伊吹

※鎮魂の後日談です。

 が大変だったのはその後だった。
 長曾我部元親の御霊を天に送った後、や巫女達の墓を避ける様に洞穴は崩れた。外に居た一門は何が起こったのだ、鎮魂の儀は失敗したのか、怨霊が溢れ出て来るのかと大騒ぎだったようだ。
 だがそのうち、色の光が天に昇っていくのが見え、崩れた洞穴の中から無傷のが出てきたものだから混乱は歓喜に変わり、控えの社に居た長老らまでが杖を振り回して出てきて収拾のつかぬ大興奮の渦が起こった。ついに悪霊が祓えた、もう生贄を出さずに済むと。
 当主である伯父は純粋にの無事を喜んでいたが、やはり当主としての建前上、を毛利の巫女だと、奇跡の娘だと持ち上げ賞賛した。それに追随するように他の一門がしゃしゃり出て、そんな娘を毛利以外に嫁がせてはいけないだの、一族のだれと娶わせるだの言い始めたものだから、その日からの近辺は俄かに騒がしくなっていった。
 は『儀式始まって以来の強き巫女』の肩書きを駆使して歴代の巫女達を立派な墓に埋葬し供養の段取りをし終えると次いで『数日潔斎してご先祖様に報告に行く、どなたとも会いませんのであしからず』などとご大層な科白を添えてまさに一月、ようやく一人になることが出来る始末だった。
 伯父には若干腹も立てたが鎮魂の儀のあの日、にも弟夫婦にも申し訳が立たぬと言い、が三日のうちに戻らねば自分も後を追うつもりで居室に篭っていたと伯父の側近から聞いたのは大分後のことだった。
 大きな事業を経営しながらも、伯父はひどく人が良い。それを愛して付いて行く者は多いがそれは時として足元を救われかねないとの父などは常々危惧している。自身、伯父の心根は心温まるものはあったが、危なげなく感じる側面が確かにあった。そしてそれはあの長曾我部元親に少しだけだぶるのだ。
 鎮魂の儀を始めたという祖先、彼もまた危ぶんでいたのかもしれない。人の良い子孫、嵌められ大きな災いに家が沈むなどということにならぬようあらゆる災厄を避けるためにあの非情な儀式を行ったのやもと。すべては推測の域を出なかったが。

