つつゐづつ井筒の上に水越えて(一)

※一部不道徳な描写があります。ご注意ください。※


 ――ああ、やっぱそうだよね、政宗に女っ気ないとかある訳ないよね。まあ仕方ないか。

 ベランダから覗く階下の光景を見ながら私はそう思っていた。


 両親が揃っていたが私の家は一般家庭というには程遠かった。父はそれなりの規模の会社の経営に携わっていたし母も旧家の出、所謂上流家庭だった。幼い頃はそんなものが分からず、近所の一つ上の幼馴染とよく遊んでいた。カッコ良くて色んなことを知っていて、私が泣いていれば手を差し伸べてくれる優しい政宗。私は彼が大好きだった。
 そう、自覚したのはその幼馴染が生まれたときに決められた許婚であると知った時だ。驚いたし子供ながらに急に意識して恥ずかしかったけれど、とても幸せだった。政宗は許婚と知っても優しいままで、ずっとずっとそれが続くと思っていた。でも、そんなのは何も知らない子供の御伽噺でしかなかった。

 最初の転機は中学入学を期に訪れた。一歳上の彼を便宜上先輩と呼び始めた頃、ふと彼の周りに気付いた。彼の周りには沢山の女の子が居て、彼女たちに囲まれる彼が知らない政宗に見えた。漠然とそれが大人になり始めた政宗と子供のままの自分であることを感じ、自分がひどくみすぼらしく思えて距離を置いた。そんな時だ、運悪く近所に住んでいた誰かだと思うが、その人物から私と政宗が許婚であるという噂が学校中に広まった。途端、政宗に憧れる上級生からも同級生からも沢山の厭味を受けるようになって、静かに過ごした私の周りは一気に騒がしくなった。思春期の思い悩む頃、どんどん大人になってゆく政宗とのギャップに苦しんでいた私にはそれは途轍もない追い討ちでしかなく、悪循環だと思いながらも次第に無口になっていった。
 政宗はそんな私に呆れたのか、お前つまんなくなったな、と一言言うともう一緒に登校することも無くなった。しかしそれでも家の近い者同士、遇わないという方が無理な話で、何度もすれ違うだけの日々が続いた。時間をずらしても何処かですれ違う、仕方がないから挨拶だけすれば、彼はおう、と言うだけだった。
 そのうち校内では、伊達君てあの子のこと何とも思ってないんだって。迷惑してるんじゃない? 等と陰口を叩かれ、ああ多分そうなんだろうなと一人思うようになっていた。
 私の政宗の距離は遠くなったのに、私には悪意をぶつけて、政宗の前では可愛い顔してイイコしてる彼女たちが羨ましかった。惨めだった。
 二年経って政宗が卒業すると受験が私の前に押し迫ってきた。彼が居なくなると興味なんて失せたのか女の子たちの陰口は止み、三年からクラスが一緒になったかすがと仲良くなって中学生活最後の年は充実したものになった。苛められていると言うわけではないけれど、許婚がいるという特殊環境に居た私は中学生活二年間倦厭されていて、することがないから勉強だけは出来るようになって、進学先はよりどりみどりだった。
 学区内の一番偏差値の高い高校に政宗はいた。担任に強く勧められたけど此処だけは断固として断った。勿体無い! と担任は家まで押しかけて父母からも説得されたけどどうしても嫌だった。
 親と揉めた翌日、珍しく家の前に居た政宗に、なんでこっち来ねえんだ? と言われたけど返事をしなかった。もう親から聞いたんだ、と漠然と思いその後には、私をつまらないと言ったのは政宗でしょ、私と居ると恥ずかしいと思ってるくせに、と悔しくて悲しくなった。
 わざと偏差値の下の高校に行くなど許さないと父に言われ、進退窮まった私は越境通学して政宗が通う高校とさして変わらぬ偏差値の高校へ入学した。いっそ寮にでも入ってしまいたがったが父がそれを許してはくれなかった。越境入学した高校には偶然にもかすががいた。かすがは親の期間的な転勤の都合で住居が変わることを理由に越境受験が認められたとのことだった。離れ離れになる覚悟だったのに思いがけず志望校が一緒で共に入学できたことはとても嬉しかったのを憶えてる。越境だから早めに家を出るようになって政宗に合う回数もほんの僅かになった。寂しかったけど荒波のように訪れる動悸と無縁になれるのは気が楽だった。
