牡丹華(一)

 噎せ返るほどの異様な熱、土埃と荒々しい足音に武具の擦れ合う音、罵声に怒声、それが辺りを包んでいた。
 甲斐国要害山城、躑躅ヶ崎館の程なく先にあるこの詰城は今、国主武田氏と奥州伊達氏との決戦の場となっていた。
 甲斐、信濃の二国を治め金山に恵まれ、天下に覇を称えたこの武田氏の隆盛は、同じく天下を望む奥州の覇者伊達氏によって潰えようとしている。
 信濃は上田を始めすでに伊達氏の手に落ち、残すは甲斐のみとなった。強さを誇る騎馬隊を有した武田氏がその騎馬戦を捨てて篭城戦に踏み込んだのはつい先日のこと、その様はいかに窮地に立たされているかを如実に表し、聞き知る者達は皆乱世の無常をまざまざと感じた。
 これが最後の時と、武田家重臣真田源ニ郎幸村は武者溜傍の三門で、生涯の好敵手である男を待つ。総大将であっても必ず自分と決着をつけると信じて。
 不動曲輪を駆け上がる轟音が鼓膜を揺さぶり、やはりと漏れる笑みを隠すことは出来ない。辺りに蒼い軌跡が湧き上がったかと思えば期待通りその色と同じく蒼い陣羽織に身を包んだ男が現れた。
 幸村はああ、と頷き、対して男は隻眼であったが、眼光は手に持つその刀の輝きに勝るとも劣らぬ強さで幸村を見据える。
「よぉ、待たせたな」
「なんの」
「さあ始めようぜ、真田幸村! こっから先は俺達だけの舞台だ!」
「伊達政宗、いざ尋常に勝負!」
 言うや否や、両者の周りから爆音が生じ、緊張が張り詰める。それは周囲の者共に邪魔をするなとばかりに威圧的に広がり武田方、伊達方双方の兵はその攻防が気になりながらも遠巻きに刃を交える。
 幸村のニ槍が、政宗の左頬を掠めたかと思えば、政宗の刀は一本はそれを弾き、もう一本は幸村の脇腹を狙う。ひらりと身をかわし両者距離を作れば、政宗は六本ある刀をすべて抜き、幸村は改めてニ槍を構え再び激突する。
 武田が巻き返すことが出来るとすれば、このときを置いてほかにない。敵総大将伊達藤次郎政宗、かの者を撃破することだ。
 政宗という大きな求心力に集う伊達軍は精鋭だ。今この場で彼がいなくなれば伊達軍の混乱は必至、撤退を余儀なくされるだろう。その間に多少なりとも国力回復に望みを繋げる。政宗を倒すことで奥州の憎悪は一方ならぬものになるだろうが国力差がここまで出てしまった今となってはそれしかない。好敵手と合間見える喜びと共に幸村の両肩には武田の命運がかかっている。
 幾度かの攻防の後、内に秘めたる力を奮い立たせれば身体に熱気が迸る。
「闘魂絶唱!」
「GET UP!」
 相手の背後を取れたのは幸村であった。そのまま力の限り槍を振るう。
「燃えよ、わが魂!」
 だが、読んでいたとばかりに凄まじい力で弾き返す政宗。
「癖になるなよ!」
 幸村は六本の刀をまともに浴び、轟音と共に城壁に身体を叩きつけられた。城壁だった欠片を払いくらりとする頭を奮い立たせて前を見据えれば眼光鋭い竜が佇む。
「後ろは餓鬼の頃からよく狙われたんだ。悪いな」
 特に右はな、と独り言のように政宗はつぶやき、口の端を吊り上げ幸村を見る。
「アンタは最後まで俺の右は狙わなかったな」
「なんの、貴殿の右に隙がなかっただけのこと」
「Ha! アンタのそういうところは好ましかったぜ」
 幸村も政宗も、至極楽しげだった。その様は命のやり取りをしているはず敵同士の二人がまるで道場で手合わせしているようにも見えた。
 幸村は気合を入れるかのようにニ槍を振ると政宗に向ける。一歩、相手に詰め寄ろうとするといきなり膝が崩れた。
