銀の軍師に太閤の養女を連れて来るように命じられた三成は姫の部屋に足を運んだ。
多分部屋にいるだろう、すぐに連れて来られるよと言った軍師の言葉通りにはいかなかった。
部屋はものの抜け殻、侍女も行方を知らず。
普通ならすわ誘拐かとなるところだろうが、かの姫にはそれは適用されない。
「姫様ぁぁぁあぁぁぁ!」
「うるさい、三成。私はここにいる」
何度目かの叫び声のあとにうんざりとした、されど鈴の音の如し声が上から降ってきた。
木の枝に座り、太い幹に背を預け、膝の上で寛ぐ猫を撫でながらこちらを見下ろす。
射干玉の髪が桜の花弁と共に風に舞い、日の光が白い肌を照らす。
それはさながら一幅の絵のようである。
が、姫であるが木の上にいるなどあってはならないことだ。
「で、何の用だ。三成」
「半兵衛様がお呼びです。
…そして姫様、木登りなど秀吉様のご息女のすることではございません!」
「別によいではないか、義父上はなにもおっしゃらないぞ。なぁ佐吉」
と猫に話し掛ける。
みゃ〜と同意するように鳴く猫。
「さ…佐吉とはどういうことですか、姫様!」
己の幼名を出され動揺する。
「よい名ではないか。
この猫の毛の色は三成の髪の色に似ているからな、お前の幼名を付けた」
何か不都合でもあるかとこてんと首を傾げる。
その動作に無意識に上がる体温を無視しようと他の話題を持ち出す。
「そしてその言葉遣いはお止めくださいと何度注意すればよろしいのですか!」
「私のこの喋り方はおかしいか?どう思う、佐吉」
にゃ〜んとそれはもう可愛らしく鳴く猫の佐吉。
「おかしいおかしくない以前に、女子として如何なものかと申し上げているのです!」
「三成は私の喋り方が嫌いなようだ。猫の佐吉は何も言わぬのに人の佐吉は文句ばかり言う。
しかし三成、私の喋り方は前と何ら変わっておらぬ。むしろ変わったのはお前ではないか」
やれやれと頭を振る。
が言う喋り方云々の話は二人の出会いまで遡る。
三成こと佐吉がとある少年と出会ったのは、今と同じ桜の舞う季節であった。
「佐吉くんと一緒に勉学や武術を習うことになっただよ。いろいろ教えてあげてね」
軍師が連れてきたのは、肩程度で切り揃えられた髪の少年だった。
自分より5歳年下の少年は口数も表情も乏しかった。
ただ、佐吉に負けないようにと一生懸命に物事に取り組む姿だけはありありと見てとれる。
しかし5年という歳の差はあまりにも大きく、佐吉と同じように木刀を振るうことなど出来はしなかった。
木刀を振るうどころか振り回されている少年は、召し上げられたころの自分を見ているようで。
放っておけずに思わず後ろから支えてしまった。
「あり…がとう」
驚きに目を見開きながらも、小さな声で礼をいった少年。
声を初めて聞いたのはこれが初めてだった。
「佐吉殿…」
「殿はいらん」
「佐吉、武術だけでなく勉学も教えて…くれるか」
「は、半兵衛さまにはそう頼まれているからなっ」
少年の口数は次第に増え、表情も豊かになっていった。
一緒に木に登って城の外を眺めたり、城を抜け出したこともあった。
そのたびに白銀の軍師のお説教がもれなくついてきた。
勿論、どちらも実は元気っ子であったの提案で、佐吉は巻き添えをくらったというのが正しいが。
しかし、佐吉が元服し三成と名を改めてからはぱったりと会わなくなった。
どこかに引き取られたのだろうか、ちゃんと鍛練は手習いはしているだろうか……。
悶々としたものを抱えていた三成に凛とした声がかかった。
「佐吉!」
元服し三成という名を得た自分を幼名で呼ぶ者はもういないはずだが。
「佐吉、私だ。だ」
「!?」
久しぶりだなと笑うは美しい打掛を纏っていた。
敬愛する主君の養女であったと知った三成は言葉遣いを改め、
にも女子らしく話すように言ってきた。
勘違いしていたうえに、自分の言葉遣いが影響したのは言うまでもなく、ただただ恥ずかしさが込み上げてくる。
「嫌いだとはいっておりません。ただそのようでは嫁の貰い手はない…」
「嫁になど行かぬ!」
強い調子で三成の言葉を遮る。
声を荒げることのないのいつもとは違う様子に軽く目を見張る。
「姫様…?」
「私は嫁に行かぬ!ずっと義父上や半兵衛、三成や吉継と一緒にいる」
「そのような我が儘は通らない」
三成の声は冷たく、口調は同僚に対するものへと変わる。
いや、変えたというのが正しいだろう。
