恋の端、登れ恋の坂(八)

 約束の日時、政宗はを迎えた。
 伊達家の門を潜った彼女は予想通り唖然とする。大層な和風の門構えに圧巻された様子でもあったが、母屋への入り口まで単着物や袴姿の男性たちが一列になって頭を下げている様にだ。私何処に来ちゃったんだろう、とばかりに見返してくるだったが応える政宗も半ば頭を抱えていた。
「だ、伊達君、これ、ちょっ」
「頼む気にするな、気にしないでくれ」
「む、むりっ」
「だよな」
「いらっしゃいやせ!」
「ど、どうも」
 門弟たちの一斉の挨拶に弾かれたように愛想笑いを返すとまるでウェーブを起こすかのようなどよめきが生まれた。
「あ、笑ったっす!」
「なんて可愛い笑顔なんすか!」
「筆頭お目が高え!!」
 などと抜かすものだから、どういう表情をしたら良いものかととしてはますます困惑せざるを得ないようだった。
「うるせーぞ! おめえら! 様がお困りじゃねえか!」
「こ、小十郎様っ!!」
様、ようこそいらっしゃいました。私青葉流師範代片倉小十郎と申します。政宗様幼少のみぎりよりお傍近くにおる者です」
「ま、政宗様って、あ、ご丁寧にありがとうございます。です。本日はお邪魔致しま……」
「おい小十郎」
「何でしょう?」
 母屋までの石畳を挟む門弟たちの列を通るように現れた片倉小十郎の肩に腕をかけに背を向けた政宗は若干歯をギリギリさせながら小さく、だが怒りを込めた声音で詰め寄った。
「Don't pull my leg.(ふざけんな)てめえ俺が昨日言った言葉を忘れてやがるのか」
「政宗様、恐れながらこの小十郎、政宗様の大切なお方が来るのを素知らぬ振りをするなど出来ません」
「てめえのその自己満足のせいでアイツ明らかにドン引きしてんだろ! どうすんだよこの空気」
「不安な女性を巧く導くのが男というものですぞ」
「That's disgusting.(むかつく)ならてめえはこの馬鹿騒ぎをどうにかしやがれ」
「御意」
 御意、じゃねーだろーが! と追撃をするのも厭わしい。皆の様子に埒が明かぬと怒りを抑え向き直ると、相変わらず困り顔のの手を取って自室に急ぐことにした。が、それもまたある種の火種となるのがこの伊達家の面倒くさいところだ。いや、知らぬ女性が来れば皆浮き足立つのはどこの家庭でも同じであろうか。
「わーお政宗大胆!」
「チッ……」
「非道い! 舌打ち!!」
、面倒くさいからさらっと説明するがこいつは俺の従弟で成実、それ以外は覚えなくていいし近づかなくていい」
「う、うん」
「なんで!!」
「紹介はこれで終了だ。さらばだ成」
「そんな箇条書きみたいな紹介!」
 上ろうとした階段の上から顔を出していた従弟を睨め付け紹介を殊更簡潔に済ませるべく早口で告げると当然の如く抗議の声が上がる。
「だから面倒くさいっつってんだろ。名前と俺との関係以外に他に伝えることあんのか?」
「いやない、……って少しぐらい直接会話させてよ!」
「断る」
 の手を引いたまま素っ気無く成実の横を通過する。哀れに感じたのか彼女が会釈すると気を良くしたらしい成実が、ちゃん後でねーと手を振る気配がする。これは目が離せない、トイレにもいけねえな、と警戒しながら政宗は一度ぎろりと成実、小十郎、その他門弟たちを一睨みして自室のドアを閉めたのだった。