 なんたることかと歯を噛めば、力を入れただけ脇腹に激痛が走った、触れてみれば己が血に篭手が染まる。篭手に付く血の具合を見れば相当の量が流れていると自覚せざるを得ない。独眼竜といわれる好敵手に交える高揚感に痛みには鈍くなってはいたがこの傷を負って渡り合えるほど、この男は甘くない。
 この闘いの幕はもうそろそろ下りることを感じながら幸村は最後の一手を振るう。
「はっ!」
 カキンと甲高い音が響き、幸村と政宗は鍔迫り合う。力に押し負けることなどなかった幸村が今にも押し返されそうになる様子に政宗もまたこの戦いの終わりを予感する。
 息もつかせぬ攻防の後、政宗の一撃に槍が弾かれ、残った城壁に背をつき腰を落とした幸村は荒々しく息をしながら口を動かした。残念だと思いながらも悔いはなかった。
「……奥州筆頭伊達政宗殿、貴殿を見込んでお頼み申す。敵方なれど某の今際の際の言葉と情けにお縋りしたい」
 悲しいかな、すでに立ち上がる力もない、脇腹の出血のせいだろう、滾っていた筈の熱は引いていき幸村の思考はぼんやりとし始めていた。
「Ha! いいぜ真田幸村。……言ってみな」
「城に、某の妹が居り申す。まだ齢十六、散らせるには余りに惜しい。彼女を貴殿に託したい」
 政宗は驚いたように幸村を凝視した。
「人を見る眼がないぜ」
「そうでもござらぬ」
「Han! いいだろう」
「忝い。……もう思い残すことはござらぬ」
 そう言うと幸村は思惟を別のものに馳せる。 
 ――お館様、申し訳ありませぬ。この戦い、幸村の負けでございました。あの世で幾重にもお詫び申し上げまする。
――雄雄しき武田の風林火山……京の都にはためく様はさぞ豪快に御座りましょうな、お館様―― 
 纏まらぬ想いが幸村を駆け巡り、走馬灯が走るとはこのことかとどこか客観的に捉えながら思考はなおもとまらない。主君のこと、姫のこと、佐助のこと、妹のこと、止め処なく流れる想いは生への執着だろうか。
 幸村は翳み始めた眼を必至に見開きながら独眼竜の先にある空を見つめた。
 嗚呼、蒼いな、目の前のこの男の色だ、と幸村は思った。
 この色に包まれて死ぬのは何の因果か。これは口惜しい。夕暮れに相対せば良かったやも知れぬ。朱い緋い武田の、真田の色。
 やがて首に構えられる刃を感じながら幸村は最期の時を自覚する。
「……我が……生涯の……」
「楽しかったぜ? 真田幸村」
 刹那、空が朱く染まった。
 この男が好敵手で良かった。きっと判ってくれたのだ。世界が真田の、武田の色に染まって死んで逝ける――
 
 ――虎の若子の時は今此処で潰えた。

 政宗は躯に一度目を伏せた。そして自分の手により生を終えた男の槍を握りしめ、高らかに叫んだ。
「武田家重臣真田源ニ郎幸村、奥州筆頭伊達藤次郎政宗が討ち取った! さっさと虎のおっさんに伝えな!」
 武田の兵は驚き後退り、反して猛る伊達軍に押され、幸村の守った三門をあっさり捨て四門の内側へ逃げていった。政宗は自軍に激を飛ばす。
「おうおめえら! 女子供に手出しするなよ!」
「承知! 硬派の伊達軍はそんなことしやせんよ!」
「Ha! いいね! それから――……」

 戦場にもう一度喚声があがった。

- continue -

2011-05-06

幸村ファンの方本当にごめんなさい。
幸村が嫌いという訳ではないんです。むしろ大好き。正直すごい罪悪感。
設定上やむを得ずお亡くなりとなりました。
一応、死にネタだと注意書きは書いてありますので、許容できる方のみお読み下されば幸いです。