀、その真意は贄を差し出し、殺させ、その罪悪感に苦しんでる間に家の平穏を保つことなのではないか。
 彼が怒りに震えるのは生贄が来るまでのほんの数ヶ月だ。それから数十年は罪悪感という名の奈落に落とし目を逸らさせる。鎮ませる気なんか端からなかったのだ。元親に殺される娘達も家を生かすための只の駒。
 毛利家の娘を殺すのだ、さぞそれで溜飲を下げるのだろうと思っていた。そして足りなければ次の贄を要求するのだと。
 だが違う、そうじゃない。この人は恨みを凌ぐほどの罪悪感に数百年打ちのめされているだけだ。先程見たあの抜け殻のような姿で。元親と矛先を変える為の私達巫女、どちらも当の昔に死んだ毛利元就の手のひらの上で踊らされ続けていたのだ。
 なんて酷い。なんて残酷なのだ。

『何故泣く。……俺に近づくな。俺の中には確かにまだ毛利を憎悪する心がある。抑えきれなくなったとき、俺はアンタを殺すだろう。だから離れろ。そして祠から出て行け』
 言葉に出さない感情はそのまま頬を伝っていたらしい。元親に言われてははじめて自分がまた泣いていることを知った。
 生前、この男はとても優しい人間だったのかもしれない。殺したいはずの毛利の娘に逃げろという。殺すのを止めたいのだとも。だからこそ思うのだ。この人をこのままにしておいてはいけないと。制止を振り切りは距離を詰めて元親の傍に座った。片目の怨霊は酷く狼狽してを見る。
『おいっ』
 長い爪の生えた手を握る。気が遠くなるほどの年数を重ねた彼は人であることを放棄して久しい。人らしい温かさはとうに消えて、氷のような冷たさを孕んでいた。
「私、どうすればいいか分からないんです。あなたを貶めた上に私が生きていて、でも命をあげるといってもあなたは苦しむんでしょう? あの、どうすればあなたは救われますか」
『――アンタ、同情なら止めときな』
「違います。私も終わらせたいんです。私も貴方と一緒に往けば成仏出来ますか? ええと生贄として私が死ぬんじゃなくて一緒に天に行くんです。強制されたことじゃないですよ、私が納得してだから貴方が罪悪感を感じることはないと思います」
『……』
「あ、私でよければの話なんですけど……」
『アンタとことん変わった娘だな。あの男とは違う、心に血が通っている。……だがだからこそもう犠牲は出したくねえんだ。初めてだ、最初はどうあれ巫女を殺してねえのは』
「なら出来ることをさせて下さい。何か心残りは他にありますか? したいこととか」
 は必死に食い下がった。元親は怪訝そうに見たが猛るようなことはせず静かに呟いた。
『――……海に、行きてえ』
「それなら、この洞穴のずっと奥は瀬戸内海に繋がってるって聞いてます」
 は少しだけ嬉しくなってそう告げた。
『本当か?』
「はい」
『なんてこった、海を愛した俺が恨みに感けて潮の匂いにすら気づかねえなんてよ』
 元親は首を振りそうしてふらりと立ち上がった。衣ずれの音が静かに響く。きっと互いに奇妙だと思っていたに違いない。家を呪う怨霊とその贄の娘が襲いもせず、たはまた逃げもせず連れ立って海を目指すのだから。
「あの注連縄の扉の向こうらしいですよ」
 と、が前方と大きな注連縄のついた古い木製の門を指差すと元親は首をかしげてこう言うのだ。
『扉? 俺には見えねえ』
「えっ?」
『……術者がなんかしてたんだろうな、人じゃねえ俺には見えねえような』
「……」
 なんと答えてよいか分からずはそっと扉に手をかけた。何百年も前のもの、そうそう開けることもないと思ったのか、重要なものを置いてる訳ではないからなのか、閂すら掛かっていないそれはが触れるとゆっくりと動き出した。金具は錆びて容易に開く筈などないのだが、まるでそれは巫女が触れればすぐに開くように仕向けられたかのようだった。
 風と潮の香りが少しずつ舞い込んで辺りを包みだした。そして、

 隙間から、光が差し込んでくる。

 ――兄貴!
 ――ああ、やっと開いた!

