空は快晴、広がる蒼穹は入道雲と相まって見目は清清しい。だがどういう訳か彼は近年殺人的猛暑とお友達だ。肌はジリジリと焼かれ、額から首筋へと流れる汗と戦い、毎日のスキンケアと日焼け止めの涙ぐましい努力の下、どうにか色白をキープしているものの、連戦に次ぐ連戦に気は滅入るばかりだ。
は制服のボタンの二つ目までを開け、億劫な表情を隠しもせずパタパタと団扇をはためかせる。
「もし日焼け止めにサンオイルなんて入れられたら女子は発狂だわ」
この学校はアルバイトを許可していない。そんな暇があるのなら勉学に勤しめ! というのが言い分らしい。時代遅れと言いたいが、生徒の殆どが富裕層の出であり小遣い稼ぎのアルバイトなど必要ない者が多い為か生徒総会の議題にも上らない。お財布事情の厳しいのような一般生徒には死活問題だ。
日々の遣り繰りで捻出するスキンケア代、そこに悪戯されて色黒にされるような惨劇は勘弁願いたい。
「ヒヒッ、良いことを聞いた」
「やんないで下さいよ刑部先輩。人を不幸にした後は先輩の命が無くなりますよ」
「やれ、ぬしは物騒なことを言う」
「どっちがですか」
なんの因果か、程よい成績を保っていたは生徒会なんてものに入られた。役職は監査。あまり聞き慣れない役職だが主に会計監査が仕事だ。
役職上の上になる少々不気味に笑う包帯男は大谷吉継という。監査長である彼のことを同学年の石田三成が刑部、と呼んでいる為、いつの間にかもそう呼ぶようになっていた。彼は昨年、どういうシチュエーションか想像がつかないが顔面から滑り落ちるという事態に見舞われて大怪我を負い完治するまでは包帯が取れないのだという。分からぬ容貌、得体の知れない物言いも相まって彼は校内でも一二を争う謎の人と化している。
顔面から滑り落ちて怪我をするなど、この大谷は案外ドジっ子なのかもしれない、などとは口が裂けても言えない。以前何かで彼をからかい、その結果不幸がさんざめく処の話ではない惨事に晒された。それを繰り返す程、は馬鹿ではない。
「やれ、。早に仕事を終わらせてしまおう。三成の眉間の皺が増えたわ」
「そりゃ恐ろしい」
見れば窓側の席に座してパソコンに向かう石田三成が日の光を横においてちらりとこちらを見ていた。クーラーが効いているとはいえ直射日光は辛いものがある。
「カーテン閉めりゃいいのに」
「余計な世話だ」
高校に入ってからの付き合いだが気難しい彼の扱いにはもう慣れた。三成の一睨みもひらりとかわしてはさっさとカーテンを閉める。
「そうじゃなくて節電節電」
「ふん」
三成は兎角煩いものを嫌う。彼の見目に入学当初は色めき立った女子生徒達が群がったものだが、三成のけんもほろろな態度と言動に殆どの者は撃沈したようだ。はそんなものに元来興味がなく干渉しなかった為か傍目には酷くとも、三成からすればその扱いはそれ程悪い方ではない。大谷などはそれをもっぱら、珍しい、と評すのだが。
は大谷が持ち込んだ小さな冷凍庫からアイスを三本取り出した。
「はい刑部先輩、小豆。石田はこっちのソーダ」
「ぬしにしては気が利くではないか」
「ふん」
「素直にありがとうって言ってください」
二人とも口々に言うものの受け取って口にする辺りは素直なものだ。特に三成は進歩したほうだ。最初はちらりと見た後は無視であったのだから。は三成と同じソーダ味のアイスキャンディーに舌鼓を打つ。期待通りの冷たさと昔ながらの慣れた味は多少なりとも滅入る気分を減退させてくれる。現代に生まれてよかったと思う。昔の人は滅多に氷を食せなかったのだから。
「さて、槍術部とボクシング部宛てに請求書が届いているのだが……」
「えー、何これ修理? ガラス、壁、備品諸々……。一ヶ月前にも修理してなかった? そりゃどっちもスポーツだし多少はあるだろうけど」
「どうやら、槍術部の真田とボクシング部の徳川がよく手合わせしておるらしい」
「種目全然違うんすけど、つかするならどっちかに会場限定すりゃいいのに。槍術部もボクシング部も両方の練習場使うこともないでしょうよ」
「武田校長を観客にして武闘大会と化してるらしい。剣道部の伊達や同じクラスの長曾我部も覗いておるようだが」
「なにやってんすかあの校長」
「直接言うてやれ」
「内申点に関わることしろってんですか、恐ろしい子!」
「ヒヒッ」
はもう何年物か分からない備品のソファーに背を預ける。あと少しで食べ終えるアイスが名残惜しい。
「つーかもういい加減にして欲しいよね。文化部なんてあんまり予算回されなくてひーひー言ってんのに。いくら校長先生の肝煎りだからって限度があるでしょうよ」
「ならばいっそ、予算は出さず校長の懐から金を出してもらうといい」
「それだ。石田頑張れ」
