奥州伊達氏。
冬は白銀、夏は青々とした緑と薫風香るこの地は、独眼竜と渾名されその強さを誇る当主伊達藤次郎政宗の下、安定した統治がなされていた。
国主伊達政宗が戦に明け暮れたのは十代後半のこと。二十を超えてからはいち早くそれから離脱し、拡大した領地の開発と有力大名との同盟に力を注いだ。今では北の地にありながら城下には京の商人が運んだ茶器をはじめ、四国の長曾我部と同盟したことにより輸入出来るようになったギヤマンや天鵞絨などの珍しいものも並び、列強に劣らぬ華やかさと国力を有するに至り、今では伊達氏始まって以来の大国として未曾有の繁栄を成していた。
政宗には正室愛姫がいるが二人の間にはまだ子はない。家臣らは早く御子をと躍起だ。それもそのはず、跡継ぎにもなり得た弟は十年近く前に亡くなっており政宗に最も近しい血縁、と言うのは歳の離れた妹姫のみであるから尚更だ。
その妹姫も政宗と愛姫が大層慈しんで育てたあげたが、大国の国主の血縁である以上様々な思惑と無縁ではいられない。近年、周辺諸国が気にするのはその姫のこと。歳も十六に差しかかろうという娘をどの国が得るか、水面下で争いをしている。子のいない国主の妹、その姫の夫となって伊達家に養子としてはいるか、はたまた姫を貰い受けて、子を成しその子を養子として伊達家に送り込むか。
他国から見れば今の伊達家はカモである。絶えず忍びを送り込み、または進物を贈り、ここ数年政宗の関心を買おうと皆必死だ。しかしながら当の政宗はこれに辟易。油断ならぬ忍びが妹姫を浚わぬように厳戒態勢を敷き、進物には当たり障りない礼を返しながら気の休まらぬ日が続いている。
「――ったく、またかよ」
政宗は形の良い眉を僅かに吊り上げ庭に引き出された不埒者の顔も見もせずそう言った。蝉が啼き声が彼の不快感を一層煽る。下座に控える腹心片倉小十郎も聊か溜息交じりに答えた。
「は、そのようです」
「これじゃあ黒脛巾組も眠れやしねぇ」
「我らのことはご心配なく」
不埒者を取り押さえた忍びの横で長らしき男が短くそう答えると、気だるそうに髪を掻き、掻い膝の姿勢のままカツっと煙管を煙草盆に打って、そのまま置いた。
「こりゃあんまり美味くねえな、もう取り寄せなくていい」
「御意」
「さて、素性は吐いたか」
「未だ」
「手ぬるい」
「申し訳ございません」
心持低い声で言うとようやく政宗は不埒者に目を遣った。戦を止め歳も二十代後半に差し掛かった政宗、戦場から離れ国主として成熟した分その覇気は成りを潜めたかと知らぬ者は言う。だが傍にいる者は知っている。その眼光は衰えることを知らず、否、歳を重ね戦に出ない分、鬱積するかのように日に日に増していることを。
政宗が左目で一睨みすると不埒者は震え上がった。
「どこの手のもんだ」
「……」
「答えな、その気になりゃアンタの里も主も殺ることは可能なんだぜ? 自分の口で言っちまった方が楽じゃねえか?」
「……っ」
「Ham...」
政宗は立ち上がり煙草盆を差し出す。伊達家が誇る忍び黒脛巾組の長、柳原戸兵衛はそれを恭しく受け取り一礼した。
「戸兵衛、それをこいつに吸わせろ」
「は、煙管をで御座いますか? これは妙薬と伺っておりますが」
「西海の鬼が言うにはどうもそういう類のもんじゃねえらしい。吸い続ければ黒煙が肺を蝕み食らい尽くし死に至るそうだ」
「そのようなものっ政宗様っ」
「いっぺん試しただけだ、もうやらねえよ」
小十郎の抗議を手早く牽制すると政宗はもう一度告げた。表情を変えない政宗の、そして何も受け付けぬといわんばかりの抑揚のない声に不埒者の顔色は見る見るうちに青くなった。
「戸兵衛、吐くまで吸わせろ」
「承知」
「ひっ」
「ってことだ。頑張んな」
戸兵衛とその配下の忍びはそのまま不埒者を引きずって行く。恐れ戦く悲鳴が気の毒にも感じれたが生半可に許す訳にもいかない。あの様子なら吐くのも時間の問題だろう。政宗は口直しにと近自習に茶を用意させ一気に呷ると、竜の右目といわれる腹心に漏らした。
「ここ最近は特に酷くなってきたな」
「鬢批がお済みになられたので皆いよいよと思っておるのでしょう」
「を娶ればゆくゆくはこの奥州が手に入る、か。馬鹿だぜ。俺には成実も他の従兄弟もいんのによ」
「御子がいらっしゃらぬゆえ皆不埒な考えを抱くのです。愛姫様が輿入れされて十五年にございますれば」
「やれやれ、俺は国が落ち着いてからゆっくりって考えてたんだがな。愛もそうだ。が相応の年齢になってからでいいと。俺も愛も子を諦める歳じゃねえっての」
「お耳に入れるには憚られますが、国主としての勤めなれば」
「野暮はなしだぜ、分かってるさ。そろそろ作ってもいいかと思ってる」
「それは重畳」
「だが過度な期待を愛にかけるなよ、それじゃ出来るもんも出来ねえ。周りにも言っておけ」
「御意」
主君の奥方への愛情に内心頬を緩ませながら、小十郎は気取られぬように目を伏せ茶に口をつける。
昔の主君は所作や言動は一際冷静でありながら内に抱えた血気と覇気は小十郎はじめ側近にも止められぬものであった。若さに駆られて戦端を開けば面白いように勝ち領土はみるみる増えていった。だがいつの頃か戦をぴたりと止め開墾と国力増加に力を注ぎ、民の暮らしが安定した今では伊達軍のみならず領民から熱狂的な支持を受ける領主となった。戦に飽きた、国を富ませたかっただけだと言う政宗だったが、その裏で戦に出るたびに心がはち切れんばかりに見送っていた妻を思いやってのことだということを側近達は知っている。
出来ることなら、二人の間に御子が欲しい。それは伊達家中すべての願いだった。
「まあ何にせよこのままじゃ愛もも哀れだってのも分かってる。コブがいるから子が出来ねえなんて陰口でも叩かれたら餓鬼なりに悩むだろうしな」
「そのようなこと、我らが言わせはしません」
「Haha! お前に睨まれたら皆黙るだろうな、怖えし」
「それはまた、お人が悪い」
「だが人の噂に戸口は立てられねえ。それなりに探りを入れてはいたが、本腰を入れて見繕ってやらなきゃな」
「まずは大名子息に詳しい者に調べさせ、相応しい者の名をいくつか上げてみましょう」
「お前のことだ、多少の目星は付いてるんだろう? 分かっているたぁ思うが忍びや進物を贈りつける生半可な男は問題外だ。この俺の目に適う奴はそうそう居ねえ。覚悟して選べ」
「肝に銘じまして」
その答えに満足したのか、政宗は立ち上がり颯爽と部屋を出て行った。対して小十郎は頭をたれたまま、これから選定が終わるまではまともに眠れまい、と覚悟と共にそう諦念したのだった。
- continue -
2013-03-24
今度は幸村長編の始まりでございます。【雁の聲】とはまったく趣が異なりますので苦手な方もいらっしゃるかもしれません。
許容できるよ!という方々、最後までお付き合いいただければと存じます。