氷の声にびくりと身を震わせるがは態度を変えようとはしない。
「半兵衛のところへも行かないからな。どうせまた縁談の話だ…」
「姫様のことを大切に思うからこそです。よいお相手なのでしょう」
「義父上や半兵衛の考えるよい相手は私にとってよい相手ではない」
小さなつぶやきの後に少し温かく、少ししょっぱいものが降ってくる。
きつく言い過ぎたかと語調を弱める。
「姫様、お下りください。相手が気に入らなければ断ればよい話です。
今までもそうしてきたのでしょう」
さあと両腕を伸ばす。
は銀の猫を懐へと入れ、三成の腕の中へと飛び込む。
そのままわんわんと泣き出した。
このようなところは全く変わらないと思いながら無礼を承知で抱き上げ、自分は縁側へ、を己の膝の上に座らせた。
猫の佐吉はの懐からするりと抜け出し、こちらを見上げている。
強情な
は何があっても養い親である秀吉や半兵衛に弱音を吐いたり、涙を見せることは決してない。
心配をかけたり、失望されたくないという気持ちが強いらしい。
それは幼いころから変わらず、三成自身も同じ感情を持っているので
の態度は痛いほどによく分かっていた。
感情を5歳年上の三成に曝け出すのは昔も今も変わらない。
三成が泣くをあやし、息をつく場を提供するのも変わらない。
ひくひくと肩を震わせる姫の背中をぽんぽんと叩きながら、
が嫁いだらこの役目は自分ではない誰かのものになるのだと考える。
それはそれで面白くない。
を慰め、あやすのは自分だけにしか出来ないことでそうでなければならない、とさえ思ってしまう。
それは自分の役目が、豊臣での居場所がなくなることへの恐怖からなのだろうか。
それはない。
召し上げられたあの頃と違い、今は戦場に立ち豊臣のために力を尽くすことが出来る。
自分の豊臣での価値は認められている。
それならば何故。
膝の上の暖かさを失いたくないからか。
いや、正確に言うならば、の中での自分の存在価値を失うことが恐ろしいのだろう。
他の誰でもない、自分を頼ってくれる
に抱いた感情。
それは年長である者が年少である者に抱く庇護欲か、それとも男から女に対する恋慕か。
庇護する者が自分のそれを必要としなくなることへの寂しさか、それを他の男へと譲ることへの嫉妬か。
それは何なのだろうか。
ぐるぐる回り取り留めのない自分の感情に整理がつかず、心の中で舌打ちをする。
どちらにしても不敬であるし、何時か何処かに嫁いでしまうへ向けるその感情は捨てなければならない。
もしも幼いころのままであったならば…と考えて、それを打ち消した。
もしもなど有り得ない。
そんなことを考えるなど、今日の自分はおかしい。
未だ泣き止まないをあやしながら、そう、思った。
あのころに戻れるならば
(何を考えているんだ、私は…!)
「戻ってくるのが遅いと思ったら、こういうことなのかい」
「うむ……」
軍師と太閤の視線の先には手塩にかけて育てた愛しい子供達。
「の望まぬところに我が嫁に出すわけあるまい…」
「秀吉、君も大概親馬鹿だね。政の道具だと割り切ろうと言ったのに」
「お前に言われたくないな、半兵衛よ。
三成に嫁がせようしているのに我が気付かぬと思っていたか」
「君には敵わないね、全く。
…あんなに可愛い子を何処の馬の骨とも分からない野郎に嫁がせてたまるものか」
「…半兵衛、本心がただ漏れぞ」
そうかい?と優雅に微笑む軍師と人知れず溜息をつく太閤。
姫の涙が喜びからのものへと変わり、左腕が驚きで硬直し、大坂城内が浮足立つまでそう時間はかからない。
photo by 十五夜
SiRENの十七夜さんへ100,000hit祝い&拙宅との相互祝いということで捧げます(というか押しつけます)。
リクエスト「年上三成」になっているでしょうか…ドキドキ
年上三成というか年上要素が入っただけ…な気も…orz
最後の秀吉さまと半兵衛さまのやりとりはただの俺得です(`・ω・´)bキリッ
これからもよろしくお願いします。^∇^
朧 奈菜
2012.01.29
十七夜より
奈菜さまありがとうございます!親しくメールのやり取りをさせて頂けるだけでも光栄なのにお話まで頂戴するとは…!
部屋の隅でデュフデュフ笑いながら読ませていただきました!大切にしますーありがたやー!
こちらこそ、これからもどうぞ宜しくお願いいたします!
2012.02.02