ある社会人の憂鬱 -Workaholic-
日の光が眩しい平日の午前中、いつも通りの時間に目を覚まして、いつも通りにスマートフォンを弄りながらはふと手を止めた。
「いい天気だなー」
今日は突然取れた平日休みだった。身軽な独り身、ふらりと遠出でもするなら最高の日和だろう。しかしながら深夜退勤寸前に取れた休みなんてどこぞに出かける予定を立てれる訳もなく今は怠惰な時を過ごしている。例え大急ぎで予定を立てて車や電車に飛び乗ったところで、持ち帰った仕事の案を纏めるまでは頭も身体も真に楽しみ、そして休めることなど出来はしないだろう。
「これでしっかり休みをカウントされるんだから世知辛いったら」
なんてぼやいてはソファーに背を凭れる。社会人というのは大変な生き物だ。
とある企業のマーケティング部に籍を置くは数日前上層部より下ろされた提案に頭がいっぱいだ。とある業種への参入なのだがある程度確立されたシェアにどこまで食い込めるのか、上司や同僚とああでもないこうでもないと連日資料集めにミーティング三昧。昨日の仕事を思い出せば、ああもうと首を振るしかない。
「早く解放されたいわ……」
とぼやいても仕方のないこと。こういうときはさっさと済ませてしまうに限る。時間外の作業になるのは癪だが心を軽くしたい欲求の方が勝る。かといって家で作業というのが存外捗らないのが自分の性分であることをは知っている。ううん、唸り彼女は彼是と思考を巡らせ行き着いた先は気分転換を兼ねてどこぞのファーストフードに入る、という手っ取り早い回答であった。
オフィスの置き菓子にはもう飽きた。久々にファーストフード店のデザートやサイドメニューに手を出してもいいではないか。それを頬張りながらリサーチしたデータを纏めて自分の案を書いてみよう。それだけで明日の仕事が楽になるはずだ。さあどこへ行こうか、そう心を躍らせて気持ちは僅かに上向いていく。
「ええと、何の店があったっけ」
大通りには沢山のファーストフード店があったはずだ。王道はトヨトミルドだが今日は除外だ。美味だがカロリーは高いし、今は混む時間ではないが、入りやすい雰囲気と安さが相俟ってサボりの高校生や未就学児を連れた親子などで賑わい作業出来る環境ではない。何よりたまに居る銀髪で細身の目付きの悪い若い店員がやたらポテトを食べろと煩いのだ。炭水化物は乙女の敵、そこは理解して欲しい。美形揃いの目の保養にはうってつけの店ではあるのだが。
次に王道なのはアニキードーナツか、タケダッキーか、ああヤスバーガーも捨てがたいが。しかしこの三軒も今日は対象外だ。アニキードーナツはノリが良く、店員が行くぜ野郎共ー! と騒ぎいつの間にか客も一体となって騒いでいるし、タケダッキーは新店長の茶髪の男の子がやたら気合が入って煩い。気合ゆえかたまに厨房が燃えているという文字通りキナ臭い話も聞いたことがある。一生懸命で応援したくなるんだけどいまはちょっと勘弁願いたいのだ。ヤスバーガーも同様だ。店長は爽やかで良いかと思うのだが、どうやらロボットが好きらしくその店舗だけ至るところにロボット系フィギュアが飾られていて、ホンダムMk-IIについて延々と語ることもあるらしい。何処も作業には不向きなことこの上ない。
は想を練る。となるとだ、あとは社会人御用達のマツナガックスコーヒーか、落ち着いた雰囲気とヘルシー路線が売りのダテッシュネスバーガーだ。少しばかり腹部に手を当てて胃と相談するが、今日はカカオを取る気分ではない。そういえば、以前にダテッシュネスバーガーで飲んだオレンジティーはスライスされたオレンジが入っていてとても美味しかった。ヘルシー路線故にカロリーも控えめでミニサイズがあるのも嬉しい。
