皆は、私がとても素晴らしい相手を捕まえたと思うだろう。
夫の名は竹中半兵衛――豊臣軍の天才軍師、主君たる秀吉様が一番に目を置く、見目麗しく品行方正な物腰の柔らかい殿方。端から見れば私だってそう思ったに違いないし、やっかんだかも知れない。
底に見え隠れする思惑など全く目に入らなかった愚かな私は結婚当初、これは幸せな縁談で自分程恵まれた女は居ないと自負していた。
多忙な夫が執務に専念できるようにと、奥の所持万端を整えて金銭の流れを把握して。そんな私にたまに帰城した夫はありがとうと笑顔を向けてくれた。それだけで愛されていると、幸せだと思っていた。
けれど事実は違っていた。私は聞いてしまったのだ。侍女たちの話を、家臣たちの話を。
当時豊臣は中国地方へ目を向けていた。毛利領と豊臣領に挟まれるようにあった実家の領地、交通交易の要所ともなっていた彼の国を毛利が対豊臣の最前線にしようと狙っていたのだという。豊臣とてあの地が敵方につくのは大きな痛手であったらしく、毛利が内々に進めていた自分との婚姻を強引に、半ば掻っ攫うかたちで半兵衛と娶せたそうだ。かくして、自分の実家は豊臣の傘下に入り、豊臣は対毛利の最前線と交易に潤う膨大な資金を手に入れた訳だ。
夫はそれ以外私に価値を見いださなかったようで、気づけば夫婦の営みはあるものの格段談笑することもない。彼の頭の中は常に豊臣と秀吉様の為の難しい戦術や駆け引きが占め、私のことなどいつも蚊帳の外だった。それを裏付けるかのように夫半兵衛は大坂城に行けば長く戻ってこなかった。そんな扱いであったから侍女から下男に至るまで私の評価は”膨大な持参金を持ってきただけの御方様”。含み笑いの噂話を聞いたときは目眩を覚えたものだ。
そんななかでも私を喜ばせることがあった。子供が生まれたのだ。男子だった。子は鎹という、夫婦仲にも少しは光明が見えるかと期待した私の心を知らず彼は我が子を抱いて一言呟いた。
「もうこれで大丈夫だね」
それから一層大坂城や執務室に詰めるようになった。私や生まれた子のことなどいっさい知らぬかのように。そこで自覚したのだ。彼の言った言葉の意味が。正室が嫡子をあげたのでもうかまうこともない、そういうことなのだと。
彼がこない代わりに思い出したかのように、三成と刑部が様子を見に来ることがあった。無愛想な三成も包帯の下で何を考えているかも分からない刑部も、上役たる軍師の正室とその子には一応の礼節をもって接していてくれた。半兵衛様が心配して居られました、と彼らは言う。嘘だといつも思って聞いていた。ご心配なく、万事滞りなく過ごしております、と決まった口上を返しながら心は泣いていたかもしれない。
豊臣が天下を取ってすぐ、彼は大坂城で病死した。肺の病だったという。稲葉山城でその死を聞くまで、私は彼が病を患っていたことすら知らなかった。お飾りの、子を産むだけの正室だと分かっていても莫迦にするなと叫びたかった気がする。心の中は荒れ狂ったのに、涙が出ない自分にも絶望した。
子がまだ若年であったことから、私は出家をしなかった。主君秀吉様からも二十にもならぬ身空で尼姿は忍びないとのお言葉があったのも理由だった。もっとも、泉下の人となった彼は私に弔ってもらっても嬉しくもないだろう。
心に折り合いをつけて数年が経つ頃、徳川が反旗を翻し秀吉様がお倒れになった。夫と秀吉様を失った豊臣に残った三成は激高し、刑部と共に反徳川勢力の構築につとめ始めたとの報がはいると、稲葉山は物々しい空気に包まれた。未だ幼い息子にその決断することなど出来るは筈もない。三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍は関ヶ原で激突するらしく、双方に囲まれた稲葉山城はどちらからも協力の確約を求める遣いが何度も来た。白黒はっきりつけたがる三成の性格上、今は亡き軍師の妻子だからといって甘くみることはないだろう。むしろ秀吉様の右腕の忘れ形見だからこそ確実に引き入れなければ志気に関わる。家康としても竹中家が東軍についたとなれば三成ら豊臣方の出鼻を挫くには十分と踏んでいるのかも知れない。中立は難しかった。