「え……?」
 確かに声が聞こえた。一人ではない、複数だ。最初は小さかった声は徐々にはっきりと耳に、頭に響いてくる。

 ――兄貴、もう止めて下せえっ……
 ――兄貴らしくねえ……
 ――すいやせん、俺達が逝っちまったばっかりにっ……

『……野郎共の、声が聞こえる……っ』
 元親は呆然としたように光の先を見つめ声を震わせていた。かと思えば膝を崩し土を掴む。
『俺は、俺だけが苦しんでいるのかと……』
『野郎共っ……野郎共すまねえ……俺が国を空けたからっ……畜生っ!』
 元親の頬は濡れていた。人外のはずの彼の涙を、は綺麗だと思った。

 ――往きやしょう兄貴、俺らと一緒に。

 姿は見えない、だけど声は確実に大きくそして数を増やし元親を誘う。元親は懐かしそうに眺めていた。
『駄目だ、俺は終わらせてえと思った。だが、ここで俺は罪もねえ娘を殺したんだ。ここから解き放たれてもおめえらとは一緒に居れねえ』

 ――兄貴っそんなこと言わねえで下せえっ!
 ――閻魔がそんなことしやがったら俺らがぶっとましてやりますよっ! それでも駄目なら一緒に地獄に落ちやしょう。ね、兄貴っ!

『おめえらっ……』
「往って下さい。……巫女達の供養は私が必ずしますから」
『……っ』
 声の主達は扉の先で待っていたのだ。苦しむ元親を見て嘆き、同じように苦しんでいたのだろう。数百年、ずっと。
 彼を救う場所はこんな傍にあったのだ。
『海に帰ぇるか……なあ? 野郎共……』
 そういい終えると、元親の身体が優しく光り、それが徐々に収まると彼の身形は変わっていた。連獅子のようだった長い髪は短く、ボロ衣は蒲葡色の美しい着物に。手には錨のような大きな槍が握られていた。これがきっと生前の彼だったのだろう。とても颯爽として、神々しかった。
 元親は立ち上がりゆっくりと、扉の向こうへ足を踏み入れる。だがふと思い留まってを見た。
『アンタ、名前は?』
です」
 あえて、姓は名乗らなかった。
『良い名だ、ありがとな
「そんなこと……えと、」
『最後くらい元親って呼べ』
「……元親さん、私なんて言ったらいいか分からないです」
『謝まんなよ、俺も止め処なくなる』
「なら、いってらっしゃい」
『ああ』
 そう言うと元親は初めて穏やかに笑んだ。
『もし、またこの世に生まれることを許されたらアンタに会いてえな』
「私もです」
『アンタと同じものを見て、アンタ過ごしてみたい。そう思える』
 は目を見開いて、元親は満足そうに一瞥すると背を向けた。
『待たせたな! 行くぜ野郎共!』

 ――兄貴っ兄貴!

 彼を慕う者たちの声が響き、元親が完全に扉の奥に進むと扉は独りでに閉じていった。は一言も言葉が見つからなくて只静かに手を合わせ涙してそれを送ったのだった。
 きっと彼はもうここにさ迷い出てくることはないだろう。先祖の呪縛から解き放たれたと信じて、彼の成仏をひたすら願わずには居られない。

 そこには潮の匂いが残っていた。


 かくのみにありけるものを 猪名川の 奥を深めてわが思へりける
                                             作者不詳(万葉集3804番)

- end -

2011-05-16

意訳 貴方はこんなにも儚くなってしまった。ですが私は猪名川よりも深く貴方を思っていたのですよ。

何があっても野郎共は兄貴と一緒だと思います。

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