「うん、ダテッシュネス行こ」
頷いて手近なバッグをにモバイルパソコンと換えのバッテリー、そして細々としたものをバッグインバッグに詰め込んだ。
「あ、バッテリー入れ替えとけばいいか」
昨夜充電しないまま寝てしまったから本体についているバッテリーは余り残量がないはずだ。荷物を少しでも軽減する為、そしてバッテリーを入れ替える姿を見られどれだけ居座るんだと思われるのを避ける為には今変えてしまったほうが無難だ。手馴れた作業で交換を行いは、よいしょ、と立ち上がる。我ながらばばくさいなんて思いながら。
モバイルパソコンを入れたバッグはそれだけで重い。近頃同僚はその重量からタブレットに外付けキーボードというデジタルガジェットに切り替えたが、は相変わらずモバイルパソコンを使い続けている。タブレットでは対応しきれない不測の事態がまだまだあるから、というのが理由だ。しかしこの重さは女の身には少しばかり辛い。諸先輩方キャリアウーマンは皆昔から持ってるよ! と言われたらそれまでなのだが、このモバイルパソコンが壊れたら、先頃出たというタブレット風コンバーチブルパソコンなるものに買い換えてもいいかもしれない。
「さて行くかー」
そういって彼女はドアを開けたのだった。
の住む単身者用賃貸マンションの周辺は大変拓けて住みやすい住環境と言えた。大手企業のビルが立ち並ぶ駅周辺から始まり、少し離れたところには閑静な住宅街、その間に様々な店が立ち並んでいる。通常ならばそれに比例して其れなりに家賃も高く独り身にはとても住めたものではないのだが、残業の多い社員への配慮として太っ腹にも会社が社宅として借り上げており、たち社員はその恩恵に預かっている。おかげで買い物の移動時間も苦にならず、休日を満喫でき言うことなしだ。無論、その分選択肢も増え財布の紐が緩くならないよう常々誘惑との戦いなのであるが、このような時は本当に大助かりだ。
沢山ある店舗の中には様々なファーストフード店が参入しそれもまた街の活気に一役買っている。こんなに揃ったら客の取り合いだろうなんて素人考えでは思うのだが、種類が多いゆえかそれを楽しむ客でごった返していることが多い。平日のランチタイム、下校時刻、そして休祝日、それぞれの客層が街を彩るのだ。はそんな中で穴場の時間を狙い歩を進めている。
が目指すダテッシュネスバーガーはフランチャイズ店最大手に比べれば店舗は少ないが、味とヘルシーさ、そして落ち着いた店舗の雰囲気が女性客に受けて近年急成長を遂げている。ただトヨトミルドなどと比較すると、味や出来に拘るあまり商品の提供に少し時間を要してしまい、時間のないビジネスマンは来れないこともある。そこが大手トヨトミルドとの住み分けなのだろう。
出入口に近づき、ボタンを押せば半自動のドアが開く。やはり狙い通り今の時間帯は客が少ない。平時ならばここはいつも女性客でごった返している。前述の通り女性向けのラインナップに加えこの店舗には格好良い男性店員が多いと評判なのだ。従っていつもランチタイムや休日に当たるには余り縁のない店、それがこのダテッシュネスバーガーである。
いらっしゃいませ、と声が聞こえレジに近づけば噂通りの見目良い男性店員が愛想良く笑んでいた。
「ご注文はいかがなさいますか?」
「ええと……オレンジティーと……」
