夏の果に松(五)

「なんじゃ遅かったの」
 杉目城奥御殿その一角にある局、憤怒やら呆れやら焦りやらに塗れた孫や家臣の顔を見ても、栽松院は剪定鋏を手に花を生ける手を止めるでもなくそう言った。
「ババア!! てめえ孫の嫁攫っといていけしゃあしゃあと何抜かしやがる!」
「婆とはひどいのぅ、ヨヨヨ」
「アンタが泣くタマかよ!」
「もうね、御祖母様もうね」
「栽松院様、流石に悪ふざけが過ぎまするぞ!」
「常々aggressiveなババアだと思ってたがやらかしやがったな! は無事だろうな! さっさと出せ!!」
「皆煩いのう」
 他の身内の扱いに比べれば、政宗はこの祖母を大切にしていた。その孫が掴みかからんばかりに吼え、強面の側近も難しい顔をする様を見て杉目城の侍女達は其々に震え上がる。が、栽松院はなおも顔色を変えず、茶を持ってまいれ、と未だ何処吹く風だ。
「まあ皆座るがよいぞ」
 政宗は乱暴に頭を掻きその場にどかりと座った。普段の彼からは想像しがたい粗野な所作に彼の行き場のない感情が見え隠れする。
「Ahhhh shit!! 杉目の叔父貴は何してたんだよ!! このババア野放しにすんなよ!」
「ああ、直宗なら其方が命じた他領との境界の偵察に出ておってのー、暇でひ、孫が恋しくなってのー」
「今暇って言ったね! 聞こえてたよ!」
「何を言うか! 殿に会いたいのは本当じゃぞ! ほんに可愛い孫嫁よ! 肩を揉んでもろうたし、遠出をしたときには手をとってくれたぞえ。はぁあ至福であったわ」
「どうでもいいよそんなの! 姫優しいのは知ってるしね!! 喜多まで怪我させてやりすぎでしょ!!」
「は? 喜多が怪我? そんな連絡きておらんがのー。あ、政宗がこっちに来ると書状はもらったがのー」
「……まさか、喜多は……てか侍女達は皆昏倒して……」
「ホホホ、女子らは皆お殿様をだますなんてと渋っておったようじゃがの。政宗の殿への愛を試す試練ぞというたら皆目が輝きおったわ。あとはまあ、殿付きだけでは心許無い故、黒脛巾組と表の老臣共にちょいと耳打ちしたがの」
「あいつらまで!?」
「ホホホホ! 杉目に退いたとはいえまだまだこの尼の伝手も捨てたものではないということよ。大切に致せよ政宗」
「楽隠居してくれねえと大切にも出来ねえがな!!」
「血の気が多いのは祖父似かのう」
「あのgrandpaの嫁だからババアも大概ってのが良くわかったぜっ!!」
 竜の従弟も参戦する遣り取りを聞く佐助はもう溜息しか出ない。国主正室失踪の大事は、この快活な尼君に皆振り回されていただけだったと考えればそれも仕方ないというものだ。ちらりと視線を変えれば竜の右目の前髪がはらりと垂れていた。自身の姉も尼君の気まぐれに加担していたとなればそれもまた無理からぬことである。
「其方ら大慌てであったようじゃのう。逐一報告が来ておったわ。綱元も相変わらずよ、随分耳の痛い話をぶつけたそうではないか。じゃが遠ざけるのは短慮というもの。三傑の一人が突然登城せねば皆何があったかと思うであろうに。片倉の坊も常に殺気だっておったようじゃな」
「……」
「綱元に対する処遇は適切とは言いがたいが女子衆からの評判は良かったぞ。ええと、『お殿様は何があっても姫様しか室は要らぬとおおせられて皆きゅんきゅんしておりました』とか、『殊更冷静なお顔をなさっておいででしたがご報告を待たれるときは姫様のお部屋にずっといらっしゃいました』とか。お主割と乙女よな」
「わー」
「ババアそろそろ黙ったほうが身の為だぞ……!」
「まあ怖いのうっ」
「全っ然っ反省してねえなこのババアはっ!!」
 政宗の怒りはとうとう沸点越えをした。政宗ががばっと立ち上がるのを見て、わー! ちょい待ちちょい待ちっ! と成実が慌てて間に入ったその時だった。