そのうち刑部本人が来て、子の命を引き合いに出し裏切るなかれと言った時にはもう駄目だと思った。そうでもしなければ豊臣はもう人を繋ぎ止めることが出来なくなっているのだと。
三成は秀吉様が身罷ってから歯止めが利かなくなっているようで、逆らうものは皆容赦なく罰しているという。そこまで聞き及べば逆らうことなど出来る筈もない。三成を哀れにこそ思えど恨む気は起こらない。子の母として竹中の後家として私は淡々と西軍につくことを選択した。
刑部を返したその晩の事だった。城は軍勢に包囲された。自分の返答が気に入らなかった三成や刑部かと紋所を覗き見ればそれは東軍の伊達。北で真田と戦を交えているはずだと思っていたものだから、予想外に眼下に居並ぶ歴戦の竜の精鋭に身が竦み上がったのを覚えている。伊達の遣いが、明日になれば徳川も来るとの報をもたらし、もう降伏するしかなかった。
涙ながらに止める家臣を諫め、即刻城を明け渡すと伝えると伊達軍総大将伊達政宗が直々に姿を見せた。噂通りの美丈夫は私をみるなり茶化すように口笛を吹いた。
「竹中の後家が年若いと聞いていたがなかなかの女じゃないか」
敗残の身がどうなるかなんて分かり切ったことだった。自分に望むものはもう無いけれど、子の事は諦めきれない。かの常盤御前もそんな心境だったのかも知れない。
「どうか、私の一命を持って家臣領民皆の命をお助け下さりませ」
「アンタ一人にその価値があるのか?」
「それは伊達様がお決めになることです」
「Ha! 家康の言ったとおりだな」
何もしない皆安心して休みな、彼はそれだけ言うと踵を返して行き、翌日、伝令の言葉通り東軍総大将徳川家康が来訪した。相変わらずの人好きのする笑顔と暖かい気質を漂わせて。この人が本当に反旗を翻し秀吉様を討ったのだと到底信じることが出来なかった。
「殿、不自由をおかけして申し訳ない」
「いえ」
「稲葉山城は関ヶ原にも近い重要な拠点、三成にやるわけにはいかずやむなく軍を動かしましたが、殿にも無論御子はじめ皆々に手出しは致しませんのでご安心を」
「しかし私は西軍につくとあちらに返しました」
「それを待っていたのです」
「え?」
「西軍に付くと了承したが、城を落とされたならば刑部や三成とて何も言えぬでしょう。貴女が戦に乗り気でないのは知っている。失礼ながら忍びに様子を探らせていました。御子の命を盾に合力を迫られていたのも」
「そのように情けを掛けて、私が内応するとは思われませんか?」
「ははっ! 流石竹中半兵衛の室。ワシは貴女がそんな人ではないのは知っている。我らは旧知の仲ではないですか」
何の曇りもなくそう笑顔で言う家康に一方に暖かさともう一方に絶望を感じた。三成とは対照的な柔和な声、畏怖とは無縁な人を引きつけ慕わせる魅力。彼の周りには自然と人が集まるだろう。独眼竜然り、今まで戦から縁遠かったという四国の巫然り。ああこの太陽のような暖かさで、この笑顔で、半兵衛様、貴方が命を懸けた豊臣が壊されていきます。
それから一月も経たず、関ヶ原で西軍東軍は激突、東軍が勝利し刑部は自刃、三成は三条河原で斬首された。どちらも夫の傍に居た人であったのに。一緒に茶を飲んだことも談笑したこともある。何故こうなってしまったのか。半兵衛が死んでから時の流れが止まっていたのは自分だけだったのかと胸が締め付けられた。
戦後処理が終わると家康が東軍の面々を引き連れて再び稲葉山に来てこう言った。殿、新しい人生を歩む気はありませんか? と。
「何を馬鹿な」
「半兵衛殿は、自分が身罷った後、妻を誰かに娶せて欲しい。竹中の家は息子がいる故、家は心配していないと。臨終の席で秀吉公にそう言われていた」
「――っ!」
そう聞いて私は思わず立ち上がっていた。
何を莫迦なことを! あれだけ捨て置いたくせに! 私が心配? 子供まで置いて誰ぞに抱かれろというのか!
