恋の端、登れ恋の坂(二)

 退屈な午後の授業を終え、政宗は不本意ながら弓道場の前に居ることになってしまった。あのまま我関せずを決め込む算段は鶴姫の懇願と僅かにあった良心の呵責から脆くも崩れ去った。
 あの後の会話の顛末はこうだ。
「ああっでもわたし心配ですっ! こんなけだもの達に囲まれたら大切な先輩がっ! 伊達先輩! 一緒に行って先輩を守って下さい!」
「Ham?」
「ちょっと! 女癖なら竜の旦那だって一緒でしょー!」
「とりあえず、今、この場に関しては伊達先輩の方が信じれます! けだものさん達は黙ってて下さい!」
 佐助の女癖の悪さは自分と変わらない、そして慶次の押しの強さに何も知らぬが晒されることになってはひとたまりも無いかもしれない。なんにせよ二人は色恋事にはあらゆる面で上手だ。誘われて靡くならその程度の女、などと言ってもあしらうにはハードルの高すぎる相手。そもそも自分が話題に出さなければこのような目に遭わない訳であって。
「I see.俺も行く」
 その返答は慶次を驚かせ、佐助から一層含みのある笑みを引き出し、鶴姫から歓喜を持って迎えられたのだった。

 弓道場の脇の小径に隠れ、昼間の頭数から元就と幸村を引き抜いた面子は彼是と思案に暮れる。元就はそんな下らぬものに我の時を割く必要が見当たらぬという言葉を、幸村は部活動と女子に会いに行くなど破廉恥でござる、を理由にうまく離脱したのだ。仏心など出さず自分も逃げれば良かったかと思うのは後の祭りである。その際たるものが弓道着に身を包んだ鶴姫であろう。
「どういう感じで顔出すよ?」
「なんかこうさ、さん見に来ましたーなんて言ったらただの嫌がらせにしか取られないよね」
「んじゃ鶴ちゃんがちゃんを買い物に誘う的なのどうだい?」
「ええっ! わたしも悪巧みに加担するんですかっ!」
「人聞きの悪いこと言うなよ」
「今度のバーベキューの機材ちょうど買いに行かなきゃだしそれいいかもね。女の子鶴ちゃんとかすがだけだし、良かったらさんも付き合ってよみたいな」
「他の女子が来ない?」
「その為のコイツだろ! おい鶴の字、面倒を避ける為にもって子から離れるんじゃねーぞ。出来れば連れ出せ」
「無理ですよ! 学年が違ったら練習内容だって違うんですから」
「よく分からないことがあるから今日は付きっ切りで教えて下さいとでも言えばいいだろ!」
「それだな! 自然だ!」
 元親、佐助、慶次、鶴姫の会話にそれ本当に自然か? と半ば呆れた声がかすがの口を吐く。この男三人やっぱ莫迦だな、と人知れず思うのは政宗もかすがも一緒だった。
「ん?」
「An? どうしたよ」
「小早川だ。あいつ弓道部だったか?」
「Ah―― いや、剣道部だった気がするが。大方石田あたりに扱き使われて嫌気が差して転部でもしたんじゃねーか」
 かすがの視線の先を追えば、弓道場の入り口で見覚えのある小太り姿――小早川秀秋が居た。彼はゆがけを手にきょろきょろと周りを見回すのに忙しいようだ。失礼ながら彼の猫背が挙動不審さを一層際立たせていた。
「あれじゃ覗きに見えるな」
「違いねぇ。まあ剣道もそうだが弓道ってタマじゃねえだろ」
「調理部がお似合いだな」
「園芸部と言いながら野菜植えるって手もあるぜ?」
「洒落にならん。実際にやりそうだ」
「違いねえな」
 かすがと政宗の話など知る由もない小早川は何かを見つけたのかそのまま弓道場の中へと消えていく。と同時に、よっしゃーそれで行こう! と気合を入れる慶次に二人は只々溜息を吐くのだった。