 部屋に入った途端二人の口から漏れたのはハァという大きな溜息だった。彼女は思わず眉を下げて笑い出した。
「伊達君、愛されてるね」
「感想の第一声がそれかよ」
「ビックリしたことはいっぱいあるけど一斉に聞いたらパンクしちゃいそう。おいおいお伺いします」
「はいはい」
 はじめよっか、と続けて彼女は勉強道具を取り出す。理数科に通う人間らしく数学や科学などはお手のものなのだが、逆に古文が極端に苦手だそうで、政宗も教えることがあったが彼女の苦手意識は払拭出来ていない。何度やっても頭に入らないのだそうだ。
「時間に余裕があったらまた教えてね」
「Okay」
 そういって政宗も生物の教科書をめくり始めた頃扉の先から、政宗様、と世話係の声がする。適当に返事をすれば折り目正しい姿勢の小十郎がそっと扉を開けて室内に入ってきた。
「なんだよ」
「お飲み物とお茶請けを出すのは最低限の礼儀かと心得まして」
様どうぞ」
「ありがとうございます。あ、遅くなりましたが今日はお邪魔します。お口に合いますかどうかわかりませんけど」
 小十郎が紅茶と手頃な洋菓子をテーブルに置くと、今度はが思い出したかのように鞄から包みを取り、頭を下げて前に差し出した。
「これはまたご丁寧に。なかなかの名店のお茶でありませんか。次のお飲み物はこれをお持ちしましょう」
「気に入ってもらえるといいんですが。あ、」
「如何なさいました?」
「えと、こちらは随分大きなおうちですけど、お茶とか日舞とかそういう……?」
「伊達家は能の大家でございます。政宗様は初代から数えまして……」
「小十郎そんくらいにしとけ」
「はっ」
 長年付き合いのある政宗には彼の伊達家語りが恐ろしく長いことを知っている。無難に制してしまうが吉だ。ではこれにて、と小十郎はの土産を手に引き下がると政宗はもう一度溜息を付く。ふと見れば彼女もまた同じようだった。
「どうした?」
「あ、伊達君のおうちが能で良かったなーって。茶道のお宅だったらお土産笑われるって門見たときからハラハラしてたの」
「気遣いなんていらねーのに」
「お邪魔するのにそういう訳にはいかないよ」
「悪かったな。小十郎の反応をみるとかなりいいの持ってきたんじゃね?」
「えーと……」
「Um?」
「実は何が良いか分かんなくておばあちゃんが何処に出しても大丈夫な茶葉だよっていうのを持ってきたの」
「ブッ」
「ぬっ! 無教養で悪かったですね!」
「悪ぃ悪ぃ、そうは言ってねえしそういう意味での笑いじゃねえから」
 気恥ずかしさから頬を膨らませて見上げるように睨む彼女に、こいつ反則だろと政宗は頭を掻く。緩みかける頬と高鳴る心臓を直隠しにしてさて本来の目的に入ろうと再び生物の教科書のページをめくる。

 ――が、

「政宗ー! 此処分かんなーい」
「成実ぇええ!!」
 めくるはずの教科書は即座に閉じられてノックもなしに入室してきた従弟の頭部へと振り下ろされる。
「あだっ!!」
「てめえそのページ朝から進んでねえじゃねえか! 食塩水の計算ぐれえ中学でやってんだろうが! 受験のときも散々教えてやったろ!」
「忘れたー」
「Aaaaaaann? んなら教科書穿り返して来い! サービス問題だろうが!」
「捨てたー」
「Fooooool!! とりあえず俺も勉強があんだよ! 部屋戻ってろ!!」
 政宗は勢いのまま、有無を言わさず後ろの襟首を掴んで部屋の外へと引きずり出す。政宗いたーい、という気抜けた声と、ちゃんまたねー、という科白にもう一度拳骨をかまして扉を開けた。
 するとその先には明らかに影から様子を伺う大人数の気配がして、政宗は頬が引きつるとはこういうときのことを言うのかと意識のその先で惟う。知る由もない彼らは口々に、
「あ、成実様だめだったみたいっすね」
「早いぜ」
「おめえら静かにしろ、筆頭ぴりぴりしてるみてぇだからこっそり見守るんだ」
「おー」
 などと呑気で無神経でおせっかいだった。
 ああ、引きつるだけじゃねえや、身体がぶるぶる震えてら。
「おーじゃねえんだよ!! てめら今日の稽古はどうした!! 親父と叔父貴招集すんぞ!!」
「ひ、筆頭ー!」
「いだあああああ!!」
 政宗は感情の赴くまま喚き、標的の門弟たちに成実を投げ付けて勢い良くドアを閉めるのだった。

「Shit!」
「皆楽しそうだね」
「悪ぃ、失敗だった。休みだから学校も閉まってるし家が無難かと思ったんだがどっかの店でも探せば良かったな」
「私の家でも構わないよ」
「誘ったの俺だし流石に女子の家に上がりこむのは気が引ける」
「わ、紳士だ!」
「茶化してくれんなよ。あーまじ近所の喫茶店でも入るか?」
「大丈夫、私も楽しいよ? 皆伊達君が大切なんだね」
「だから茶化すなよ」
 と返すと彼女はまた花の顔(かんばせ)を向けてくるものだから、見る見るうちに政宗の険は取れていくのだ。一ページ問題が終わるごとに彼女は質問を投げかけてくる。そういえばどうして筆頭って呼ばれてるの? や、伊達君も踊れるの? 等表情と同じく屈託のない問いに答えながら過ごす時間はとてつもなく心地良かった。
 昼の休憩を挟み、夕方五時まで彼女は滞在した。途中、幾度か小十郎と成実の襲撃をやり過ごすこととなったが、勉強は驚くほど捗った。

- continue -

2013-01-19

能を踊る筆頭って見てみたいと思いませんか? 勿論金春流で!