「勝手な……!」
女子とはいえ、敵軍についた家の長である私は匕首を所持して勝者の前に座ることなど許されない。なればと自分でも驚く機敏さで右横に座っていた竜の右目に近づき、彼の小太刀を乱暴に引き抜いて己が髪に宛てた。
「殿っ!」
「よせ!」
虚を突かれた彼らは慌てて止めに走る。私はかまわず小太刀を勢いよく払い、髪を切った。
「……どの……っ」
その場に散る黒い素絹に家康は目を見開き、独眼竜はじめ諸将は呆然とそれを見ていた。髪を下ろすと一気に身体の力は抜けて私は膝を付いた。
「私はっあの人が病だったことも後から聞いた! 臨終の席にさえ立ち会わせて貰えず、やせ衰えたあの人の遺体すら見ることも許されなかった! 全部っ全部大坂で済ませてっ!」
手も声も震えて情けない姿を晒している。それでも噴き出す想いが止められない。
「それをっ……心配しているなどとっ! 貴方を想って余生を過ごすことすら許さないというの……」
視界が歪む。跫音がして家康が屈み殿、と静かに呼ぶ。私は顔を上げれなかった。
「半兵衛殿は貴女を愛していたから、衰えた姿を貴女に見せたくなかった。貴女を愛していたから、病を移したくなくて距離をおいて、貴女を愛していたから寂しい余生を送らせたくなかったんだ。三成たちから聞いていないのですね。言えなかったのでしょう。半兵衛殿の気持ちが痛いほど分かるから」
「……勝手だわ、みんな勝手だわっ」
何度も首を振って、最後は悲鳴を上げるように叫んだ思う。見かねた雑賀孫市が抱きしめてきて彼女の胸でわんわん泣いた。
それ以降家康は私に何も勧めなかった。私は私の望む通り、切った髪を再び伸ばすことなく出家して、時折訪れる前田慶次と語り、あの人のことを思い出しながら静かに余生を終えたのだった。
**********
輪廻転生という言葉は陳腐で、そんなことあってたまるかなんて思ったのは五歳の誕生日を迎えた頃の話だ。あの頃より遙かに平和で便利になった現代で私は再び生を受けた。
それまで普通の子供として生活していたのにある日突然前世の記憶という奴を覚えたときには動揺した。子供らしい自分と大人だった頃の自分とのギャップに周囲も首を傾げたに違いない。特異だと本能的に感じひた隠しにしたおかげか、幼稚園でいろんなことを覚えたのね、で親が済ませてくれたのはありがたかった。おかげで虐げられることもなく成長し今時の普通の女子高校生として過ごしている。
普通? では語弊があるかもしれない。通う高校には確実に前世の因縁があり私もまたそれに絡め捕られたようだった。それというのもあの伊達政宗に再会したのだ。二つ上の部活の先輩、それが今世の彼だ。彼もまた以前の記憶を持っていたようで、剣道部の体験入部の際、たまたま一人になった私に、の方じゃねぇかと声を掛けてきた。あの頃と違い隻眼ではなかったが、彼曰く右目の視力は極端に悪く度のきつい眼鏡やコンタクトレンズに頼らねばならないらしい。右目には相変わらず縁がねぇよと笑う彼には確かに伊達男ともてはやされた頃の気概と風格が残っていた。
後から知ったが一つ上の学年に徳川家康、同級生に四国の巫鶴姫も居たときには流石に目を剥いたものだ。気恥ずかしさと気まずさが混じり、西軍が一人もいないってどういうことよ、と茶化してみると彼らもまた笑っていた。生を変え、長く流れる時は柵を解き蟠りを薄れされるには十分だった。
一年が経ち、二つ上だった政宗は卒業した。卒業証書を片手に彼はこう言った。
――竹中半兵衛も今世に生を受けている、と。今急成長のベンチャー企業で采配を振るっているらしい。その会社の社長が秀吉様だと聞いて結局彼の一番は秀吉様な訳だと漠然と思った。アンタのことは伝えておいたから、と政宗は続けて、何かあったら連絡するようにと携帯番号とメールアドレスを赤外線交換して別れたのだった。
