(二十二)

 月も出ぬ闇夜、佐助は艶やかな打掛に包まれた若い女の遺骸を抱いて走る。
 彼女の部屋には調度品にも襖にも鮮血が飛び散っていて、朝見た者らは彼女が絶命したことを知るだろう。
 若い女人を手に掛けた事への罪悪感はない。むしろ今まで生かしたことが罪だった。それでも生まれることのなかった命には僅かながら申し訳なく思ったが。
 しかしながらこの亡骸は絶対に家康には渡せないと思った。死してまであの男の思い通りになったならこの娘は永久に三途の川すら渡れないだろうし、折角あの服部半蔵が小芝居を打ったのだからその心意気も汲んでやるべきだ。
「見るに見かねた、ってとこだろうねぇ。俺様相手にやられたふりなんて屈辱以外のなんでもないだろうにさ」
 だからなるべく徳川の知らぬところへ、掘り起こされてはたまらないから大坂や竹中ゆかりの寺にするのはやめた。
 遠くへ遠くへと運び、ここと決めたのは岐阜のとある小さな寺だった。関ヶ原を望む事の出来るこの場所は戦の折大坂城で待つことしか出来なかった彼女にとって心残りであったに違いないと思ったのだ。実際、佐助自身彼女があの時この地に出陣していたらどのような采配をしたであろうかと思わずにはいられなかった。謀神の策謀も見抜いたであろうし徳川と石田の対決も易々とは許さなかっただろう。もし、はないのであるが。
 住職と話を付け、途中竹中の城より拝借した陣幕で彼女を包む。僅かに覗く細い腕に彼女の煢然な様子が思い浮かんで甚くなる。
「ごめんね、あんたの尊敬する人の傍に置いたら多分掘り起こされちゃうだろうからさ、せめてこれで包んであげる。あの軍師はきっと見つけてくれるよ」
 最後に、もう答えることの無い彼女の唇に紅を差し、頬に少しだけ白粉を当てて白い布で顔まで覆うと後は寺の者と共に作法に則って埋葬した。経歴は伏せ自分の知る彼女の人柄だけを伝えると住職はなにを察したのか格の高い戒名を付けてくれ、佐助は丁重に礼を述べて大坂に戻ることにした。彼の手にはが最期に残した書き付けがある。
「鴨跖草殿を連れ帰らなかったのは褒められたものじゃ無いけど、これがあればいいよね。……ごめんよ大将、ほんとは連れて行こうと思ったし、死に急ぐなって言おうとしたんだけど、無理だったわ」
 彼女がどうであったか主君に伝えるつもりは無い。伝えればまっすぐな主君は怒りに震え冷静に戦うことが出来ないだろう。そんなものあの主人の最期の戦には相応しくない。もし問い詰められれば、二の丸殿は鴨跖草殿とは別人で、鴨跖草殿はあれから生き永らえてはいたものの重い病であった。永くないので戻ってこれず、この書き付けは彼女がせめてと書き記したものだと渡すだけで十分だ。
 あれから二日経ってしまった。早く大坂に戻らねば。ぐずぐずしていたらあの主君は配下の者を探しにやるだろう。そんな暇もないのに。
 真田の副将はそれからも各方面へ忙しく飛び回ったが、東へ行くときは必ずその寺に寄った。掘り起こされていないか確認する為に。一度配下の者が誰の墓だと聞いたが彼は頑として口を割らなかった。