思わず見惚れていたから咄嗟の反応が出来なかった。加えて普段あまり訪れない店だからメニューが頭に入っていない。もたつく自分が我ながら情けないと感じるが、目の前の男性店員はゆっくりどうぞ、と笑みを絶やさない。噂は嘘ではないと実感するには十分だ。
「成実殿」
「ん?」
「ああ、客か」
奥から出てきたのは凡そ接客などには向かなさそうな強面の男性だ。しかもお客の前で客か、なんて言うのは完全にアウトだ。ああ、早く選ばねば怒られちゃうかも、なんて強迫観念に襲われるのは仕方ないことだ。
「小十郎、口の利き方」
「あ、ああっ、失礼を。いらっしゃいませ」
前言撤回、若い男性店員に窘められる姿は割りと可愛いと思ってしまった。確かに強面だが渋さがあり接客と括らなければなかなかの格好良さだと思う。ダテッシュネスはレベルが高い……と改めて痛感する。
「いえ、……うーん……」
「決めてねえのか」
「は、はい。普段あんまり来なくて」
「小十郎、口、口」
「あ、ぁあ」
と、彼小十郎なる人物はまた戸惑うようだ。互いが少しばかり気まずくなって目が合うとどちらともなくぶっと噴出してしまった。
「許してやって下さいね、彼は此処に立つことがほぼないんで」
「気にしてません。怒られないならそれでいいです」
「だってよ小十郎」
「ほんとこの顔がいけねえぜ……」
話してみれば割と気さくな男性であるらしい。はメニューの中からプレーンドーナツを選んだ。一つ一つ店で手作りされているという謳い文句に引かれたのだ。値段から言えばモーニングセットでも良かったのだが気持ちが其方に行ったのだから仕方がない。
成実と呼ばれた若い店員が会計をする間、は店内を見回す。どの場所がいいだろうか。するとその様と手荷物を見ていた例の強面小十郎がふと聞いてきた。
「ん? 作業か?」
「あ、駄目ですか?」
居座られれば店としては迷惑だ、その程度の常識はにもある。拒否されれば素直に引き下がる腹積もりで問うてみた。
「いや、客が多いときには勘弁願いてえが、今は人も少ない。……そうだな、あの奥はどうだ?」
指し示された場所は構造上柱があって、1テーブル分だけ壁に隔離されたようなつくりになっていた。共有空間に壁があるとないとでは快適さに雲泥の差がある。近くにトイレがあるわけでもなく人通りもなさそうで作業にはうってつけの場所だった。
「助かります。ありがとうございます」
「ああ、構わん」
「もうね、その口調」
「あ」
釣銭を渡す成実が呆れながらそう言って、小十郎がまたはたと気付く。これがこの二人の形式美のような気がして、は心静かに楽しむことにした。
「お席にお持ちしますねー」
「ありがとうございます」
笑顔を振りまいて指定された席に荷物を置き腰を掛ける。そして改めて見直せばファーストフード店特有の安っぽさなど皆無の内装だ。うん、ランキングサイトのレビュー通りだ、と頷きながら手早くモバイルパソコンと資料を取り出した。昨日から何度となく眺めている文字の羅列に目を通していると、手馴れた様子で成実と呼ばれていた店員がオレンジティーとプレーンドーナツを運んでくる。
「ごゆっくりー」
そう言って手を振る姿もすっきりとしていた。久々にオレンジティーに口を付けると期待以上の味が広がり此処を選んで間違いなかったと思える。茶葉は何処のものだろう、このオレンジは? ただのオレンジティーといえばそうなのかもしれない。だがこの中にダテッシュネスバーガーの商品開発の粋が込められている。
