鎮魂(二)

 ぴちゃり

 祠に着く前首筋を襲ったあの水滴の感覚が今度は頬に蘇る。はゆっくりと目を開け、小鉢から散らばり落ちた金平糖のような記憶の一つ一つを手繰り寄せてか細く息を吐いた。
 生きている。
 首筋に残る不自然な痛みは幻覚ではない。確かにあの怨霊に首を絞められたのだ。
 ぶるりと身が震えた。なんてことだ。あの怨霊は恨みが鎮まるどころか、年月を重ねた分だけ激しく怒り猛っていたではないか。どうしよう、生きていることが知れたらまた殺しにくるかもしれない。
 逃げなければ。
 自分が如何こう出来る相手ではないと身を持って知った。不自然に動かぬ四肢をどうにかしようと足掻く。だがふと別の想いが脳裏を掠める。
 逃げて、どうなるというのだ。
 自分が逃げれば今回の鎮魂は不十分となる。そうすれば、だれが次の犠牲になる? 知れたこと、妹だ。それだけは出来ない。ならどうすればいい? ――
 は自分の身体が震え流れ落つる涙と共にその立場を自覚した。
 そう、どうしようもないのだ。
 あの怨霊が戻ってきたら、やはり自分は死ぬしかない。代わりなど誰にもさせられないのだ。
 首を絞められた為か、それともこの祠に満ちる怨霊の瘴気なのかは分からないがとにかく身体が重い。更に足掻いて身を起こすとふと耳に響くものがあった。

『……殺っちまった、また、殺っちまった……。殺したいのはこの女じゃねえのに。畜生っ……!』
『……そうだ墓を、墓を掘ってやらねえと……』
 先程とは打って変わって、静かな、そしてどこか魂が抜けたような聲。だがそれは確かにあの怨霊の聲だ。
 は覚束無い足をなんとか奮い立たせて踏み出す。ゆらりゆらりとする様は幽鬼のようで、もうすでに死者に片足を突っ込んでいるのかと自嘲せざるを得ない。
 もうさっさと終わらせてしまおう。
 そう諦念すればすぐ先に背を向けた例の怨霊の後ろ姿が見えた。
「あの……」
『……アンタ、まだ息があったのか』
「そう、みたいです」
『良かった』
「え?」
 飛び掛られるかもしれないと思っていた。しかし返ってきたのは予想外の言葉で。
 何を言っているのだろう。露骨にそんな表情をすれば相手は少しだけ困ったような顔をし、視線を外した。先程聞こえた声と同じように剣呑さは消え失せて、血走った眸の色は綺麗な蒼に変わり穏やかな海のようにも感じれた。まさかそんな答えが返ってくるとは思わなくて、そんな会話が出来るとも思わなくて、は少しだけ我が身の悲壮感から離れて彼の話を聞き入った。
『毛利の娘が来る度に、何度も墓を作ってるんだ』
「……」
『見な』
 促されるまま周囲を見渡せば、そこには七つの盛られた土と神楽鈴があった。彼の言う墓がこれなのだろう。きっとその下には歴代の巫女達が眠っている。が口承で伝え聞いた巫女の数と、その盛り土の数は一致していた。
『この墓に眠るのはあの野郎の孫娘だ。綺麗な顔がアイツに似ていてアイツを思い出すと自制が効かなくなった。気づいたら死んでいた』
『こっちに眠るのはそれから三代後の当主の娘だ。食われると思ったのか、それとも犯されると思ったのか知らねえがその場で首を掻っ切った』
『それからこっちは……初代と一緒だ。毛利の血を感じたら殺さずには居られなくてよ、ほんの少し力を入れたら死んじまった。ほかも同じだ』
『……何度も揺さぶったんだ。だがみんな起きなかった。アンタも相当揺さぶったんだぜ? だがピクリともしなかった』
「……」
 毛利家に憑き、巫女を殺す、たしかにこの男は怨霊なのだろう。だが人の心を完全に放棄した訳ではないらしい。怨念に取り憑かれれば殺し、正気に返れば苦しみ罪悪感に揉まれながら巫女達の墓を作る。悩み、後悔する不完全な様はまさしく人そのものだ。
「巫女を殺したら……気が晴れるんですか?」
『いや、一度もそんなこたぁねえよ。ずっとここに座って、何で殺したのか、この娘はどんな顔だったかって考えてる』
『巫女が一人死ぬたびに数十年ここに座ってんだ』
「数、十年……」
 反芻しながら、それが注連縄に異変が起こる年数と一致することに気づく。はもしやと心臓が握り潰される想いで怨霊を――長曾我部元親を見た。

『もう何年こうしているのか知れねえ。最初はお前の家を襲ったんだ。毛利本人を呪い殺そうと思った。だがアイツは自分のことなんてどうとも思っちゃいねえ。だから毛利が奪われて困るものを奪うことにした。毛利家存続の為の嫡男を殺し、縁者を次々に呪った。奪われ、一人残される苦しみを与えてやりたかった。アイツが俺たちにしたように』
「……」
『奴もようやく焦ったんだろうよ。いつの頃か、術者が俺をここに封じた。封じられても意味なんてねえよ。俺は気が向けばずっとあの家を呪う。……だがもういい加減終わらせてえ』
 それはとても偽りには思えずは真摯にその背を見た。とて同じなのだ。こんなことは終わらせたい。
 生贄は数十年に一度、祠の注連縄と紙垂(しで)が燃やされたように焦げたらそれが合図でそのときに一門にいる未婚の娘の中で最も本家に近い者を生贄に差し出すのが決まりだった。先祖の毛利元就の孫娘が最初で今回はだ。
 言い伝えによれば逃げ出す者、自害する者、気が触れる者、様々だったが、近年では一門に生まれた娘らは何度も言い含められた為かその日が来なければいいと考える反面、来たら仕方がない、と皆諦めた。逃げられないと分かっているからだ。
 ≪毛利の女は何のために生まれてきたの≫
 そう問えばきっと分かりきった答えが返ってくる。毛利家繁栄の贄だと。
『ハッ! なんでアンタにここまで話すんだろうな』
 彼は鼻で笑い、ぽつりと言った。それはひどく万感交到った様子では何も返せなかった。
『野郎共達はちゃんと浄土に往けたかな……』
 そして巫女達も。
『俺はもう望んじゃいねえが』
 洞穴の中をまた少し風が吹き抜けていった。


さらにまた同じ月日のめぐり来て 帰らぬ人をしのぶ頃かな
                                       小田宅子(東路日記)

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2011-05-16

意訳 また何回目かの命日が巡ってくる。胸の内で帰らぬ人の思い出が溢れてくる。

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