恋の端、登れ恋の坂(十)

 テスト終日、出来云々は抜きにして開放感と幸せを胸に小早川秀秋は体型を物ともしない軽やかな足取りで昇降口へ向かっていた。
「うはー! 楽しみだなー! 天海様に突かれながら割引券貰って良かったなー! さんと二人きりでケーキバイキングだなんてー! 嗚呼、三成君に叩かれても毛利さんに蹴られても、僕今日は頑張れちゃうよー!」
 途中階段を踏み外しかけながらも、彼はまだまだ上機嫌だった。僅かに残った同級生達の怪訝な視線も一向に入らない。
「ふ、二人っきりかぁ、今日はちょっとステップアップしてみようかな。名前、呼んでみようかなー。あーー! あはははー!! 僕って僕って大胆っ!」
 両手で顔を覆いもじもじと体を揺すって悶えてと彼は忙しい。彼の脳裏には本日一緒にケーキバイキングに行く予定の弓道部員の笑顔が浮かんでいる。彼女に一目惚れして一年と少し、彼は悶々とした初恋を成就したいと近頃世話になっている菩提寺の僧侶に相談して一念発起した。
 彼女に近づきたいならまずは同じ部に入られてはどうでしょう? いきなり誘ってはいけませんよ? たまにお話して好きなものをお聞きなさい、聞いたらしばらくして誘ってみなさい。
 そう助言を受けて彼はまず剣道部から弓道部に転部した。一年で鞍替えとは根性が足らないと同級生の石田三成にボコボコにされ、どこで話を聞いたか知らぬが遠縁の毛利元就には鼻で笑われた。それでも彼は珍しくへこたれなかった。転部してからは真面目に弓を手に練習に打ち込んだ。やってみれば面越しに頭を叩かれる剣道より心を落ち着けて矢を放つ弓道は自分の性分にあっていた気がする。新入部員だからと、時折一目惚れした彼女が順番で教えに来てくれるのも転部した甲斐があったというものだった。
 幸せとは続くもので、入部してすぐ警報に見舞われる程の大雨があった。その連絡網の為たまたま彼女から携帯番号とメールアドレスを聞き出し、それからほんのたまに連絡するようにもなった。こつこつと信頼を重ねて先日ようやく自然に彼女をケーキバイキングに誘えるまでにもなったのだ。
「うんうん、僕頑張った! ああーっ早く来ないかなー!」
 時間通りに昇降口に到着した小早川秀秋は、下駄箱の前で頬を抑えてますます身悶える。ほとんどの生徒が帰宅した為昇降口は静かなものだ。幸せな想いに耽りながらも近づいてくる足音に彼は敏感だった。
 彼女だ!
「あっ! さ……、いやいや、……ちゃん」
 そう言いながらくるりと振り向いた。が――
「誰を呼んでおられるのか?」
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、幸村さん!? ご、ごめんなんか人違いっ!」
「かまわぬでござる。さあ、参ろうぞ」
「へ!? なんで!?」
 意外な人物の登場に驚く間もなく飛んでくる言葉が理解出来ぬ秀秋であったが、折り目正しい言葉遣いの中にもいつになく妥協が見えない元部活仲間の態度に少なからず恐怖を覚える。真田幸村はそんな彼に構わず、懐から見覚えのある紙切れを取り出してひらりとさせて見せた。
「それ、ケーキバイキングの割引券っ! なんで幸村さんが持ってるの!? あ、幸村さん甘いもの好きだもんね。奇遇だねー僕も今日い……」
殿の代わりと申せばよかろうか」
「へ? ――かかか代わりって! 僕はちゃんと行くつもりでっ!!」
「貴殿、殿を下の名で呼ぶほど親密でござったか?」
「あ、いや、ちょっと、今日ステップアップしちゃおうかなあなんて……あははは」
「成る程、下心ありでござるか」
「し、下心って! 可愛い子と仲良くなりたいのは普通のことでしょー!」
 だが幸村は溜息とともに困ったとばかりに首を振った。それが少しばかり芝居がかっているようにも見え秀秋はごくりと唾を飲み込んだ。
「小早川殿、貴殿に下心無くば某これを伝えずとも済んだのだが……」
 幸村はそう言って携帯電話の通話ボタンを押すのだ。
「もしもし、佐助、すまぬが委細を其方の二人に、うむ、ではな」
「な、なんですかー! 今日の幸村さん怖いよー!!」
「小早川殿」
「は、はひっ」
「政宗殿からの伝言がござる」
「へっ? なんで政宗さんから?」
「まあ聞かれよ。――『小早川、俺のものに手を出そうたぁいい度胸だ。二度とそんな気を起こさねえようにキッチリお仕置きしてやるから覚悟しとけ』だそうでござる」
 その科白はまさに晴天の霹靂だった。あの男とまともに渡り合って敵うとは露ほども思っていない。
「ちょ、ちょっと待って!! ちゃんと政宗さんって付き合ってるの!? そんなこと一言も!!」
「政宗殿は殿のこと本気にござる。殿に出会われてからは付き合いのあった女子とはすべて縁を切られ女子の影これ一つとしてなし。それ故この幸村もご助力致しに参った。気の毒ではあるが相手が悪かったと諦められよ」
「そんな!! やっと初めてお出かけに誘えるようになったのにー!!」
 この世の中はなんて理不尽なんだ! 思わず頭を抱えながら秀秋は絶叫した。自分にとっては初めての恋だったのだ。それを女子に不自由したことなんて皆無であろう伊達政宗に持っていかれるとは!
 絶望を抱え頭に手をやったまま砂のように崩れ去りそうになる我が心を必死に繋ぎ止めていると、武道場の方から忙しい物音が響き耳を劈いてきた。
「ふむ、早いでござるな」
「えあああ! 何! 何なのー!」
 それは彼の尤も恐れる部類に入る相手で。
「金吾ぉぉぉおおおおぉおおおおおぉお!! 貴様金吾の分際で女子生徒に手を出そうとしたとは本当かぁあぁああ!!」
「きゃぁああああああああ!! み、み、み、三成君なんでここにぃいいいい!!」
 その姿を視認すると同時に腰が抜けた。
「石田殿、これがその証拠でござる」
「オオタニプリンスホテル……ケーキバイキング割引券……」
「下校中女子生徒を誘って行く予定であった様子」
「何いぃいぃいい!」
「ひいいいいあぁああああぁあ!! 三成君怖いよおおお!!」
 しかし彼を襲う不幸はこれだけではなかった。不幸を好むとの噂を持つオーナーを抱えたホテルの割引券を持っていたからであろうか。彼のもう一人の天敵が静かにその姿を現すのだ。
「ふん、下校中に堂々とケーキバイキングとは恐れ入るわ。貴様、校則という言葉を知っているか?」
「も、も、も、も、毛利さばぁあああ!!」
「金吾よ、我が一門の花火大会の出欠表も出しておらぬのに色恋事に現を抜かすとは。……死にたいようだな」
「あばばばばばば、そ、そういうつもりは全然っ」
「無能の愚図め、万死に値する」
 幼い頃からの天敵石田三成に襟元を掴み上げられ、本家筋で逆らうことの出来ない毛利元就から冷淡の眼で睨み付けられた小早川秀秋、別名金吾の意識は絶望から逃避行をはじめ暖かいお花畑を漂い始めていた。
 だがしかし。
「目を覚まさぬか愚図が! 貴様、まだ毒牙にかけておらぬであろうな。そうなればあの竜の怒り、此方まで及ぼう程に。面倒をかけさせるでないわ!」
「い、いだい……」
「こいつに毒牙など無い。あれば私が当の昔にへし折っている」
「それもそうか」
 と天敵二人は極悪なものだ。幸村はといえば割引券の内容に目を通すのに忙しいらしく孤立無援の彼をフォローする様子も皆無だった。
「ぬ、これは! 毛利殿!」
「何ぞ」
「これをご覧下され!」
「なに……おすすめスイーツ『太陽の光をたくさん浴びた夏みかんのムースチョコレートソース添え』? ……ほう。では行くか、貴様らも付き合うがいい」
「無論!」
「私はそんなもの興味は。……オオタニプリンスホテルか、ならば行こう」
「そ、それ僕の割引け……」
「何?」
「な、なんでもありません」
「行くぞ愚図め」
「は、はひ」