「何故私なのだ」
「言いだしっぺだから!」
三成がふん、と言ってそれ以上答えないのはいつものこと。も大谷もさして気にする風でもなく話は続く。
「でもこれ断ったらきっと真田と徳川が乱入してくるんだよねぇ。真田の熱血は可愛いもんだからいいんだけど私徳川ダメなんだよね」
「ほう、ぬしでも苦手なものがあるのか」
「ありますよそりゃ。毛虫より何より徳川が苦手です」
「何故だ」
大谷は面白い話が聞けるとばかりに興味を示し、視線を外してパソコンに向かっていた三成も意外そうに顔を上げる。は面白くなさそうに憮然と答えた。
「品行方正でなんつーか表だけしか見えないところ! 理想と希望に満ちてますみたいなのも駄目だなー。あとは綺麗事並べるところもダメ! 見てて痒くなって無理!」
「奇遇だな、私もだ。奴の話は眩しい。だがその裏で傷つく者を知らぬ」
「私は正直歯に着せぬ物言いの石田のほうがいいわ」
「断る。私にも選ぶ権利がある」
「非道い御方!!」
「陽が強い分陰も深い。あの男の陰には気をつけろ。お前は目を付けられているようだ」
「なにそれ怖い」
結局、監査長の大谷名義で請求書は監査では許可できない旨を生徒会に連絡した。生徒会長の毛利は当たり前だと二つ返事で了承しそれを受けて監査は、武田校長、槍術部、ボクシング部に通達を出してその日は解散となった。
そして翌日。
「やれ、。覚悟しておけ」
「したので逃げていいですか?」
「逃げても監査全員と一度話をするまではとあの二人は追ってこようぞ」
「面倒くせぇ! 熱血面倒くせぇ! 三河面倒くせぇ!」
そんな会話をしながら当日の業務に手をつける。相変わらずの暑さに室内のクーラーがやっと効きはじめた頃だった。
いつも通りをからかう大谷と、ほっといたら水分すら取らない気がする三成に持参のスポーツ飲料を手渡した時、廊下からけたたましい声と騒音がこだまする。思わず落としそうになったペットボトルを咄嗟に大谷が支え事なきを得たと思った瞬間、監査室のドアが慌しく開いたのだ。
「監査の方々ァァァァァァ!!」
「三成! 刑部! !」
予想通りの男達の姿。槍術部の真田幸村とボクシング部の徳川家康だ。ソファーと同じく年季の入った来客用スリッパを投げ付けて応戦する。
「うるせーよ! タコ共!!」
「あだっ! た、たこ!? ワシらがタコ!?」
「夏休み早朝、登校とはご苦労なことだ。真田、徳川如何した」
「如何したも何もないでござる! 大谷殿これは何でござるか! 納得がいかないでござる!」
幸村の手には昨日通達した監査からの文書が握られている。フルフルと震える彼はいつ爆発するとも分からない噴火山のようだ。
「何かと言われてもそうさな、そのままのことよ」
「これはあくまで部活動の一環っ! 交流試合でござる!」
「ほう、それは先月剣道部の伊達と乱闘した時と同じ口上よな」
「うぐっ」
「真田、徳川。二人共真面目一直線で手合わせするのはいいんだけどさー、もうちょっと手加減してよ」
「漢の戦に手抜きなど……相手に対して不義でござる!」
「アホたれが!!」
「ぐふぁっ!!」
は手中の2リットル入りのペットボトルを躊躇うことなく幸村の横っ面にぶつける。よろけて黒板に背をつく幸村の襟元を掴んで睨みつけた。徳川と後ろの三成が引いていた気配がしたがかまうものか。もういろいろアツいんだよ! そんな怒気を漂わせて。
「このばーたれが!! アンタ達が破壊する分他の部に予算が回んないんだよ!! 只でさえ部費の嵩む運動部の割りを文化部が食ってんの! あの窓ガラス直すくらいなら手芸部に毛糸やら美術部に絵の具の一本やら増やしてやりたいっての! 備品が足らないのは市のせい……って毎回織田さんに泣かれるこっちの身にもなれってんだ! それを交流試合だから壊れたのを直す予算をくれだの簡単に言いやがってこのぉお!!」
「落ち着け。真田が三途の川を渡りかけておる」
ガクガクに揺れる幸村を哀れんでか大谷が制止し手を止めると幸村が息を吹き返した。
「……殿……」
「な、なに?」
「はっ……」
「は?」
「破廉恥でござるぁあぁぁぁああああ!!」
「は!?」
は思わず目を丸くする。ちょっとまって、今何処に破廉恥要素があったというのだ。幸村はかまわず破廉恥破廉恥と連呼し出入り口まで撤退する。
今私説教垂れてたんだけど? とは絶叫する幸村をまじまじと見た。
「……」
「ん?」
「それだ」
「え?」
三成が指を差すと先に目をやる。そこには第二ボタンまであけた自分の胸元。普段なら問題ないのだが。胸元と三成の間を交互に見、目を瞬く彼女に面倒くさそうに三成は言う。
「位置が悪い」
「あー……」