 冬が去り春を迎えると大坂はまた騒がしくなった。豊臣はすでに一大名に成り下がっていったが太閤の血縁である以上やはり衰亡からは逃れられなかったようだ。
 多大な富を齎したお膝元の堺でさえ最早徳川の兵站の拠点であり堀の無い大坂城周辺しかない自軍にとって最早安住の地はない。
 武器を捨て逃げる牢人衆は後を絶たず、城下の者らも少しずつ去る者が出てきていた。
 そんな折に徳川方が全国の大名を連れて挙兵し総大将が京二条城に入ったとと知ると与えた金品は意味を成さず益々逃亡者は増えていく有様。
 焦った豊臣方は暗峠を抜け大和郡山城を落とし、堺もまた焼き討ちとしたが戦況が好転することも無く五月に入るといよいよ激戦と相成った。
 佐助の主君である真田幸村は一軍を任され大和路から大坂城へ向かう徳川方と相対することになり、その中に伊達政宗がいたということが彼にとって天啓であったかもしれない。
 道明寺口で激突した幸村も政宗もこれが二人にとって最後の戦いであることを知っている。幸村と共に、政宗と政宗の腹心である片倉小十郎と対峙しながら佐助は口の中の血をペッと吐いた。
「大義や理想を掲げても、所詮あの男も俗物ってコト、俺様は知ってるよ。竜の旦那やその右目がそっちに媚びるなんて堕ちたもんだよね」
「俗物ねえ……。まああいつにも人間らしい面が残ってた、とは思ったな」
「竜の旦那、割と冷静なこって。でも馬鹿だよあの人、ずーっと豊臣にいたらさ、あの子と一緒になれてたかもね」
「まあそうだろうな!」
 砂埃舞う中、互いの刃が金属音を上げ鍔迫り合い、避けきれなかった余波が頬を傷つける。
「岐阜の、あの寺にはなにがある?」
「はっ! 独眼竜、俺様ほんとあんたが嫌いだよ。もう掴んでるんだろ?」
「まあな」
「そうだよ、権現様の探し物、宝物。……宝物ちゃんの方はそうじゃなかったみたいだけどね。最初は憎からず思ってたと思うよ。でも想いを自覚する前に全部失って奈落に落とされちゃった」
「……」
「最期まで豊臣に戻ろうとしてたけど果たせず何度も死のうとして望まぬ命を宿した、知ってた?」
「……流石にそこまではな」
「俺様が言うのはなんかおかしいけど、東照ってのはさ、大層な理想を掲げたら愛する女を虐げてもいい訳?」
「……濁りのねえ水ってのは繊細すぎて持たねえってことだ。真田は知っているか?」
「清濁併せ呑む……耳が痛いねえ。言うわけないでしょ、あの人の最期の花道を憤怒に塗れさせて汚せっていうの?」
「Ha! 真田に伝えとけ。助けてえ奴がいるなら小十郎に預けろってな」
「そりゃどうも! 余計なお世話ってね! あんたを此処で殺したいんだけどそれじゃあうちの大将が怒るから残しておいてあげる。その代わり右目は始末させてもらうよ、徳川もね」
「あんたに出来るとは思わねえがな」
 政宗が刃を払うと佐助が飛び退き、その先には竜が求めた好敵手が二槍を手に立っている。
「Haha! 最高だ、あんた!」
「政宗殿、いざ!!」
 竜と対峙する時の幸村は鮮烈で目が離せなくなる。多分彼は本当に命を燃やしているのかもしれない。散々気を揉んだが今はもうそれでいい。これが彼の本望であろうから。
「そんな奴相手に死ぬんじゃ無いよ大将!」
「応!」
 なんて受け答えをしていたら佐助の後ろから鋭い殺気が飛んできてひらりを身を翻す。竜の右目だ。
「言ってくれる」
 そう言って口の端を吊り上げる小十郎もまた生気に溢れるのは気のせいか。否、皆知っているのだ。これが戦国の終焉であると。
「お互い悔いの無いようにってね」
「そんなところだ」
 自分の手に力が籠もるのもまたそのせい。戦の世でしか生きられぬ自分の命の使いどころはここなのだ。足が土を蹴り刃が火花散らす。小傷すら心地よい。男達は命の極致を余すこと無く楽しんだ――