「おいしー……」
これから仕事を……というのに至極ホッとした。他店では余り感じない感覚だ。ああこれがダテッシュネスなんだろうな、と妙に納得してオレンジティーを置いた。
「帰りにバーガー買って帰ってもいいかも……きっと冷めても美味しいよね」
「そりゃ良かった」
「!」
よく通る声は先程の強面小十郎のものだ。改めて見上げてみればエプロンが似合っているとは言えない。
「冷めても美味えがやはり出来立てだぜ? 当たり前だがな」
もうこの人から敬語を貰おうとは思わないのでそれは不問として、は笑顔で頷いて見せた。少しだけそのエプロン姿への含み笑いがこもっているのは内緒である。
「出来立てはダテッシュネスの売りですもんね」
「ああ。まあオレンジティー一つでそんな幸せそうな顔して貰えたら売り手冥利に尽きるもんだ」
「あ、ははー。あの、小十郎、さん?」
「ん?」
「小十郎さんは、店員さん……、じゃないですよね?」
「まあな、こんな顔で店頭に立ったらこの店の売り上げが落ちちまう。俺は本部の人間だ。主に商品開発が仕事だがこんな風に店舗を回ることも多いんだ」
「へえ……」
「でだ、ここに来たのはちょっとしたアンケートに答えて欲しくてな。こういうときじゃねえと俺もなかなか客の声が聞けねえからな。仕事中悪いが」
「社会人同士お互い様ですよ、どうぞ」
「すまねえ。俺のアンケートは内装や雰囲気より商品そのものに関することが多いんだ。ダテッシュネスに来たことは?」
「何度か」
「ならその範囲で記入してくれたらありがたい」
「はい」
商品開発者の独自のリサーチか、なんて考えながら差し出された用紙を捲る。こういうのは今後の参考になるかもしれない。一口口に運んだプレーンドーナツに舌鼓をうち本腰を入れてアンケートに目を通し始めたその時だ。
「ちょっと梵ーー!! なんでそんなにパティ焼いてんだよおおお!!」
「うるせーな! 俺の六爪は留まるところを知らねえんだよ!! トヨトミルドに勝つにゃこの早さが必要なんだ!」
「早さなんか競ったことないしっ! どうすんのこの量っ!!」
「てめえの口に突っ込んでやりゃall okayだろうが!」
「出た! 相変わらずの横暴がっ!」
「……う、ん?」
多分厨房から聞こえて来るのであろう成実の悲鳴ともう一人の男性の声には怪訝な表情と共に首を傾げ、それからそっと小十郎に目を遣ると彼は頭を抱えていた。
「失礼する」
「い、いってらっしゃい……」
素人目にも脱力感の拭えぬ小十郎の背に激励を送って、なんか大変そう……と思わずにはいられない。もう一度アンケート用紙に目を落とし、ふと聞こえた言葉を思い出す。さっきの男性の声はトヨトミルドに勝つ、なんて言わなかっただろうか。ダテッシュネスバーガーも店舗は160を超えたはずだが、流石に世界に展開するトヨトミルドを超える、というのは中々高すぎる目標ではなかろうか。Boys, be ambitiousというお決まりの単語が脳裏を過ぎった。
「目標が高いことは悪いことじゃないけど」
その独り言に共感を得ようとは思わない。一息吐いてまたオレンジティーを手に取り口に含んだ瞬間だった。
「政宗様ーー!! お客様もおられるのですよ!!」
はオレンジティーを噴出していた。おい小十郎とやら、おまえ敬語使えるじゃないかと。
「え、ええええ?」
疑問符が付く語尾も上がるというものだ。だが間髪いれず店内に響くのは爆音だった。
ガラガラガラ! ドスンッ!! バリバリバリバリバリー!!