「御祖母様、にございます。お花を取ってまいりました。御祖母様のご趣味に合えばよいのですけど」

 その声に栽松院とかすが以外の目が丸くなったのは想像に難くない。
「おおすまぬのう。殿が選ぶのじゃ、きっと良い枝ぶりじゃ。外は暑かったであろう? ささ入られて」
「ありがとう存じます。勝手を致しましたが暑いゆえ氷室から氷を持ってきてもらうよう手配致しました」
「それは良い。蜜でもかけて楽しもうぞ」
 と返す栽松院の声は聊か高く上品になっていた気がするのは気のせいだろうか。政宗が捜し求めた佳人は静かに、だがすっきりとした所作で障子を開けて入ってきて、十日ぶりに見るその姿に声が上がる。
っ!」
「まあ、政宗様! 片倉殿も成実殿も、佐助まで! やはりおいでになられていたのですね。竹に雀の幟が沢山立って伊達軍の方々も沢山着城されていたのできっと来られてると思っていたんです。十日ばかり離れていただけですのに皆に姫様と姫様と矢継ぎ早に声をかけて頂きました」
 と、嬉しそうに身を寄せてくる彼女は終始笑顔だ。
「本城で何かございました? 栽松院の御祖母様よりお聞きしていたお話より御出ましになるのが遅うあられましたのでは心配申し上げておりました」
「お前こそ大事ないのか!」
「はい? は元気にございますよ? 政宗様や喜多殿とご一緒できなかったのは残念でしたけど女子衆とお外を歩けたのは楽しゅうございました。……政宗様?」
「……いや、お前が無事ならそれでいい」
「ええと、無事とか。こちらに来るのにが無事でないはずがありません。どうなさったのですか?」
 半ば鬼気迫るような夫と、要領を得ず花の笑顔を振りまく妻、対照的な二人に成実と小十郎は気抜け半分安堵半分だ。
「Ah―― いや、こっちの話だ。ちょっと待ってな?」
 の姿を見、声を聞けば徐々に穏やかになっていくようにも見える。だがそれは対愛妻専用なだけのこと。不穏な気配を湛えたまま振り返る政宗は確かに凶悪そのものだ。
「んのババア! こっちは必死こいて探してたってのに孫嫁と優雅なひと時をお過ごしたァ流石の俺も勘弁ならねえぞ!」
「んまっ殿聞いたか! この尼をババア呼ばわりぞっ」
 さっきから散々言われてたじゃん……と考える思考が最早虚しい成実と、老いようと何ら遜色のない尼君に小十郎が頭を抱える姿を見た佐助も更に虚脱感が襲い来る。かすがはといえば老獪すぎる栽松院に私が敵うわけもなかったなと諦念せざるを得なかった。
「なんかもう俺様も居た堪れない。まさかもうすぐ二十に差しかかろうかっていう姫におばあちゃんについて行っちゃいけませんって教える日がこようとは」
「え? えっ? 御祖母様、何か手違いがございましたのでしょうか? は寒くなる前に皆で杉の目に集まって数日過ごそうとのお誘いであったと喜多殿から聞いておるのですが……」
「喜多め」
「ほほっ、殿それに相違ない。ただ、男衆には何か違う話が行っておるようじゃのう。不思議じゃのー」
「すっとぼけんなババア……!! 全部画策したのアンタだろ!!」
 普段の冷静さを取り払った夫の絶叫に、今度はが目を丸くする番だった。夏の杉目城に響き渡る竜の咆哮が格別の虚しさを孕んでいた午後の出来事であった。

 結局その夜は皆杉目の城で過ごすことになった。
 栽松院は、どうせ皆を酷使してここまで来たのであろう? さて私が労うかのう、などと最後まで政宗の神経を逆撫でながら宴席の準備をしに去っていった。
 かすがは、凄い尼君だった……と半ば怯え、佐助は、流石攫った男の嫁になっただけあるわ……額に手を当てて首を振るばかりだった。最後にはすげえババアだったろ? と呟いた政宗は我ながら自虐感の凄さに向こう半年分の体力を使い果たした心境だった。
 灯明皿に菜種油を注ぎ終えたがばつの悪そうに褥に座る政宗に擦り寄ってきた。鼻を掠めるこの香りから随分長い時間離れていた気がしてなんだかくすぐったくなってくる。
「先程のお話を聞いてようやっと合点がいきました。杉目へのお出かけは政宗様のご意向ではなかったということですね。申し訳ありません、今度から政宗様にお伺いを立てますね。お外に出れると思って浮かれておりました」
「いや、が悪いなんて思っちゃいねえが、……今度からそうしてくれると助かる」
 頬杖をつく政宗にはにこにこと笑んだままだ。
「どうした?」
「ふふ、栽松院様、あのようなこと仰ってらっしゃいましたけど、お出かけのときもお茶をするときもずっと政宗様のお話をされておられましたよ。政宗様が可愛くて仕方ないんですね」
「この歳で可愛いと言われてもな。それなら嫁攫いなんぞせずのんびり隠居してて欲しいんだが。老いては子に従えなんて言葉多分知らねえぞ」
 そう言うと彼女はますます愉快そうに笑うのだから政宗の険もとれるというものだ。
「政宗様」
「Um?」
「たくさん、心配して下さったんですね。こう言ってはいけないのですけどとても嬉しゅうございます」
「ほんと心配した。死ぬかと思ったぜ」
「申し訳ございません」
「次はねえぞ? そんなことしたら――」
「そんなことしたら?」
「嫌だっつっても全部食って当分放さねえからな?」
 その言葉に目を丸くし直ぐに頬を染めた妻は夫の胸に頬を寄せた。その腕に彼女の体温と甘い香りと愛おしさを感じながら、詫びの書状と共に綱元への謹慎を解くよう伝えた使者はもう到着しただろうかと考える政宗だった。

- end -

2013-11-09

【夏の果に松】全5話これにて完結です。ひょっとしたらもう少しドラマチックなものをご希望だったかもしれません。
ですが誘拐と考えると女性の場合嫌な想像が付き纏いますので、このような運びになりました。リクエスト下さったサオリさま、楽しんで頂けましたでしょうか?ご笑納いただければ幸いです。