それからまた半年、政宗が卒業して若干の寂しさがあったが、家康も居て、鶴姫も居て、慶次とも再会してそれなりに楽しく過ごしていた。半兵衛からの連絡はない。彼にとって自分は過去のものなんだろう。変わりがないから政宗にも連絡はしなかった。相変わらず時だけが流れていくのだ。
残暑厳しい夕暮れの部室、汗でべとつく髪を洗い終えて、下着を代え、道着を洗わなくてはと思いながら身支度を整える。私立高校故か部活動専用にシャワー室があるのは有り難かった。他部と共用であるにせよあるとないとでは雲泥の差だ。汗くさい臭いを電車の中で巻き散らさなくても済むのだから。共用のドライヤーで髪を乾かした後持参したヘアアイロンで髪を整える。シャワー上がりだなんてバレたくない。帰宅の為の最低限の身だしなみだ。整えるまでに少し時間がかかったが今日はいつも一緒に帰宅する鶴姫もいない。ゆっくり校舎を後にして本屋に寄って気ままに帰宅の途につくのだ。今日も変わりない平和な日常。
でも――
「寂しいんだよバカ」
ホームに入る電車の音にその言葉はかき消される。営業を終えて社屋に戻るサラリーマンや自分と同じく家路につく学生たちの下車を見送り、力なく乗り込めば、窓から見える茜色の空が一層侘びしさを募らせてくる。
こんなのってないと思う。今も昔も、一方的に待つのも想うのも自分であの人は好き勝手してるなんて。いや、そもそも生まれ変わって夫婦でもなんでもないのだから私が待つというのもおかしな話で。ああ、これでは私はストーカー一歩手前になってしまうんじゃないだろうか。
馬鹿馬鹿しい、と首を振り払拭しようとしてもまた栓をした筈の心が意志など無視して爆ぜる。
あの頃はどうしていいか分からなくて、関心がないのならせめて嫌われたくなくて言われるまま貴方を見送ってしまった。あの時、呆れられても縋ってウザい女になっていれば、今世でも貴方の記憶に残って私を思い出してくれただろうか。あの時、私はどうしたら良かったんだろう?
ああ、そう。会いたい。会いたいんだよ私は。
今世でも放置プレイとかあの人どんだけドSを貫く気だよ、なんて悪態を付くのに瞼が熱くなって堪らない。電車の中で思い出し泣きとか周りの人が引いてしまうじゃないか。
乗り換えの駅まで客席に完全に背を向けて悟られまいと虚勢を張ってやり過ごす。それさえ惨めになってきて目的の駅に付いたときはもう零れ落ちそうだった。
とりあえずトイレに駆け込もう。目が真っ赤になっているかも知れない。ドアがプシュッと音を立てて開くと一目散に抜け出して、階段を探す。考え事をしていた為、今日に限っていつもと違う車両から乗ったらしい。乗り換えの電車が向かいのホームに到着するのが見えた。ああいつもはあれに乗るために急ぐんだよね、などと漠然と見送り、遠くにある階段へと足を向ける。帰宅ラッシュ時間だというのに今日は人が少なくて助かった。こんな顔誰にも見られたくはない。
階段の一段目に足をつけたとき、左右を鉄骨に塞がれたその空間にこれで電車の乗客たちに見られなくて済む、と思ったが最後、堪えていたものが溢れ出てしまった。
「――ひっ……う……」
ああなんで今日は我慢出来ないんだ。傍らにあの人が居ないのはあの頃も今も一緒じゃないか、それなのに。
――それなのに、左手の甲に口を当てて声を殺すのに、止まることのない涙が頬を伝って暴れて、嗚咽を誘ってくる。我ながらなんて未練がましいのだろう。
寂しい、会いたい会いたい、ほんの少しでいいから私を思い出して、顔を見に来て。
「はん……べ……さっ、ひぅ……っ」
