恋の端、登れ恋の坂(四)

 部活動が終わるにはまだ早い時間、だが寄り道を終えた学生たちが徐々に帰宅の途に付く頃、は上機嫌で手の中にある飲料に口を付けながら政宗と共に大通りを歩いていた。彼女が提案したのは小説に出てくる航海士と採掘場の名から店名を付けたコーヒーチェーン店だった。
「しかし、ほんとにそれで良かったのか?」
「うんっ」
「そんな高くねぇし奢るくらいかまわねぇのに」
「伊達君太っ腹だね。でも十分! あそこに入るのがちょっとした夢だったの。一人じゃ入りづらくて。付き合ってくれただけでもお釣りがくるよ」
 午後の授業はや中途半端な部活を終えての時間、カフェに入らなければその辺を歩いて他愛無い話をするの無難な過ごし方だろう。相手には味気ないものになってしまったのではないかと政宗は思ったが美味しそうにストローを口にする彼女にその様子はない。
「コーヒーショップって大人な感じがしない?」
「あれならショッピングモールなんかにもあるだろ?」
「でも友達と行ってもなんとなく入らなくない? あ、私の場合だけ?」
「確かに元親たちとも入らねぇな」
「あそこで外回りのOLさんとかウルトラブック弄りながらコーヒー飲んでるじゃない? それだけで凄く仕事のデキる女に見えない? 不思議だよね、マックとかでもパソコンもって仕事してる人は多いのにあそこで仕事してると凄く格好良くなるの。洗練されてるっていうかなんていうか」
「あれじゃね? コーヒー飲んでるからオトナに見えるだけなんじゃ」
「あはは、かも!」
 政宗もまた無難に選んだドリップコーヒーに口を付ければ、彼女は目を寄せてブラックなんてオトナだね、などと言うものだから、ついつい、大げさだ、と軽口を返してみせた。
「あのチェーン店なら塾にもあっただろ?」
「え?」
「Um?」
「あ、そっか……」
「どうした?」
「今まで塾で会わない理由、わかっちゃった」
「なんだ?」
「伊達君さ、ひょっとして北校?」
「Ah―― ああ」
「それでだ、私西校なの」
「なんだそういうことかよ」
 分かってみれば簡単な答えだった。彼女と自分はただ単純に通っている場所が違っていただけなのだ。政宗の通う北校の1Fスペースには確かに件のコーヒーチェーン店が入っている。だが、彼女の言う西校にそれはないらしい。
「順位表、そこまで書けよな」
「個人情報云々って保護者が言うんだろうね」
「だな。どこぞの学校みたいに幼小中一貫どころか大学受験まで見やがる変態塾の癖に変なところで保守的だ」
 何分、物騒な世の中だ。保護者達の懸念は尤もではあるが、なんともお粗末な結末に脱力感が襲い来る。きっと今の自分は微妙な表情をしているに違いない。対して彼女は可笑しそうに眉を下げて肩を揺らしている。
 不意に風が吹いて雲に隠れていた陽が毀れ出でると、陽に当たる彼女の髪は明るく、長い睫毛が眸に映えた。我知らずストローから口を外して政宗はそれをじっと眺めていた。
「おや? 伊達君さては私のことが気になるのかな?」
「……は?」
「そうねーなんか可愛いもの買ってくれたら付き合ったげる」
 呆けて、固まって、そしてすぐに落胆と自分に対する苛立ちで頭に血が上りそうになる。
 ――何言ってんだこの女、この俺に付き合ってあげるだと? こんなつまんねー女のことが気になってたのか? 何たる失態、九年間と今眺めてた時間の浪費だ。軽い失望と、自分の世話係兼教育係の小十郎が聞けばこれはまずいと止めに入るだろうなどと遠くで思いながら殊更冷静にしようと政宗は息を吸った。すると。
「ぶっ」
「……an?」
「だってその顔! 伊達君女の子にこんなこと言われたことないでしょ?」
「当然だ。――んだよ、焦った、なんて女だと思った」
「私もこんなこと言ったの初めてだよ?」
