変転の夏(十)

っ!」
「!! お父さんっ!」
 其処には目を丸くしたスーツ姿の父と、おめかしをした母の姿。ああ、今日は仕事を切り上げて来てくれたのだ。嗚呼持つべきものはやはり父母。どうか年の功でこの場を治めて下さい。はこの異様な集団をすり抜けて父の許へ一歩踏み出した。
 ――が。
大丈……、社長っ副社長ぉぉお!!」
「……え?」
「うむ」
「やあ、部長」
「はぁっ!?」
 状況が把握出来ぬまま父と半兵衛らの何度も見返した。脇で流石の姉もあんぐり、三成と家康もこちらを向いて手を止めていた。三成はの後ろに控える二人を見とめて秀吉様っ半兵衛様っと言うのに忙しい。秀吉という男は相変わらず、うむと答えるだけだ。
「……社長って……副社長って……」
「ああ、秀吉はトヨトミホールディングスの社長、それで僕は副社長だよ。言ってなかったかい?」
 言ってねーよ! と絶叫出来るはずも無い。この男、絶対わざとだ。
「あ、あの、娘らが何か失礼を……」
「いや違うよ。強いて言うなら下のお嬢さんの取り合いが過熱したというところかな。罪だねぇ」
「と、取り合い!? まだそんな歳じゃ……」
 父も聊か混乱気味だ。だが年齢相応の許容を持とうと仕事人ではなく年頃の娘を心配する父の顔になる。だがそれも長くは持たなかった。全く誰だっと言いたげに横に控える男子高校生二人に視線をやると、威厳は途端に崩れ去り目をひん剥いた。
「み、三成さんと、家康さん?」
「……は?」
「お久しぶりです。部長」
「ご無沙汰してます」
 などと、凶器と狸も言うではないか。何で顔見知りなんだよとはもう腰が抜けそうだった。
「三成はの、将来社長の左腕と目され、徳川の家はトヨトミホールディングスのグループ企業の一つを預かっておる故、営業のことを部長に師事することもあるのだ」
 大谷の声にも口をパクパクとすることしか出来ない。
「む、娘の取り合いとは、本当ですか」
「ワシは本気です!」
「いぃえぇやすぅう!! 貴様ァアアァア!!」
「止めよ、三成。娘が脅えきっておるではないか」
「っ秀吉様っ……」
 もう怖いというよりいろんなことがありすぎて本当に腰が抜けかけている。視界が暗黒に染まるをそれまで傍観者だった姉が支えに来た。
「部長深刻に考えないで。話してみたけど彼女は面白いし、どちらと付き合っても僕はいいと思ってるよ」
「そ、それは娘が副社長の御眼鏡にかなったと言うことですか……?」
「そうとって貰っても構わないよ」
「ぬぁっ!!」
 父が思い切り仰け反った。対して色恋事が好きな母の目は輝いて、それがまた援軍は望めないことを示唆していた。子はますます絶望した。
「たまたま、彼女の話を聞いててね。父親の仕事のことを理解しているし、母親が父親をサポートする姿もちゃんと見てるようだし理想的だよ。夫人、よく家庭を収めてらっしゃいますね」
「まぁ……まあ副社長さん、お恥ずかしいですわ」
 ホホホと慣れないお上品な笑い声が聞こえそうな予感だ。盗み聞きかよ! と突っ込む思考が最早虚しい。
「ご主人もとても優秀な社員ですよ。先日もとても大きな契約を取ってこられましてね」
「まあっ、そうなんですの? すみません主人の仕事の話は一切聞かないようにしておりますので」
「守秘義務を守るのは大切なことです。お気を悪くなさらないで下さい」
「するはずもありません。男の世界ですもの。仕事をする男性って素敵ですわ」
「流石部長の御内儀だ」
 半兵衛のハハハと、とうとう出た母のホホホという笑い声が重なる。何の合唱なのだ。姉の肩に顔を埋めながらは置かれた状況、立場を省みる。漠然とだがやばいことだけは分かる。一刻も早く整理しなくてはならない。対策は大切だ。
 父はトヨトミホールディングスの社員。目の前にはその社長と副社長。家康と三成はその会社で将来を期待された逸材。何故か副社長は自分を気に入って、どちらかを選べという。おいおい、高校生だぞ。内心点を考えるなら普通交際なんて許さないでしょうよ。いやいや、今はそうではなく。
 ――これ、断ることって出来ないんじゃないか? あれ? 私人生詰んでない?