 もうどうなっても知りませんから! と捨て台詞と共に鶴姫もまた弓道場へと消えてより彼此三十分前後が経過した。まだかまだかと首を伸ばす慶次だが運動部というのは規律が厳しい。ことに武道を扱うところならなおのこと、練習が始まって直ぐ先輩を呼び出すなど至難の業かもしれない。
「皆、如何された?」
「お、幸村」
 そこには剣道着を身に付けた幸村がタオルを片手に立っていた。彼もこれから部活動なのか格段汗をかいた様子はない。二三会話を交わし、昼間の件でござるか、と幸村は言って皆と同じように弓道場の入り口に目をやった。
「今日は弓道部も剣道部もはやに上がるぞ」
「え、そうなの?」
「なんでもどこぞの社会人団体に貸す予定だったとか。顧問と部員に連絡が行っていなかったようで、某も今皆に伝えてきたところでござる」
「誰だよ貸すって約束してたのは」
「教頭らしい」
「駄目駄目だね」
「大方皆今頃急いで拭き清めていることでござろう」
「剣道部は? しなくてもいいの?」
「石田殿が懸命にされておる故手出しするなと」
「奇特だねぇ」
 生真面目で気難しい同級生の顔を思い浮かべて其々に想を練る。愛想はなく他人にも自分にも厳しい男だ。きっと今頃剣道場の床は今頃の文句のつけようもないくらい美しく仕上がっていることだろう。
「じゃあさ、時間空いたでしょ? 旦那も着替えて早くおいでよ」
「ぬ、某、それならば自宅にて鍛錬をと」
「却下却下! 幸村も参加けってーい!」
「拒否権なしだぜぇ幸村ァ」
 後方を慶次、そして横から元親の二人からほぼ羽交い絞めに近い格好で取り押さえられる幸村に逃げ場はない。佐助といえば、諦めるしかないね、と若干困り顔だ。
 ふとそのとき、かすがの手元の携帯電話が音を立てる。
「すまん、メールのようだ」
「かすが、出会い系じゃないだろうね。気をつけなよ」
「安心しろ、メルマガだ。ショップの会員登録したら毎日来るようになってるだけだ」
「ああなる」
「そ、某本当に帰りたいのだが……っ」
「忌引きやお母さんが危篤以外認めませーん」
「横暴でござるっ」
「さっさと着替えて来いよ、道すがらなんかあったら奢ってやるからよ!」
「ぬっ長曾我部殿! それは誠にござるか!」
「ああ、てか硬ぇ〜。元親でいいって言ってんだろ」
「癖にござれば、気をつけるでござる」
「ったくやっぱ硬てぇぜ」
 会話は止め処なく続き、自然と声音は高くなる。何があってもこの面子が盛り上がるのはいつもの事だと横目に見ていれば、シャツに引力を感じて政宗はそのままそちらを向く。すると目を合わさぬままかすがの手があった。
「?」
 なんだ? と聞く前に彼女の携帯電話の画面が押し出される。液晶の画面に映る一般的なプロポーショナルフォントと、可愛らしい絵文字の羅列にはこう書いてあった。

 ――『着替え完了! 今真田先輩居ますよね? この隙に伊達先輩連れて裏門に来て下さい。他の皆さんには内緒です! by鶴☆』

 再びかすがを見れば彼女は小さく頷いて、騒ぎ立てる慶次らの視界に入らぬよう移動を始める。仮に彼女にどこへ行くのかと佐助が気づいても、馬鹿、女の手洗いを聞くんじゃない、とでも言えば逃れられるだろう。さて、自分はどうするかと考えたところポケットから聞きなれた着信音が鳴る。
「悪ぃ、小十郎から電話だ」
「ああうん、いってら」
 皆に背を向け、発信相手を見てほくそ笑む。それは自分の世話係の男の名ではなく、十メートル程度先を行く女の名前が表示されていた。まったく彼女は気の利く女だ。かすがに賞賛を送りながら政宗もまたその場から離脱することに成功したのだった。

 それから四、五分程度後のこと。
 慶次と元親に揉みくちゃにされた幸村がようやく観念する頃、更衣室で着替えを済ませ弓道場の中で様子を見守っていた鶴姫は、道場内と外の状態を頃合とみてよし、と頷いた。深呼吸をし腹の底から声を張り上げ小径を指差して大げさに言ってのけた。
「皆さん見て下さい! あそこに長曾我部先輩たちがいますよ!」
「え、ウソっ!」
「あ! 猿飛君や前田君もいるじゃん!」
「真田君までいるー!」
「行こ行こ!」
 鶴姫の号令に道場内は一気に色めき立ち、女子部員は皆我先にと表出入り口から小径に居る元親らの周りに一斉に雪崩れ込もうとする。入り口付近にいた小早川秀秋は突き飛ばされ、甲高い声に彼らが気づいたときには時すでに遅し。
「うげっ」
「ちょっ!」
「あれ! 政宗がいないっ」
「つ、鶴の字てめぇぇええ!!」
 群がる女子部員たちに揉みくちゃにされながら元親の耳に届くのは破廉恥でござるぅぅ! という幸村の悲鳴とも取れる雄たけび、目に映るのは道場の入り口で子供のようにあっかんべー、とする鶴姫の姿だ。
 脳裏を巡る、明日覚えてろよ! という科白が最早虚しい十六時の出来事だった。

- continue -

2012-12-08

剣道部の顧問は誰なんでしょうね。
社会人団体:秀吉様の会社。
今日の被害者:幸村。金吾さん。

鶴姫ってゲーム中では筆頭のこと『暴走お兄さん』としか呼んでないですよね。どう呼ばせるかとても迷いました。