擬音で表すならこんな感じだろうか。とにかく鼓膜と身体全体を揺さぶる音が響いて、一体何が起こっているのだと忙しく周りを見回すしかない。その間にも、ぎゃー! とか政宗様ー! と言う声が厨房から聞こえてくる。
「ええ、ちょ、逃げたほうがいい?」
そのうち、ぼふんっという音と共に厨房の方から黒い煙まで出るのだから震え上がらない方がおかしい。まさか街中で爆弾テロなんて笑えない。雰囲気良好と評判のダテッシュネスバーガーでテロもどきなシチュエーションに出くわすとは誰も思わないだろう。モバイルパソコンを手早く仕舞い周囲を見回す。
「一体厨房で何が……っ」
その間にも黒い煙が客席にまで充満してもまた咳き込む。客は自分だけなのか他に咳き込む者の声は聞こえず、少しよたつきながら立ち上がりカウンターと厨房のほうへと足を向ける。本当は一目散に逃げ出したいのだが無事だけは確認せねば後味が悪い。全く何という厄日なのだろうか。
壁伝いに動いて、もうじきそれが途切れるところに差し掛かる。黒い煙は結構きつくほぼ手探りで彷徨えば急に前方に揺れる影を視認する。ガッと壁を握る手が現れた時には、流石にひっと悲鳴を上げてしまった。
「Ah── お客さんか。小十郎、成、窓開けろ」
手の主の低く通る声に少し離れたところから、とっくにやってるよっとの抗議が聞こえ、主自身も窓を開ける気配がする。煙が少しずつ払われれば其処にはこれまた大層な美丈夫が立っていた。
「悪ィね。ちょっと新作作りが過熱しちまってな」
硬直したまま、こいつも敬語じゃないのか、は忙しく思ったがその美貌に免じて小十郎同様流すことにした。顔が良いということは得だという典型だと思う。
「は、はあ」
「もー! 梵っ!! これ絶対警察来るよ!!」
「だがお客さんにも迷惑掛けた分完成したぜ? ちゃんと謝ったし、なあ?」
「まずは公的機関に謝れ」
半ば諦めの入った成実氏の言葉も梵と呼ばれた男は何処吹く風だ。
「政宗様、これは流石にやりすぎかと」
「俺だって意図した訳じゃねーぞ」
「当たり前だよんなこと!」
咳き込みながら小十郎もまたそう言い向かってくる。梵と言うのが渾名で政宗というのが本名なんだろうか? しかしこの小十郎に様付けで呼ばれるなんでこの人お坊ちゃんなのかなーなんて考えるのは我ながら神経が図太いとは思う。
「その分最高のものが出来たんだ。大目に見ろ」
「限度があるでしょ!」
「試食会と行こうぜ。──と、其処のお客さんもな?」
「ど、どうも」
政宗はそう言って軽く片目を瞑って見せた。とんでもない騒ぎの元凶の癖に目元は涼やかでそれが何とも様になる。横で成実が聞いてないね、と脱力し、小十郎は頭を抱えている。美形は得だと本日二度目の感想が過ぎった。
黒煙は割とすぐに無くなって、は無事な席に誘導された。暫くして政宗がトレーを運んでくる。トレーには彼が開発したであろうバーガーと飲み物が鎮座し、どんなものが入っているのかとは戦々恐々だ。
「There you go」(どうぞ)
低く良く通る声が抗いようのないものに聞こえた。顔だけじゃなく声まで美声とは女の子が放っておかないだろう。しかしながらバーガーを直視したにはもうそれどころではない。パンズもパティも緑色なのだ。こ、これを食べなきゃいけないの? と背筋に嫌な汗が流れてくる。
「み、緑色……?」
「ああ、斬新だろ?」
いや、斬新っちゃ斬新ですけども、と続けたいところだが目の前の政宗の表情は期待に胸を膨らませたもので言葉に詰まる。政宗の後ろには小十郎と成実が居て彼らの視線も痛い。どう見ても断れる雰囲気ではない。
ああなんで私お客なのにこんなに気を遣ってるんだろ、という思考が最早悲しい。
「い、頂きます……」
「Dig in!」(さあ召し上がれ!)