「……手馴れてるかと思った」
「まさか! ただね、モテモテの伊達君の鼻っ柱を折ってやるのも楽しそうだと思って!」
「とんだkittyだ」
「ごめんね、だって悔しいぐらい隙が無さそうなんだもの。ちょっとした悪戯心が芽生えました。はーでも男の人にこんなこと言うのってドキドキするね。すっごく悪い女になったみたいな気分」
「勘弁してくれ、なんか心臓に悪かった」
「うっそ、伊達君が?」
「マジだ」
 調子の狂う女だ。これ以上の動揺を晒す失態は避けたい政宗は大仰に首を振って見せて攻勢に転じることにした。
「詐欺だな、最初と随分印象が違うじゃねぇか」
「えっ? どんな印象だったの?」
「どんくさい」
「なっ!」
「jokeだ」
「むっ!」
「Ha! すげー顔」
 そういえばますます険しく、だが愛嬌のある表情に変わる彼女に悪い気はしない。二人はそのまま大通りの先にある駅へと足を向ける。少しだけ斜陽の片鱗を見せる空はなんだかくすんで、いよいよ夕暮れの手を引いてくるようだ。
「やっぱ時間が半端だったな」
「そだね、部活の後だしね」
「悪ぃな。ただ飲んで駄弁るだけになっちまった」
「んーん、私はあのお店に入れたし大満足だよ」
「俺と話せてとは言わねーのな」
「さらっとそういうこと言えちゃう伊達君すごい」
 その言葉に政宗は声を上げて笑った。
「埋め合わせ」
「えっ」
「埋め合わせさせろよ」
「?」
「ケータイ」
 政宗は自身の携帯電話を開いて見せ、も言われるまま携帯電話を鞄から探り当てた。赤外線、と政宗が言い、それを向き合わせると互いの番号が狂いなく交換された。
「わ、伊達君の番号だ。有名人の番号だ」
「なんだそりゃ。他の奴にバラすなよ?」
「ひっきりなしにかかって来ちゃうもんね。わー男子の番号知るの二人目だー」
「意外に少ねぇのな。一人目は誰だよ」
「同じ部の小早川君」
「小早川……ってあの金吾かよ」
「金吾……? よくわかんないけど多分その人。彼剣道部から転部してきて私が作法とか教える役だったんだけどそのとき話の流れで聞いたの」
「Hum...」
 そうこうしている間に二人は駅構内二到着する。何か釈然としない靄が胸中に沸くのも気づかず、政宗は彼女と駅の階段を上り始めた。
「伊達君、どっち方面?」
「ああ、俺電車じゃねえから」
「あっ! 送ってくれたの? ありがとう」
「かまわねぇよ。メールする」
「うん、じゃあまた」
 彼女は笑んで改札をすり抜ける。ホームに下るまでは何度か振り返って手を振り、その姿が消えると政宗は自分の頬が緩んでいることにも気付かず独り言つ。
「ったく、無欲でやんの。次は有名店にでも連れてったら飛び跳ねて喜ぶだろうな」
 週末にでも予約を入れてみるか、セレブが通うだの芸能人御用達だの売り文句がついたあの店の名前はなんだったか。小十郎に聞けば分かるだろうし、予約がいっぱいでもきっとねじ込んでくれるだろう。
 携帯片手にメールを手早く打ち込んで、ぱたりと閉じる。十分も経たずに迎えが来るはずだ、と一息ついて政宗ははたと固まった。
「……ちょっとまて。俺今何してた?」
 なに逢って一時間やそこらの女にそこまでしてやろうとしているんだ? 挙句の果てメルアドと携帯番号まであっさりとしかも自分から教えてしまった。政宗のアドレスを知る女といえばかすがと鶴姫であるが、かすがはつるんで一年、鶴姫は元親の幼馴染であるからとつい最近教えた程度だ。
「……」
 はぁ、と大きく溜息をついて政宗は髪を掻き上げる。その為様がとてもさまになっていて通行人たちが振り返るのも気付かず、駅から出るべく踵を返したのだった。

- continue -

2012-12-22

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