恋の端、登れ恋の坂(七)

 テストを週明けに控えた休日、雨音は忙しなく窓を叩き併せて訪れた風の乱暴さを主張している。政宗はそれまで止め処なく指に弄んでいたイヤホンを置き、数分前に小十郎が置いていった紅茶に口を付けながら彼是と考えていた。
 頭は良いが、テスト勉強などいつもおざなりになる政宗を監視する小十郎の目はここのところ緩い。一週間程度図書室や自習室で勉強する、と言い実行したのが功を奏したのか、彼の眸は監視から自愛の眼に変わっている気がする。それを政宗の従弟などは、うわぁきもい、などと正直に口を吐いてしまい拳骨を喰らっていたようだが。
 無論、真面目とは程遠い政宗のこと、図書室に行くのは相手が居て理由があった。そう、だ。
 月火は図書室で、水木は自習室で勉学に励み、そして昨日金曜日は図書室も自習室も席が詰まっていた為已む無く例のコーヒーチェーン店へ足を運ぶことになった。コーヒーチェーン店にしろハンバーガーショップにしろ、長時間滞在は非常識だ。幸いにもその時間帯は客の入りが少なかったことから店長の厚意で奥の席が宛がわれ約一時間半勉学に勤しむことが出来た。その間彼女のとびきりの笑顔にありつけた政宗は、甘いものが苦手な自身を忘れ、一番高いコーヒーに沢山のトッピングをつけて店の売り上げに貢献したのだった。
 ごてごてになったコーヒーを一口含むととんでもない甘さが口内を駆け巡り思わず顔を顰めるに、彼女は政宗が元来甘いものが苦手だと気付いたようだ。
「伊達君、甘いものが苦手だったんだね。ごめんね、この前茶巾絞り食べるの苦しかったんじゃない?」
 と申し訳なさそうに眉を下げ急いで水を貰って来てくれた。彼女の所作に見とれ自分を取り繕いながら、鶴姫から渡されたというあの和菓子は旨かったし今は売り上げに貢献だ、と言うと彼女は少しだけ笑んで、それならと自分の注文したクリームだけが載ったコーヒーと交換を申し出てきた。
 その瞬間心臓は高鳴った。間接的なソレになってしまわないかと。それではまるで――
「……童貞かよ」
 脳裏によぎる記憶に思わず口を突いて出たのはそんな言葉だった。
 息を吐いて政宗はもう一度外を見た。
 今日ばかりはθ波を上げるというBGMも功を奏さず、空模様に負けず劣らず心に雲が覆いかぶさるようだ。机の右側に鎮座する教科書と参考書のページを親指でそっけなく撫でてまたシャープペンを握る。
「会えりゃきっと捗るのにな」
 慣れすぎてしまった、彼女がいる日常に。一月も経たないのに。
「会いてえ」
 明後日にもなれば会えるのだ。なのにその欲求は留まる所を知らない。明日も一人で勉強か、そう考えるだけで憂鬱だ。二人でいれば心地良くて勉強も捗るのに。
 ――ならば。

 そこまで思い至ると彼は弾かれたように立ち上がった。
「小十郎っ! ……っと、先に電話だな」
いそいそと携帯電話を開き今ではすっかり使用頻度の高くなった名前を選ぶ。着信音にこだわったことなどなかったのに、彼女からの着信だけは曲を変えた。多分自分は相当重症なのだろう。
「もしもし? ? 俺だ。――いや、全然進まねぇんだ。でな、明日雨上がるみてぇだし俺んちで一緒にやんねぇ?」
 電話口の彼女は、もしもし? 俺だ、って言うのも伊達君は様になるよね、と玉を転がすように笑い、二つ返事で了承してきた。正直、男の家に行くのはちょっと、と断られるかもと考えていたが故にその反応に心は意外と歓喜に溢れた。
「かまわねえよ、誘ったのはこっちだ。ああ、じゃあ明日」
 そう言って通話が終われば決まった動作で携帯電話は閉じられる。パタリと閉じた後に途端に耳を突くのは窓を叩く雨音だ。彼らとおさらばすれば明日は彼女がやってくる。
「よし、あとは小十郎に」
「何でしょう政宗様」
「うおっ」
 先程紅茶を運んでから退出したはずの男の声に情けなくも肝を冷やす。
「んのfool! knockぐらいしろってんだ」
「申し訳ありません。お呼びになられた声が聞こえましたので参りました。ノックはさせて頂きましたがお電話で聞こえていらっしゃらなかったご様子。政宗様が私の気配にお気づきになられないとは珍しいですね」
「あ、ああそうか悪ぃ」
「ときに政宗様」
「An? なんだよ」
様とは何方でしょう?」
「……」
「この小十郎、政宗様のご友人でそのような御名の方に覚えがございませんが」
「同じ学校の奴だ。科が違うんだが最近知り合った」
「左様で」
 表情を変えるでもなく当たり障りのない返しだが、政宗には小十郎が訝しみこの少ない問答から何かの答えを探し当てようとしているのを知っている。答えてやるのは面白くないがいまはこの時間が惜しい。
「はっきり言うぞ、小十郎」
「は」
「俺の恋路の邪魔すんじゃねーぞ」
「は、それはもう……恋路!?」
「デケー声出すんじゃねーよ馬鹿! 成に聞かれたら面白がんだろ!!」
 沈着冷静を旨とする小十郎の予想以上に目をひん剥いてみせた狼狽振りに普段のお返しとばかりに溜飲を下げる、といった優越感を感じることはなく、殊更大きい声を上げられたことに当の政宗が慌ててしまった。
「ま、政宗様がっ……恋……っ」
「聞いてねえな」
「う、ううっ、御仕え申し上げてもう何年でございましょうっこのように嬉しいことはっ……」
「泣くな馬鹿!!」
「政宗様っ!! この小十郎、明日は精一杯様をご接待させて頂きますっ」
「頼む普通にしてくれ!!」
 目頭を押さえたかと思えば、がばっと顔を上げて拳を握り締める世話係に政宗は防戦一方。そうして小十郎はかまわず窓を開けて、雨の降り込まぬ中庭の掃除に明け暮れる門弟たちに大声で言い放つのだ。
「おめぇら! 明日は政宗様の大切な方がお見えになる。粗相するんじゃねーぞ!」
「わかりやしたっ! 小十郎様!!」
「俺らがばっちりお迎えしやすね!」
「やめろ! むしろみんなで出かけてくれ!! つかばらすなよ!!」
 このせいで翌日の来客がどういう位置づけであるか即座に知れ渡ることになり、門弟たちは万全の準備を整えてを出迎えることになる。

- continue -

2013-01-12

ファーストフード店でのお勉強は常識の範囲内でお願いします。