どうやら幸村の傍に近づきすぎたが故に胸元が絶妙の角度で見えていたようだ。見せる気もないが残念なから見られてもそんなに精神的ダメージがないのが女として悲しいところだ。
「ごめ、真田そんなに脅えないでよ。別に減るもんじゃないし」
「その返し、女子としてはどうかと思うぞ」
大谷からも三成からも飽きれた溜息が聞こえる。人のことなどどうでもよい三成ですらだ。あれ? なんか空気の読めないこと言ったかな? と思案するところで若干の怒気を含んだ声がした。
「!」
家康だ。出来れば幸村だけを相手にしていたかった。だが不倶戴天の敵はしっかりとこちらを見ている。
「こ、今度はなに!」
「風紀委員として前々から言っているだろう! そんなに短いスカートを履くなと! 前のボタンもちゃんと止めろと!」
「うわっウザ! 石田助けて!」
「断る」
「おぉうクール! って裏切り者っ! 監査のよしみで助けてよ! 私こいつ苦手なの知ってるでしょ! 刑部せん……うわあああだめだこの人ぉおおお!!」
「ヒヒッ、頑張れ、特と見ておく故」
煩わしいことを嫌う三成と人の不幸が大好きな大谷だ。援軍など望めるはずもない。
「! どうして儂の言うことが分からないんだ! お前は女子なんだぞ! 必要以上に素足を誰彼かまわず晒すなど! 不埒者に何をされるか!」
「ド失礼な奴! 人を痴女みたいに言うんじゃないわい!」
「なっ、ワシはただ心配をしてっ」
「余計なお世話だっつーの! 今は請求書の予算おろすおろさないの話でしょうが! 論点摩り替えんなアホ権現! つーか何様のつもりで私の領域に入ってくるんだ! そういうの嫌い! 干渉しない分石田のほうが遥かに良いわい! ツンツンボーイだけど! 石田の爪の垢煎じて飲みやがれ!」
「ツンツンボ……貴様っ!」
「すいませんした、石田様」
「お前は三成が好きなのか?」
「何故そうなる! なんかスルーしかけたけど風紀委員なら風紀乱すな! 学校の設備壊すな!」
スリッパと2リットルペットボトルを武器に仁王立ちする。異様な雰囲気はすれども威厳は皆無だ。その女子の色気も慎みも無い情けない姿に生徒会の仲間として、また先輩後輩の間柄として若干の哀れみを含みながら大谷は呟く。
「見事に噛み合っておらぬ。のう三成」
「……」
「真田、落ち着いたか。が持ってきたそれを飲むが良い、暑かろうて」
幸村は思考を覚醒させようと頭を振る。に与えられた物理的な衝撃と視覚を襲う衝撃に多少なりともダメージを追ったのは事実だ。加えてこの暑さに齎される気鬱さを取り払うには差し出されたスポーツ飲料はありがたい。
「良いのでござるか?」
「かまわぬ、明日の分らしいがな。が雀の涙の小遣いをはたいて買ってきたものぞ、ありがたく飲め、飲め」
「発覚した時、某の命がなくなるではござらぬか」
「ヒヒッ、仕方あるまい。今日の分はほれ、つの武器になっておる」
なんの解決にもならないその返答に聊か答えに窮した幸村だが、すでに蓋を開けて紙コップを差し出す大谷に、受け取らねば非礼となる気がして静かに手の中に収めた。
「お止めせずとも?」
「かまわぬ、アレは暫く続くであろう。やれ、たじたじの徳川などあまり見れるものではない。眺めるも一興、一興」
「煩くてかなわん」
相変わらず憮然とした三成もまた大谷が渡したであろう紙コップを口に運んでいる。つられるように飲み干して幸村は呟いた。
「……殿は稀有な御方でござる……」
幸村や家康、そして三成などは性格等に多少の問題がありながらも女子に人気がある。皆、彼らの前では淑やかに、また殊更擦り寄る者が多いのだがこのは違った。彼女だけではない、彼女の友人であるかすがなどもそうではあるが、歯に着せぬ物言いはするし、一般生徒と接する時となんら変わりない態度はことに色めき立つ女性が苦手な幸村からすれば数少ない話しやすい異性だった。
――いきなりペットボトルが飛んでくるのは勘弁願いたいところだが。
「三成相手に臆せぬ女子だからのう」
「どういう意味だ刑部」
「怒るな三成」
刑部の言うとおり、これは当分おさまらんな、そう三成は達観する。
――喧騒はがこっそり持ってきていた新作のチョコ菓子の袋を大谷が開け、命が無くなると畏れていたはずの幸村の口に溶けてゆくまで続くことになる。
- continue -
2011-10-05
10,000hitリク:家康(黒)夢 じんじんさま、お待たせいたしました!
本当は一話完結予定だったのですが気付くと十話程になってしまいました。予定通り話を完結できる方って凄いです。私には無理でしたorz
リクとは少しずれた感があって申し訳ないのですが、広い御心でお読み頂けると嬉しいです。
しかし高校生の刑部先輩ってどんなのだろう……。