 それでもたまに政宗が女の子と歩いてる姿を見かけた。悲しかったけれどああそうなんだとサラ紙をぐちゃぐちゃに丸めて捨てるかのように心の靄を取り払った気がする。それ以外は、かすがと学校の気風のおかげで高校三年間は充実した日々だった。
 そして次の進学、政宗はやはりレベルの高い大学に進学していた。少しずつ遠い存在になって行く彼からもっと離れておきたくて私は沢山の下調べをした。奨学金制度もある、バイトだって高校と違い自由に出来る、今度は親に反対されたって遠くの大学へ行こう、そう進路を決めていたとき父が動いた。
 も十八になることだし、正式に結納を済ませて婚約を法的なものにしよう。うちには子がしかいないから会社も其方に合併という形で政宗君に継いでもらいたいと。
 嫌だと泣いた。冗談じゃないと叫んだ。一生蔑まれて生きるなんてごめんだった。父は頬を叩くなどしなかったが叱りつけてきた。会社を安心して預けることが出来るのは伊達グループしかいないのだと。社員、そしてその家族の生活をお前の我侭で先行きの見えないものにするのかと。政宗君の何が不満なのだと。母に理由を言って泣いて縋ったが母は私を抱きしめて宥めるばかりだった。政宗君できっと後悔しないわ、と。嘘ばかり! 最後は枕に顔を埋めて大泣きをした。
 日が変わって、せめて大学だけは通いたいと言うとあろうことか政宗と同じ大学を指定された。嫌だと言って奨学金を得て他大学を目指そうとしたがそれは阻止された。手抜きでもして受験に落ちれば速攻結婚させるとまで言われて私は勉強するしかなかった。
 それでも諦め切れなかった私は図書館で遠方の大学の資料を眺めていた。自習室の一角で嗚咽を堪える私にかすががずっと付いていてくれた。目を真っ赤に腫らして廊下を出ると、まともに寝ていなかったせいか立ちくらみがして手に抱えていた大学の資料を落としてしまった。かすがに支えられ、前方から向かってきた男性数名が資料を拾ってくれて、お礼を言おうと顔を上げるとその中に政宗がいた。一瞬硬直したが、泣き腫らした目を気にしたのか、背の高いお兄さんが心配げに、大丈夫? どっか痛いの? と聞いてきて、はっとして大丈夫です、ありがとうございましたと答える私に、かすがとそのお兄さんが互いに目を合わせた気がした。政宗に声を掛けられる前に逃げ出したくて、かすがにごめん、と言うと私は一目散にその場を走り去ってしまった。
 随分あからさまな態度を取ってしまったことを反省していた夜、政宗からメールが来た。驚いて見る携帯に写る文面には、明日の夜うちに来い、と短く打たれていた。なんで私のアドレス知ってるの? と返すと親から聞いたという。そういえば自分も親から政宗の携帯番号とアドレスを渡されていたことを思い出した。登録すらしていなかったことなど言える筈もないからすぐに登録して、あれこれと考えたが断る理由が捻り出せなかったから彼の家に行くことになった。
 当日、彼の家の門の前でいっそ直談判でもして婚約をなしにすればいいかもしれない、なんて思いながらインターフォンを押した。出迎えたのは政宗本人で、彼の親も彼に付き従う教育係も気安い従弟も居なくて、二人きりだと言われた。お互い二人じゃなければ腹を割って話せないだろうからと。ああ政宗もそうなんだと思ったり、自分の親も今日は出かけたことを思い出して、皆で示し合わせたんだろうななんて遠くで思った。
 大学、俺と一緒は嫌か? と前置きもなく聞かれた。いざ政宗に見つめられると言葉が出ず気まずくなって目を逸らすと彼は大きく舌打ちし、ぐいと私の手を引っ張り応接間を抜け階段を登る。はなして、いたい、と言っても私の手を握る彼の握力が弱まることはなく、次に開かれた扉の中へ乱暴に入れられた。
 其処は政宗の部屋、あの頃とは随分趣の変わった部屋に言葉を窮していると弾力のあるベッドに放り投げられた。思いがけない強い力と暴挙に慌てて身を起こし何をするのかと言おうとしたけど私の眸に映る彼の目はギラギラとして近づき、さらに強い力で押さえ込んできて脳裏に鳴り響く警鐘に気付いたときは既に羽毛の海に縫い付けられていた。お前は俺の女だろう! 頭上から降る言葉の意味が分からなかった。