 大坂の陣は予想するまでもなく徳川方の勝利で幕を下ろした。一部道明寺の戦いでは幸村に軍配が上がったがやはりそれまでであった。翌日には押し返され堀の無い大坂城はなすすべも無く攻め立てられ焼け落ちた。真田幸村は討死に、佐助の行方もようとして知れない。
 だが幸村には各地で生存説が流れ家康近臣らは未だ肝の冷える想いをしているが、伊達政宗などは憑き物が落ちたかのようにただ、ありえねえだろ、と遠くを見るだけだった。
 各将、この戦に思うところがあったようで戦後の行動は様々だった。
 徳川家康は益々人らしく無くなった。天下人たる彼が何故此処まで我が身を律するのか、そして比例するような寂しげな背中と穏やかな笑みを心苦しく思った伊予河野の巫女姫は何度となく彼を占った。出たのはすべて離別をあらわすものばかりで、その日もだめ押しのように占ったがやはり結果は同じだった。彼が誰と離別したのか心当たりはなかったが、その日の空は薄紫のような青のような、不思議な空が広がっていて懐かしくも心が締め付けられたのを思い出す。
 そしてふと、最後に知るのだ。家康の恋の顛末を。時折唐傘を眺めいつまでもたたずむその姿は懺悔と後悔の塊なのだと姫巫女はただ涙するしかなかった。
 戦の時代の幕引きを見届けた雑賀孫市は雑賀衆と共に紀州を離れ奥州へ退いた。戦のなき世に雑賀は上方近くにおらぬ方がよい、そう判断したようだ。時折独眼竜の意を受けて各国を巡る、そんな日が続いている。先日は加賀の前田慶次に会い竜と竜の右目からの依頼を伝えた。珍しく伏せ目がちな孫市の態度を意外と感じながらも彼は静かに頷いた。


 前田慶次はその約束を律儀に守り其処にいた。
 其処は関ヶ原近くにある小さな寺、昔はそれなりに大きかったというが戦乱で大分規模も縮小されてしまったようだ。それでも小綺麗になっているのは何かしらの援助があるのかもしれない。
 慶次はある墓の前に座り込んでどう声を掛けていいものかと思案しながら銚子を片手に語りかけた。
「俺じゃあ半兵衛の代わりにもなんないけどさ……、あんたどんな花好きだった? あー、半兵衛の好きな花でも知ってりゃなぁ」
 飾った白い花は可憐だったが生前の彼女と知己を得ることのなかった慶次にはそれが相応しいのか分かりかねる。軍師として戦場に居たというから幾度かすれ違っているかもしれないが。
「あんたのこと、俺は直接知らないけど……ごめんな……本当に。おかしいな、あんたの話聞いてから大の男が涙が止まらねえでやんの」
 慶次は秀吉も半兵衛も家康のことも知る男だ。もし自分が秀吉、半兵衛と袂を別つことがなければ彼女との接点はあっただろうし家康との間を取り持てたかもしれなかった。彼女も家康もどんなに苦悩したかとも思うし、今の彼女の有り様の遠因は自分にありはすまいかと思えて首を振るしかない。
 この話を伝えに来た時、孫市は言った。お前が袂を別ったからこそ加賀前田家が残ったのだ、それを忘れるなと。
 相も変わらず雑賀の頭領は慧眼の持ち主だと思う。自分は一生敵いそうもない。
「ほんと、儘ならない世の中だね……」
 友をとっても、家をとっても、はたまた太平を得る為天下をとっても、何かを得て何かを失う。自分には友で、家康にはもっと大きな代償が必要だった。多分家康は彼女のことを一言も口に出すことはないだろう。彼が泣かない分自分の頬を涙が伝うのだ。

 慶次はそれからも何度となくこの墓に参ったが掘り起こされた形跡はなかった。ただ、寺の者が言うには花を生けなくとも朝になれば花が生けてあるのだと言った。そしてそれは東軍の名だたる将がこの地を通る時期に頻繁に起こるのだと。

2024.03.28

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