みるみる歪む視界は最早自分の肌の色とアスファルトの色しか判別出来ない。カツカツと音が聞こえた気がした。しばらくするとその音は自分の前で止まり、揺れる眸に映り込むのは人の足許。お節介なら止めて欲しい。私は頬と目元を拭って顔も上げず横にすり抜けようとした。
すると、手首に触れる人の手と温かさを感じたのだ。
「君がそんなに泣き虫だなんて知らなかったよ、」
「――え……」
「それからこんなに恋しがってくれてたなんてね」
耳を掠める声に骨髄反射みたいに反応して私は即座に顔を上げていた。その声が誰のものか聞き違える訳がない。そこには眼鏡を掛け、モッズスタイルのファッションスーツに身を包んだ男が立っていた。人目を引く美しい銀の髪、男とは思えない綺麗な顔はあの頃と一緒だった。
「は、んべえ……さま?」
「うん?」
彼は笑みを張り付けたまま首を傾げて答える。ああ、この柔和な顔と穏やかな声音、優しい所作。変わらない、私はこれに騙されたのだ。
「どうして……ここに?」
「自分の妻に会いに来るのは罪だと言うのかい?」
「――っ」
「?」
なんて、
「っ、非道い、非道い。あれほどほったらかしにしたくせに。病気のこと黙ってたくせに、亡骸ですら会ってくれなかったくせに、他に嫁がせようとしたくせにっ! 今だって伊達先輩から聞いてたんでしょう? 私のこと知ってたのに一年近く会いにもこなかったくせにっ、なの、に今更っ、……なにが……っ」
妻とか――
折角会えたのに、口を吐くのは悪態ばかり。違う違う、もっと言いたいことはあるのだ。彼はただ、うんうんと頷き私をあやす。夫婦だったあの頃の私は聞き分けが良かった。でも今はただの大人と子供に成り下がってしまった。
不意に、温度を感じてそれが抱きすくめられたと気づくのに時間はかからない。細身だと思っていたけどそこにすっぽりと自分が収まるのを見れば、やはり男性の身体だと思い知る。腕の感触、懐かしい匂い、ずっと求めていた温かさが此処にある。
「しゃ、社会人が女子高校生に何してくれてんですかっ、変態、人を呼びますよ」
「夫婦だって言うから問題ないよ」
「――っ! いつの話ですか! 私まだ未成年だから捕まりますよ」
我ながら可愛くないと思う。だけど素直にその手を取っていいのか。あれだけ焦がれていたのに私は随分臆病になった。彼は穏やかに笑むばかりで私だけが追いつめられた気になってしまう。
「君はそんな受け答えをする人だったんだね。もっと教えて? 君のことが知りたいんだ」
「な、んで……」
「君の言うとおり、今更だよね? 四百年以上前にやっとけって話だと僕も思うよ」
「でも来なかったじゃないですか。私のこと知っていたんでしょう?」
「知っていたよ。でも、君の姿を見たら本当に犯罪を犯してしまいそうで」
「えっ」
「――抱きしめて、閉じこめて、僕だけのものにしたくて。そんなことをしたらますます君が遠のくのにね? だから高校卒業までは会うまいって思ってたんだ」
抱きしめる彼の手が私の後ろ髪を弄ぶ。時折首に触れる手つきに心臓が高鳴る。
「だけど君の周りには魅力的な男が多いから。慶次君にはせっつかれるし政宗君には脅されたよ。おまえがに関心がねぇなら俺が食っちまうぞってね」
「まさか」
「言われたのは本当。本気じゃないって分かってたんだけど――僕も余裕がなかった。お世辞にもいい夫じゃなかったから見向きもされないんじゃないかって」
彼の腕に力が入るのが分かった。こんな彼を私は初めて見る。
「僕もね、強がっていたんだ。病があるから君と添い遂げられない。限られた残りの数年で秀吉は天下を取れる。豊臣の天下が続けば僕が居なくなっても君が軽んじられることもない。竹中半兵衛の後家を欲しがる家はたくさんあるだろう。嫁いだらきっと幸せになれる。そう物わかりのいい男になろうとしたんだ、でも」