 マウントポジションという奴は非情で、どんなに抵抗しても何一つ自分の思い通りにならなかった。脱がされて、触れられて、穿たれて。痛い、止めてと泣いても彼は止めてはくれなかった。喉を引く付かせながら、私を嫌ってるのは政宗のほうだというと彼は眉を顰めた。政宗には女の子がいっぱいいるじゃん、思い出したみたいにちょっかいかけないでよ、何で私なの、と熱に浮かされたまま言った気がする。彼はとても低い声でふざけるなと私を一層攻め立てた。
 最低な初体験だったと思う。
 事が終わっても政宗は追及の手を緩めなかった。お前、高校卒業したら受かっても受からなくても俺と暮らすから、そう言ったのだ。親同士でもう決めているのだと。衣服も調わぬまま呆然とする私を置いて彼は部屋を出て行った。ふらふらなのに何処か冷めた左脳だか右脳だかが働いて、血の付いたシーツをどうしようかなんて考えた。結局どう後処理していいか分からなくて痛む身体と血に汚れたシーツを引きずって帰宅した。家の中は暗くて誰も居なくて、誰にも知られないままシーツを洗えるのが救いだった。
 シャワーも浴びず回る洗濯機の傍に体育座りをして懸命に考えた。大学に行かなければそのまま一生籠の鳥。だけど政宗と同じ大学なんて行けばまたあの好奇の目に晒され惨めな思いをするのだ。でも一方で大学に受かればかすがに会うことが出来る。一瞬でも自分の状況を忘れることが出来る。政宗の目の届かない間に資格勉強だって出来るかも知れない。卒業までに逃げ出せる力を手にすればいいんだ。そうだ、そうしよう。だけど同居なんてどうしたらいいの? 今日みたいなことされたら? 鍵掛けとけば大丈夫? わかんないよ、答えなんて出る訳がなかった。その日は身体から政宗の匂いと感覚がしてどうしようもなくなった。
 心の支えである親友かすがに会うことと自由の為に死に物狂いで勉強した。政宗は経済学部だったからせめて違う学部にと、出来るだけ校舎の離れた学部をと、法学部を選んだのはそんな理由からだった。 
 春、受験をクリアしても同居拒否という課題はクリア出来なかった。双方の親の意向で大学に程近いの2LDKを宛がわれることになった。日当たりの良い部屋を政宗に譲り、私はロフトのある部屋を陣取った。狭いロフトで小さくなって寝ることが我が身を護る術に思えたのだ。
 過去の経緯がある為双方の空気は微妙だった。掃除当番、食事当番と必要なものを決めるとさっさと部屋に戻り、翌日からも早く起きて割り当てられた仕事をこなして食べてさっさと部屋に篭った。一度鉢合わせした時、逃げるように背を向けた自分に彼は言った。謝らねえがもう無理強いはしねえ、だから逃げるなと。何を都合の良いことを! ふざけんな! そう言いたかったのにあまりに真摯な目を向けるものだから憤怒も恐怖も忘れて私は思わず頷いていた。
 大学生活が始まると、とあるサークルにかすがと入ることにした。それなりに慣れた頃、私が政宗の許婚であるという話が広まっていて、ああもうかと諦念したが、中学時代と違ったのは女子は羨ましいわと言うだけで格段何もしてこず、寧ろ男のほうが遠巻きに見ているという感じだったのが意外だった。
 平穏な大学生活は三年続き、その間に家では政宗とも食事を共にする機会が増えた。ぎこちなかったけれど少しだけ笑えるようにもなった。次の一年は慌しくなった。政宗は社会人になり実家の会社に就職した。言うなれば継ぐ為の修行期間だ。とても多忙らしく家に帰ってくる時間も遅く休日出勤すらしていた。私はその間こっそり就職活動に勤んでいた。卒業すれば結婚、それをまた口に出される前に早く逃げ出さなければいけない。遠方が良い、語学だって勉強した、その気になれば外へだって。
 忘れた頃に届いた中学の同窓会のはがき、迫り来る憂鬱を倍増させるその存在を私は無表情で机に放った。

 ――そんな日々に起こった出来事だった。

 私の始めてを奪った奴は、今、階下で女と抱き合っている。

- continue -

2013-02-17

10,000hitリク:すれ違うけど最後はくっつく…的な切甘なお話です。戦国、現代に指定はなかったので現代にさせていただきました。
流依さま、お待たせいたしました!
徹底的にすれ違わせてみようと思い、当サイトでは珍しく不道徳な始まりで皆様eeeee!? かと思われますが後半の巻き返しでご安心頂きたいと思います。

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