「そういえば毛利殿祭りとは?」
「うむ、家中集まって毎年夏に盛大に花火大会を行うのだ」
「毛利殿にそのような趣があられたか」
「我はそのようなもの興味はない。だが息抜きをさせたほうが駒共の効率が良いのだ」
「成る程、あ」
「どうした」
「某たち制服のままでござるが一流ホテルに入れるのでござろうか」
「かまわん、あそこのオーナーは私の知人だ」
「それは心強い」
 三人はそんな会話をしながら昇降口を出て行く。三成に引きずられた秀秋の脳はの笑顔とおいしいケーキを思い浮かべて幸せだけを感受しようと防衛本能を働かせ始めていた。
 もう、どうにでもなっちゃえ。ああでも出来るなら最後にいっぱいまぐまぐしようそうしよう。
 意識が遠のく彼の悲しい心の叫びだった。

- end -

2013-02-02

恋の端(つま)、登れ恋の坂全10話これにて完結です。 ことみ様、大変お待たせ致しました。戦国物ではなかなか登場しない瀬戸内組やかすがに金吾さん、三成なども登場させることができて私自身大変楽しく書かせていただきました。お題のとおり夢主は筆頭を振り回せていたでしょうか?ご笑納いただければ幸いです。ステキなお題をありがとうございました。

可哀想な金吾さん。でも書いていて楽しかったです。そして元就様貴方たちも校則違反です。はい。