「――」
「誰にもやれるもんか」
彼は私の首に顔を埋めて一層強く抱きしめてくる。そこにほんの少し震えを感じて私は目を見開いた。
「再嫁、拒んで髪まで下ろしたって聞いて」
「はん、べ……さま」
「自惚れてもいいよね? 」
ああ、もう。まるで雪解けのようだ。
「その気持ちが本当なら、ずっとずっと一緒にいて」
「うん、一緒にいよう。共に白髪の生えるまで、……違うな生えてもその先も墓の中も通り越して来世だって」
どうしてこの人はこんな殺し文句を言ってくるのだろう。もっと顔がみたいのに、もっと沢山話したいのに、心がいっぱいになって視界は意志とは関係ないとばかりに溢れる泪で歪んで、気の利いた言葉が出ない。
「幸せすぎて、死んじゃいそう……」
「君を置いて逝った身で強く言えないけど、それは許さないからね」
「勝手」
「分かってる」
そういって彼は私に視線をやると、自分の額を私の額に押し当ててきた。このまま唇が触れてしまうのではないかと思うと心臓が飛び出そうになる。彼は積み重ねた大人の余裕で笑むばかりで左腕で私の腰を抱き、もう片方の手は頬を伝い唇を撫で、肩、腕に触れてそっと私のお腹に手を触れてきた。
「ここにまた宿るかな」
「あ、っ……」
「照れてるのかい? 君は本当に可愛いね。……あの子には遊んでやることもかまうことも出来なかったから、もう一度此処から生まれたら、ちゃんと手をかけて育ててやりたい」
ああ、あの子のこともちゃんと覚えててくれたんだ。そう思えばたまっていた泪はたちまち重力に屈してぽろぽろと伝う。
「泣かないで、帰したくなくなる。これでもキスだって堪えてるんだ」
なんて反則を言うんだろう。私はたまらなくなり、初めて彼を抱きしめ返してむせび泣く羽目になってしまった。
少し離れたところから黄色い声と歓声があがった。其処には見知った姿と、懐かしい面影が並んでいる。ちゃん良かったです、と目も鼻も真っ赤にした鶴姫、合わせた両手を肩口のあたりまで上げて祝福するように数度叩いて頷く伊達先輩、静かに目を細めて笑む孫市、ガッツポーズをする慶次に家康。そしてその横数歩先には、愛しい人に少し似た銀の髪を持つ三成と、相変わらず包帯に包まれた刑部の姿、目が合うと二人は静かに頭を下げてきた。
いっぱいいる、と思わず呟くと彼はうん、と答えた。
「もし私が断ったらどうするつもりだったんですか?」
「メンツ丸潰れだね。確かに不安もあったけど、でも君は断らないってどこかで思ってた」
「わ、わかりませんよ」
「拒否するのかい? それなら閉じこめてしまうから」
「こわいです」
「返す返すも可愛いね。本気にしないで」
楽しそうにククと笑う彼に、私は永遠にかなうことがないのだと自覚し、鼻腔をくすぐる匂いに包まれてながら、流れる幸福な時を甘受することにした。
ああ神様、願わくば、この人といつまでも一緒にいれますように、絶対に幸せになるから私たちを切り離さないで下さい。
- end -
2012-02-08
朧 奈菜様へ相互リンク&5,000hitのお祝いに献上させて頂いた半兵衛夢です。 えらくすれ違う話になってしまいましたがお気に召して頂けたでしょうか?
心残りは豊臣方とのからみが甘くなかったことです。リクエストに綺麗に沿えず申し訳ない限りです。
史実の半兵衛息子が東軍についたネタなどいろいろ織り込みたかったのですがうーむ企画倒れorz息子さんの城も領地も違う場所ですが、BASARAの半兵衛に合わせましたのでご了承下さい。
最後になりましたが、これからも末永くよろしくお願い致します!
2012.02.08進呈 2012.02.25当サイト掲載