 そうして今日、その言葉通りは毛利家の繁栄の始まりたる祖先の墓に向かっている。鳥居をくぐり十数分、墓所を示す目印を抜けると石段が続く。
「まったく……っ」
 わざわざこんなところに建てなくてもいいじゃないか。そうまでして私を詰りたいのか。
まったくいけ好かない。この石段に汗する自分が嘲笑われているようにも感じられた。殊更面白くなく、思わず顔を歪め悪態をつくのを咎められようものならは噛み付いてしまうかもしれない。
 そもそも、が此処に向かうのは無論ご先祖様への報告などど殊勝なものではない。腹が立つのだどうしようもなく。墓所に立って如何こう出来るものではないが一言行ってやらねば気が済まぬ。
 織田信長は父の霊前に焼香を投げつけたというが、そんな弔いすら片腹痛い。どうしてやろうか、化けて出てきたら大量の塩でも投げつけてやる。
 途中、参拝客には見えぬ老婦人にすれ違い場所を確かめて石段を登りきれば一族の墓所に出会う。礼をして通り抜けるとその先に一際荘厳な墓所があった。大きなハリイブキの木を墓標にしたそれは他を圧倒するもので、それを囲うように石が組まれ丁寧に門まで付けられている。更に門の前には綺麗に花が添えられていてにはそれがまた小憎たらしい。
 だが人の手で添えられた花を無碍にすることも出来ず、そっと避けたとき、ギィっと独りでに扉が開きは眉をしかめた。
 つい先日までならそれに酷く驚いたかもしれないがすでにあの洞穴で経験済みだ。自分が来るのを分かっていたのか、この行為すら先祖の範疇にあるように思えて、腐る心を履き捨てるように大きく息を吐き立ち上がると物怖じせず中へと入り込んだ。
 墓標は石ではない。大きく根の張るハリイブキの木だ。その様が洞穴に押し込められ揺蕩うことしか出来なかった元親の御霊と余りにも対照的で胸つまされる想いが駆け抜ける。
「……」
 だがどうしたことだろう、いざ憎き男の墓標と対峙すると言葉は浮かんでこない。一分、二分、木漏れ日が頬を撫で、の唇は震える。
『なんだ、我に言うことがあったのではないのか』
「――!!」
 木々はざわめいて今度は風が我が身を包む。どこから聞こえたのだと辺りを見回し正面を振り返るとそこには若草色の麗しい甲冑を纏った涼やかな目元の若い男が立っていた。
『手間を取らせるな、せっかく其方に時を割いてやったに』
「貴方……っ」
『何者かと申すか。存外血の巡りの悪い娘よな。長曾我部を外に出したのだからもう少し機知のある物言いをするかと思っていたが』
「毛利、元就っ――」
『礼を知らぬ娘め』
 呼び捨てか、そう言って毛利元就だという男は呆れ顔をした。すべてを見通すような怜悧な顔、泥臭さを感じぬその美しい様相は確かに謀将の影が見える。だがの知る先祖毛利元就は齢七十を超えて没したはずである。目の前の男はどう見ても二十代やそこらにしか見えない。
『容貌など思いのままよ』
 心のうちを見透かされたようで目を見開けば表情を変えず元就は言う。
『動揺は顔に出してはならぬ。軽く見られようぞ』
 それはまるで父親が子を嗜めるようでは思わずどきりとした。信じられぬくらい怒りは霧散して懐かしさと安心がこみ上げてくる。なんなのだこれは。
 長曾我部元親が口にしていた”毛利の血”を感じるからなのか情が芽生えて縋りたいような感覚を覚えては混乱した。
「貴方は酷い、酷いですご先祖様っ……」
 やっと出てきた言葉は道理も分からぬような稚拙な言葉だった。
「貴方がいて私が生まれていることには感謝しています、でもっ」
 この先祖は元親を死してなお苦しめ、孫娘はじめ巫女達を使い捨てのように死なせ、そして家を残した。
『我のしたこと其方に理解してもらおうとは思っておらぬ。其方は駒、そして我も駒の一つ。すべては毛利家繁栄の為』
「――っ……」
『これまで並以上の暮らしをし、何にも事欠かぬ生を送れたのは何ゆえか、すべては積み上げた屍があったからこそ。其方は何もしておらぬ、だが其方の下にある屍を否定するか。それこそ愚。只の侮辱よ』
 静かに、だが心の奥底にまで響き渡るその言葉には耐え切れず頭を振るった。頬に涙が零れ落ちる。
『生きることが長曾我部に罪悪を感ずるか? 死にたいなら死ぬがよい。だが、我が気に入らずば生きて、我の所業を子々孫々に伝えるがいい』
「それは毛利に残れということなの? 嫌な人っ! 私は貴方の思い通りにはならない」
『言うたであろう、我も其方も只の駒よ』
「だれが貴方の思惑通り家をみるもんですか、さっさと嫁に行ってやるわ!」
『かまわぬ、ならば他家で芽吹くが良い。そして子が生まれたなら見せに参れ』
「うるさいっ、見たきゃ自分で来いっ」
『不遜な娘め、だがそうでなければあの長曾我部とも渡り合えなんだか』
「貴方がっ! あの人の名前をいう資格なんて!」
『ないと申すか、さもあろう』
 は猛り、元就はどこまでも冷静だった。その様はまるで反抗期の娘とそれに対する父親のようでバツの悪さにどうしようもなくなる。
「なんなのっ? その透かした顔も態度もなにもかもっ」
『我から見れば其方など小雀、どれだけ啼いたとて意に介すものでもない』
 は間違ったことは言ってない、そのはずだ。だが。
「全部嫌なの、あの人にあんな酷いことをして、子孫の私は生きて、私は貴方に噛み付くしか出来なくて、私の後悔は貴方に伝わらないっ」
『何ゆえ其方が悔いるか。それ以上嘆くは止めよ、その涙も積み上げたものの一つよ。流せる涙があることに感謝し過ごすがいい』
「っ――」
 はしゃくりをあげた。
『我は人としては間違っておる。だが家の為には間違ってはおらぬ。未来永劫奴に下げる頭などない』
 頬に手を感じた。元親のように冷たく、それは生者のものではない。でも触れる手つきは繊細で表情は変わらずともほんの少しだけ情を垣間見ることが出来た。それは確かに血族に向けた彼の暖かな情だ。
 元就のしたことは褒められたものではないし、許されることでもない。非道となじられることを是として揺るがず、彼が敢行したことによってら子孫は生を受けた。生きているということは彼に望まれ、愛されている証なのだろう。
 結局はそれ以上言えなかった。元親の嘆きも、元就の覚悟も平穏の中で育ったにはそうあるしかないと昇華できるものではなかったのだ。
 元就の言うとおり、反感があるのなら生きてそのことを繰り返さぬよういい含める。それしか出来ないのだ。
「だいっきらいよ毛利元就」
 は泣いて先祖の手を握り返した。二人はしばらくそのままだった。
 別れ際、もうそんなことはさせない。と心に誓った言葉を言い捨てては墓所を後にした。そうして元就は何も言わずその姿を見送ったのだった。

『やはり最期まで虫の好かぬ男よ、どこまで堕ちようと人に戻り我が子孫の心をも持ってゆくか』

 ――アンタ一人だ。

 いつの頃か、あの男が言った言葉が蘇る。
 その通りだ。怨霊に堕ちてなお奴の心を救い上げた男達。
 対して自分は一人だ。
 子孫は残したが妻子もとうに成仏して新たな生を得ている。一度見かねた息子の一人に共に逝こうと言われたが断った。ずっと毛利家の繁栄を見守ると。息子は去り際理解できぬ、そう言った。もう遥か昔のことだ。
『我を理解できるものは我だけでよい』
 寂しくはない、それこそが本懐。出来うる限り元就は此処に居続けるのだろう。
 墓標のハリイブキはすでに枯れている。あと何年これに寄り添い子孫を見ることが出来るか。元就はの子が近い将来此処に来ることを予感しながら、樫の木にもたれかかった。
 それは枯れたハリイブキが倒れぬよう樫の木に緊結された姿と同じであった。




山はさけ 海はあせなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも
                                      源実朝

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2011-05-17

意訳 山が裂け、海は干上がってしまうほどの天変地異が起きたとしても私に二心はなく貴方に奉げます。また国の繁栄を願う意もある歌だそうです。

BASARAの元就は子には厳しそうですが時を隔てた子孫にはそれなりに優しいかなと思うのです。だって子孫がいるということは毛利家繁栄の証ですから。

史実の元就公の墓標になっているハリイブキ、本当に大きくてそこに何かが宿っている気がしてなりません。

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