あーんと恐る恐る口にした味、それは予想外だった。パンズはふわふわもちもち、パティは程よい甘さで双方がマッチして口に広がってゆく。
「──美味しい……」
「だろ!」
緑色だから豆を練りこんでいるのは分かる。パティ部分は肉ではない、甘い豆が入っているのだろうか。だが豆特有のくどさと匂いはほぼない。
「何が入ってるんですか?」
「おっと企業秘密、と言うほどじゃねえさ。ずんだ餅が入ってる」
「ずんだ餅ってあの枝豆の!?」
「Yes!」
彼は上機嫌なのか声高になる。
「この甘いversionと、あとはパティを肉にしてがっつり食えるversionの二つで展開してえんだ。甘えヤツだけじゃdrinkも限定されちまうしな」
政宗はそう言いながらの前に腰掛ける。所作にも隙がなかった。
「苦労したんだぜ? ずんだ餅は飴が入ってるだろ? だから乾くと硬くなっちまって風味も落ちる。冷めてもいかにそれを維持するか試行錯誤の繰り返しだったんだ。これも小十郎のお陰だな、いい枝豆を入れてくれた」
「政宗様っ」
政宗の言葉に難しい顔だった小十郎はいきなり目頭を押さえる。感動に咽び泣いているように見えては成実を見た。彼はいつものこと、とでも言いたげにため息をついていた。彼の苦労が忍ばれた瞬間だった。
政宗はその後、いかにずんだ餅が素晴らしいかを熱く語り小十郎は頷いていた。は思う。あ、この人たち触っちゃいけない部類だったわ、と。残念美形とは彼のことだ。
「その前に、あのぼふんっがなくて作れるようにして欲しいよ俺は」
には成実が哀れでならなかった。
ずんだトークに晒され一時間前後経った帰り際、若干気が遠くなっていたは土産だと手荷物を渡された。中からは香ばしい匂いが漂っている。
「ええと、小十郎さん?」
「気にするな、最初のオレンジティーとドーナツは駄目になったろ? その侘びだ」
「受け取ってくれ。そのネギミソバーガー、小十郎が発案して商品になったんだぜ」
「ええっそうだったんですか!」
「おまけに野菜も小十郎が作ってるからな、全店舗にゃ回んねえからrareだぜ? 要らないつっても成実の腹に入れるだけだから持っていってくれ」
「俺って、もうね」
すでにずんだバーガーでお腹はいっぱいだったのだがは次の言葉に完全にやられてしまった。
「また来いよ。待ってる」
「──っ」
それは抗うことが難しいほどの営業スマイルだった。御曹司、それは反則だ。さっき言ってたでしょ、貴方も普段本部にいるって。
「騙されませんよ」
そう言うと彼は大いに笑って続けるのだ。
「次来たら名前、教えろよ?」
「次がありましたら」
「Ha!」
互いに手を振っては店を後にする。後方では政宗が、よしパティ早焼きの練習だと言い、成実がもうやめてっ! と必死に食い下がる声が聞こえた。成実にはこの後、後片付けという名の尻拭いが待っているはずだ。
仕事といえば……と思い出す。結局、自分の仕事は出来なかったなぁと溜息も吐きたいところだが、袋の中のネギミソバーガーの良い香りに気持ちを切り替えることにした。
「三時のおやつ……にしては高カロリーだけど、今日はまあいいか」
予定通りに進まない休日だったが今日はそれでいいと思えた。
──後日のこと。
の提出した企画書に最上コーポレーション代表最上義光は首を捻る。企画書のはずなのに大きな文字で、ファーストフード業界への出店は止めたほうがいい、とだけ書かれていた。
書類を読んだ当初、流石に要領を得なくて彼女を呼び出すとは、店舗を吹っ飛ばすぐらいなことをしないとヒット商品を作れません、社長にはそれがお出来になりますか? とひどく真剣な顔を近づけてきた。あまりの剣幕に引き腰になって、わ、分かった、止めるから下がりたまえっと彼女を追い払ったのだ。
何があったのか彼には知る由もないのだが、他の社員からもいい案が出ないことからこの企画はお蔵入りになりそうだ。
「安藤君……じゃなかった君は一体なにを見たのかねえ」
そう言う彼の手には先頃ヒットしたダテッシュネスバーガーのずんだバーガージューシーパティが握られている。一口食べて玄米茶を飲み、最上社長はうーん! うまいっと満足気に頷いたのだった。