「ぎゃああああ!!」
「煩い馬鹿!」
「だっ!!」
 姉の手刀が脳天をかち割る。大谷が噴出したのが聞こえた。恨みがましく睨みつけた時には元に戻っていたが絶対噴出していた。半兵衛はその様子に涼やかな笑みを湛えて続けて言うのだ。
「部長、今日は連絡した通り親子水入らずで楽しみたまえ。呼び出しはさせないから」
「副社長、ありがとう御座います」
 父が珍しく来れたのはこの男の采配だったらしい。なんだろうか、今後もこの男の掌の上で踊らせられてしまう気がするのは。
「よく考えておいてくれたまえ、部長のお嬢さん」
「!!」
 涼やかな笑みが一層の警鐘を鳴らす気がした。わざわざ父の役職を強調して、これは家康以上の腹黒だ。やはり詰んでいた。前門の狸と狐、後門のドS、四面楚歌、の単語が脳を支配し、果てはBGMにドナドナさえ聞こえてきた。
「じゃあまたね? 君」
 皆行こうか、と半兵衛が言うと三成も大谷も付き従う。さあ家康君、と半兵衛が促すと家康もまた動き出した。目が合うと、半兵衛とは別の意味で硬直した。

「なにっ」
「またな」
 真摯な視線のまま、去り際に手を握られた。ひゃっと声をあげることも儘ならずに居れば家康は通り過ぎて行き、家族の目も忘れて呆然とした。また三成が家康に突っかかる声がした気がしたがそれどころではない。
 鼓動が煩いぐらい聞こえる。今日一番心臓が飛び出そうだった。なんなのだあの目付きは。明日、また朝一番に孫市先生のところへ駆け込まなければいけない気がする。いや、それだけで済むのだろうか? 出口の見えない迷路に放り込まれたようなそんな感覚が五感を支配してはしばらく立ち尽くしていた。

 車に向かいながら半兵衛は顎に手を当てて何やら思案する。
「ちはやふる……ちはや……んー」
「どうした半兵衛?」
「ちはやふる 狐と狸が 迫り来て 引ける乙女の 変転の夏……ってどうだい?」
「ちはやふる……確かに激しい二人だが」
「彼女を思って即興で詠んでみたけど慣れないことはするもんじゃないね。歌枕もなにもあったものじゃないよ。残念ながら僕には和歌の才能も情緒もないらしい」
「意外な欠点だな」
「だろ?」
 希有なものだ、と秀吉は内心独り言つ。秀吉から見れば半兵衛は完璧主義者で自分の欠点をみすみす晒す男でもなければ気取られる男でもない。それがいつ何時足元をすくう材料になるか分からないと常々言ってる程だ。だが今日はそれを参ったなと笑って認めている。余程彼の心を躍らせる出来事だったのだろう。自分も眺めながら多少なりとも面白くあったのは事実だが。
「楽しそうだな半兵衛よ」
「まあね、あの三人秀吉はどうなると思う?」
 友の言葉に秀吉はちらりと後ろを見る。大谷に引きずられる三成と盛大に晴れやかな家康の様子がそこにあった。
「我にはこのようなこと向かぬ」
 いつも通りの気難しい顔と言葉、それが若干の困惑を含んだものであると知る半兵衛は噴出した。そうして半兵衛が顎に手を当ててそれ以上に面白そうに笑むのを見てとると、秀吉は長年の付き合いから彼が何を企み始めたのだと気付く。後ろの学生たちはそんなことを知る由もなく、相変わらず互いを突きあうのだった。

- end -

2011-12-07

狸はご存知の通り家康、狐は史実で『佐和山の狐』と言われた三成のことです。

その後の夢主は皆様のご想像にお任せします。
本当はもう少し思いついたネタもあったのですが、これを書き出すと他のリクにまで手が回りません。なので夢主の”夏”は此処で終わりです。
他の季節に続くかは執筆状況と皆様の反応を見てにしたいと思います。
最後に、じんじんさま如何でしたでしょうか。リクエスト通りになったのか激しく疑問ですが気に入っていただけたでしょうか?喜んで頂けたのなら嬉しい限りですが、夢なのに甘くならなかったのが心残りです。